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同じ心境

 満月だった。

 夜に一人窓を開けその日の月を眺めることは、侑子の習慣になっていた。

 衝立に手を置いて、空を見上げる。

 ユウキが窓を開放して歌っているのだろう。彼の部屋の方向から、歌声が聞こえてきた。

 初めてユウキの歌声を聞いてから、もう何度も変身館で歌う彼を観たが、やはりステージ上のユウキは、いつも戦士だった。リリーのピアノ伴奏だけのときも、バンド編成のときも。時にはユウキ自らギターを弾きながら歌うこともあったが、いつだってその表情から緊迫感が拭われたことはなかった。

 ユウキはいつも母親の幻聴と戦いながら歌っているのだろうか。自室で歌っている今もまた、そうなのだろうか。

 噴水広場で定期的に行う曲芸では(マタナ)で声を変え歌うユウキだが、その時は普段と変わらず、のびのびとしているのだから不思議だ。むしろ自分がどのような表情を作れば観客を引き込み、魅了できるのか、全て計算して演じているような余裕さえ見られるのだから。

 ユウキと過ごす時間が増え、彼のことを知れば知るほど、心さえも別人の二人のユウキが、噴水広場とライブハウスにいるかのような錯覚に侑子は陥るのだった。



◆◆◆



――今日も月は変わらない


 この世界での生活にも、大分慣れてきた。侑子は自分の順応性の高さに驚きつつ、安堵してもいた。

 もう戻れないのなら、馴染むしかないのだ。そう覚悟も固まってきた。

 しかし月を見上げていると、たまに感傷的な気持ちに揺さぶられることもあった。今日はそういう日のようだった。向こうの世界(トコヨノクニ)――かつて自分が暮らしていた世界のことが、次々に頭に浮かんできては、いつまでも消えていかずに滞留している。聞こえてくるユウキの声が奏でる旋律が悲しげなせいもあるだろう。気持ちが引っ張られていった。


「皆どうしているかなぁ」


 突然失踪したので、きっと家出か誘拐事件として扱われているだろう。あの日もうすぐ来るはずだった侑子を心配して、賢一と望美、愛佳たちもあちこち探し回ってくれただろう。すぐに朔也にも連絡がいって、せっかくのデートを中断させてしまったかもしれない。兄の慌てふためく様子は、簡単に思い浮かべられた。両親にも連絡しただろう。母は帰国したのだろうか。父は見つかってからでも遅くないと言って、まだ帰ってきていないかもしれない。そういう人だ。それでも侑子は、別に父のことは薄情だと思わなかった。父が帰国しようがしまいが、侑子は帰れないのだから。



◆◆◆



 満月は明るく、そして大きかった。部屋の灯りを全て消しても、侑子の目は闇に迷わない。


「月は同じなのかな」


 並行世界(パラレルワールド)というのがどういう仕組なのかは、侑子には分からない。もしかしたら同じように見えるこの月も、侑子のかつていた世界の月とは、別物なのかもしれない。クレーターの形は、見たところ一致しているが。


 侑子は数日前にハルカが見せてくれた、この世界の地図を思い出していた。地図は侑子がよく見知っているものと同じで、見慣れた大陸と島々の形を描いていた。地理は特別詳しいわけではなかったので、二つの世界の地図が正確に一致しているのか自信はないが、少なくともヒノクニと記された国土が、日本と同じであることは分かった。

 侑子が今いるのは首都であり、一般的には王都と呼ばれる央里(おうり)という町で、それは東京都西部にあたる場所だった。

 侑子が驚きつつ納得できた点としては、央里のリリーの家のあった地域と、侑子の自宅のあった街の位置が、ほぼ一致していたことだった。

 あの地図を目にして、侑子は今自分が存在しているのは、本当に別世界なのだと再確認したのだった。

 しかし、月は変わらない。餅つきをしている兎の形をクレーターは描き出している。間違いない。


――もしも同じ月なのだとしたら、数時間前にお兄ちゃんたちも同じ月を見たのかな

 

 最初にこの世界に来た日付を確認したところ、二つの世界には十二時間の時差があり、かつて侑子がいた世界の方が進んでいることが分かった。 


「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」


 ぽつりぽつりと紡いだ言葉は、記憶の淵に浮かんできた和歌だった。侑子が生まれる遥か昔に生きた人が詠んだもので、海外から見た月を故郷の山から見た月と重ねて懐かしむ歌だった。おそらく今の侑子と同じ心境だったのではないだろうか。そんな風に思ったら、口をついて出たのだった。


「覚えてるもんだな」


 小学校で毎年冬になると、百人一首を使ってカルタ大会が開かれた。元々国語も歴史の授業も好きだった侑子は、ほぼ全ての歌を暗記するのが容易だった。

 思いの外冴えている自分の記憶力に笑みを浮かべた侑子は、じわりと滲んだ涙で視界が曇って目を瞑った。涙が滑り落ちる、くすぐったい感触が頬に伝わる。また感傷的な気分になってしまっていた。


「ん?」


 そして、違和感に気づいた。

 閉じた瞼の黒い視界の隅で、何かが彈けたように星が散ったのだ。


――なんだろう?


 ぱっと目を見開いた侑子は、特に周囲が突然明るくなったわけでも、自分が目眩を覚えたわけでもないことを確認する。

 しかし手がじんじんと痺れるような感覚を覚える。逃れようと祈るような形で両手をぎゅっと組むと、二つの手が焼けるように熱を持っていることが分かり、驚愕した。


「何これ?」


 未知の感覚に恐ろしくなり、声が震える。その間にも侑子の両の手はどんどん痺れが強くなり、燃えるように熱くなった。視覚的には赤くなったり、燃え上がったりもしていないのに。

 左腕にはめたままのブレスレットが目に入り、侑子は叫んだ。


「ユウキちゃん!」


 助けを呼ぶ自分の声が耳に入った。

 その一瞬だった。

 侑子は強い突風を正面から受けて、大きな物音と共に部屋の中程まで吹き飛んでいた。

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