炎の器
その大柄な男は鏡から視線を外すと、ゆっくりと立ち上がった。脚結を外した袴の裾が床を擦ったので、香炉から立ち上る細い煙の線を大きく揺らして細やかに散らしていく。
男の顔は無表情だ。感情は読み取れない。年齢相応の深い皺が刻まれた顔に並ぶ目鼻立ちはくっきりとしており、その瞳は黒曜石の如く漆黒だった。白髪混じりの長く伸ばした黒髪は低い位置で後ろに一つに結わえられ、白い衣の上に一束となり無造作に垂れている。
男のいるその空間は、十畳ほどの板張りである。南の方角に部屋を横断する大きな一枚板で設えた祭壇が据えられていた。沢山の青い榊が祭壇の両端に飾られ、その隣に白く太い蝋燭に灯された炎が煌々と燃えている。
この部屋の光源はその二つの炎と、僅かに開けた戸口から差し込む、ささやかな月明かりだけだ。
その場所は薄暗く、空間自体が揺らぐように、様々な影がゆらゆらと揺れていた。
祭壇の中央には真円の鏡が立てかけられている。男はつい先程までこの鏡の前に座り、穴が空くほどそれを見つめていたのだった。
「お上」
戸口から掛けられた声は、年若い男の物だった。
呼びかけられた初老の男は、そちらを向くことなく口を開く。視線は鏡の隣、透明な丈高い器に注がれていた。
「確かなようだ」
年齢を感じさせない、曇りのない声だった。
「彼女は既に貢献している」
彼が視線を向けていた器は、大きく開いた上部に比べて、下部が窄んだ不安定な形をしていた。上部には大きな四つの突起物が燃え盛る炎を表現するかのように突き出ており、器全体に複雑な縄目模様や渦巻き形の凹凸が施されている。
その中程までを満たすのは、液体ではなく、小さく粉砕されたガラス片のようであるが、その表面は僅かに波立っていた。
「カギの行方は、未だ掴めておりません」
部屋の外から男は告げ、そしてこう加えた。
「ですがトビラが開かれた場所は、判明しました」
初老の男は戸口を開いた。跪く男に立ち上がるように告げると、その耳元に顔を近づけ、音量をやや落とした声音で囁くように命じた。
「既に開かれた扉については、場所が分かればそれでよい。カギは引き続き捜索を。彼女についてだが……どこにいるのか、常に把握しておきなさい」
命じられた男が短く返事をして去っていく。物音一つ立てずにあっという間にその姿は仄暗い廊下の先に消えた。残された初老の男は、流れる雲に隠れた月を見上げながら、一人つぶやいた。
「行方が分からなくなった時、それは悲劇が再び繰り返される時なのだから」




