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侑子の透証

 それからしばらく、侑子の日々は穏やかに流れた。

 基本的には午前中にリリーの家へ自転車で向かい、日中をそこで過ごし、午後にジロウの屋敷に帰ってくる。

 リリーとユウキ、そしてユウキの四人の幼馴染たちからヒノクニのことを教わり、随分知識を得ることができた。変身館に頻繁に出入りする中で、顔見知りも増えていった。

 魔法が発動することは相変わらずなかったが、使わなくても案外困らないという言葉が本当のことだと実感するのに、時間はさほどかからなかった。

 この世界の多くのインフラは魔石によって動かされているのだ。自らの魔力に頼らなくとも、日常生活を不自由せず送ることは容易いのだった。



◆◆◆



 身分証である透証のほうも、依頼した日から数日後には侑子の元に届けられた。エイマンが手渡してくれたそれは、話に聞いていた通り、サイコロのような小さな透明の立方体だった。


「名前や住所など予め教えてもらった情報はもう入れてある。後は君の生体情報を登録するだけで、これは正式に君の身分証になるよ」


 エイマンが侑子の手のひらに乗せてくれた立方体は、とても軽かった。しっかり持っていないとすぐに紛失しそうだ。思わずぎゅっと握り込んだ侑子は訊ねる。


「生体情報? どうやって登録するんですか?」

「それでオーケーだよ」


 エイマンは笑った。侑子は透証を握りしめた右手に目をやる。ゆっくり十数えて、と言うエイマンの言葉どおりにしてから、指を解いた。


「これでいいんですか」


 そこには先程から何も変化のない立方体があるだけだ。


「大丈夫、ちゃんと登録できてるよ」


 指先でその立方体に触れたエイマンがうなずいている。


「しかし魔法が使えないとなると、透証の機能の一部を使うには少し不便なんだけど……ちょっと失礼」


 僅かに思案顔を浮かべた後、エイマンが丸く円を描くように、透証の上部で人差し指を動かした。すると、先程までただの透明の物体だった立方体から、ホログラム画像が浮かび上がった。目を丸くして侑子がその映像を見ると、そこには撮った覚えのない侑子の正面からの証明写真のようなものと、自分の氏名、年齢、そしてジロウの屋敷の住所を示す文字列が記されていたのだった。 


「これで分かるかな。ちゃんと君の身分証が表示できてるよね」


 エイマンはそのまま侑子に透証の基本的な使い方を教えてくれた。透証そのものが魔石のように魔力を蓄積しているものなので、魔法が使えなくとも使用することはできるらしい。説明を一通り聞いた侑子は、スマートフォンの音声アシストのように使えば問題ないだろうと理解した。


「それとこれは、普通の透証にはつけていない機能なんだけど」


 エイマンが僅かに声を落として付け加えた。


「君の居場所は、透証によって逐一政府に分かるようになっている……気分を悪くさせたらすまない。けど、監視するとかそういう目的ではなくて、君の安全を確認するためのものと思って欲しい」

「はい。別にいいですよ」


 侑子は特に不快な気にもならずに頷いた。自分がこの国において特殊な存在であることくらい、嫌という程分かっている。むしろ存在をこの国の人々に把握してもらっているほうが、安心感があるくらいだった。

 そんな侑子の様子を見て、ほっとしたようにエイマンは表情を和らげた。


「良かった……もう怯えさせてしまうようなことは避けたいと思っている。ジロウさんが後ろ盾になっている以上、私の出番はないだろうが。困ったことがあれば、いつでも頼ってもらって構わないから。そうだ」


 エイマンは侑子の手の上の透証をつまみ上げた。


「透証は身につけておいた方がいい。紛失すると面倒だ。形を変えるには、魔法を使わなければならない。今私が手を加えてもいいかな?」


 承諾するとエイマンは立方体からとんぼ玉のような形に透証を変化させた。大きな穴のあいた丸い透証は、次の瞬間には侑子の左腕の防視効果つきブレスレットに貫かれていた。


「その腕輪は君には必要なものだろう。魔力が他人から見えないようになっているね。それと一緒に身に着けておくのが、一番安全かと思う」

「ありがとう、エイマンさん」


 礼には及ばない、とエイマンは笑った。

 


◆◆◆



 侑子が作ったあみぐるみは、日に日に増殖していった。

 かつてこんなに短期間に沢山のあみぐるみを作ったことはなかった。学校に通うことがなくなった侑子には、それだけ自由になる時間があったということだった。

 この世界の学校に通うには、さすがに魔法が使えないといけないらしく、侑子が編入することは叶わなかった。エイマンやジロウが侑子に理解できる学習書を探してくれ、周囲の人々が家庭教師をかってでてくれたので、学生らしい習慣はかろうじて失われずに済んでいたのだった。


――くま、うさぎ、犬、猫、ペンギン、ひよこ


 侑子が記憶だけで作れるものは、全て作った。


 ノマが分けてくれた色違いの糸でそれぞれの動物を複数編んだので、完成品を並べた東屋の椅子は、あっという間に色であふれた。


「随分賑やかになったね」


 明るい笑い声に振り向くと、学校から帰宅したばかりのユウキが通学鞄を手に立っていた。


「おかえり、ユウキちゃん」

「ただいま」


 ユウキは侑子に並んでしゃがみこんだ。目の前の動物たちの中から、一番手前にある水色のクマを手に取る。


「一番の新入りは、この子かな」


 侑子が頷くと、ユウキはクマの首の部分を一撫でした。光の粒と共に、青のグラデーションを乗せたガラスの鱗が出現する。ちょうどクマの襟飾りのようになった。

 侑子はいつものように顔をほころばせた。

 ユウキが侑子の作ったあみぐるみに鱗の飾り付けをしたのは、一体目のくまが完成した日だった。あの白いくまの背は、ユウキの衣装と同じように、綺麗に整然と並ぶ鱗で飾り付けられた。糸の色一色だったあみぐるみに、鮮やかな色合いと透明な煌めきが加えられ、侑子はファンタジー世界に住む架空の生き物のようだと思った。


「この鱗、本当に綺麗だよね」


 陽の光にきらきらと輝くガラスの鱗に触れながら、侑子は言った。

 隣で鼻歌を奏でながらあみぐるみたちを一つ一つ確認していたユウキは笑う。


「ユーコちゃんは本当にいつも鱗を触ってたよね」


 夢の中でのことを言っているのだろう。確かに夢の中で、侑子はいつも無遠慮に触りまくっていた。僅かに赤面しながら侑子はごめんね、とつぶやく。どうせ夢だからと思い、興味関心の赴くままに振る舞っていたことは否めない。現実の自分ではありえないことだ。


「いいんだよ別に。それにしてもあの夢。すっかり見なくなったな」


 ぽんと頭におかれたユウキの手を感じながら、侑子も同意する。ユウキと出会ってから、あの夢を見ることはとんとなくなっていた。


「現実で会えたから、もう見ないのかな」

「そういうものなのかもね」


 侑子は少し残念に思う。あの夢が大好きだったのだ。心が踊り、楽しくて幸せで一杯になる。心配や不安といった負の感情を忘れて、素直な自分だけになれた。

 なにより、無遠慮にあの鱗の美しさや不思議な水かきを確かめることができないというのは、やはり心残りだ。そう口にすると、隣から「ははっ」と大きく笑う声がする。


「本当にユーコちゃんはこの鱗を好いてくれてるんだね。じゃあ、ほら」


 ユウキは侑子の左腕のブレスレットに触れた。サイズ調節するときに引く二つの糸端に、それぞれ三枚ずつ鱗をつけてやったのだ。微妙に色合いの異なる六枚のガラスの青い鱗が、お互いに触れ合うたびに、小さく涼やかな音を奏でている。


「わあ」


 自分の腕の上で揺れる青い光を、うっとりと見つめながら侑子は礼を言った。

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