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青い半魚人  作者: 松下真奈
第一章
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針と糸

 幼馴染四人を見送ったあと、ほどなく侑子たちも帰路についた。

 一昨日と同じように、侑子はユウキが漕ぐ自転車の荷台に跨り、背中越しに頬をくすぐる風を感じていた。

「賑やかだったでしょ? あの四人」

「とっても楽しかったよ。ありがとうね、ユウキちゃん」

 騒がしかったけれど楽しく、不思議なくらい居心地の良い時間だった。

 そう思うと、侑子は自然に別の三人を思い出した。

 愛佳と遼と蓮。

 歳の近い従兄弟たちだ。

「私、歳の近い従兄弟が三人いてね。とっても仲良いんだ。近くに住んでたから、よく一緒にいたの」

 気づけば、言葉が口をついて出ていた。

「一昨日も従兄弟の家に行くつもりだった。出かける前に制服を着替えようとして……」

 そこで言葉が止まった。

 みんな、心配しているだろう。

 想像した途端、楽しい時間で満たされていた心が、急速に沈んでいく。

「ユーコちゃんが着てた服、制服だったんだね」

 前からユウキの声がした。

「向こうの世界の学生は、みんな制服を着るの?」

 話題を変えてくれたのだと分かった。

 今は、それがありがたかった。

「私服の学校もあるけど、制服のところが多いよ。そういえばユウキちゃんたちは、制服じゃないんだね」

 今日会った四人も、服装はばらばらだった。

 街中でよく見かけるドレスや着物姿ではなかったが、五人の服には統一されたところが何もない。

 ユウキもTシャツにジーンズという、昨日とほとんど変わらない格好だった。

「こっちじゃ、学校に制服なんてないよ。みんな好きな服を着られないなんて嫌がるだろうな。下手したら学生たちの反乱が起こるかも」

 冗談なのか、本気なのか。

 けれど、あり得なくもないと侑子は思った。

 この世界の人々の服装には驚くほど統一感がない。

 色も形も素材もさまざまで、どれだけ目立つ格好をしている人がいても、誰も気に留めていないようだった。

「こっちでは、服も自分を整えるものの一つって考える人が多いんだ。好きな格好をしてるほうが気分もいいし、魔法だって調子が出るって」

「服で魔法の調子まで変わるの?」

「人によるけどね。魔法って、気持ちやイメージにも結構左右されるから」

「じゃあ、この世界には制服は一つもないの?」

「そんなことないよ。警察や軍隊は制服だ」

「なるほど。警察か。この国には軍隊もあるんだ」

 日本語が普通に通じ、話し言葉にもほとんど違和感がない。

 ときどき、日本にいるような錯覚さえする。

 それでもやはり、ここは自分の知らない国なのだ。

 自転車が止まり、二人の会話もそこで途切れた。



◆◆◆



 侑子がそれを見つけたのは、夕食後だった。

 ジロウは帰りが遅くなるらしく、ノマが腕を振るった夕食を三人で食べ、片付けまで済ませたところだった。

 ノマが何気なくローテーブルの下の籠から取り出したものを見て、侑子は思わず身を乗り出した。

「かぎ針だ!」

 先端が短く鉤状に曲がった金属の棒。

 編み物に使う道具だ。

 ノマは一緒に白い糸玉も手にしていたので、一目で分かった。

「ユーコさんも編み物をなさるんですか?」

 侑子の表情を見たノマは、道具をこちらへ運んできてくれた。

「はい。私、編み物が大好きなんです」

 侑子は丸くまとめられた糸玉を手に取った。

 テニスボールほどの大きさで、白い綿糸のようだった。この季節にも扱いやすそうな、さらりとした糸だ。

「へえ。ユーコちゃんが物を作るの好きだっていうのは聞いてたけど、編み物もするんだね」

 ユウキが手元を覗き込んでくる。

 糸玉の隣に置かれた小箱には、とじ針やクリップなどの細かな道具が収められていた。

 色や形は侑子が使っていたものとは少し違う。

 それでも、何に使うものなのかは見れば分かった。

 胸の奥が、急に明るくなった。

「編み物仲間ですね」

 ノマが微笑んだ。

 道具は一式、貸してもらえることになった。

 ノマが小さなバスケットへまとめてくれる。

「何か編むものは決まっていますか? 糸は私が持っているものでしたら、すぐに用意できますよ」

「俺が魔法で出してもいいよ」

 ユウキも笑った。

 侑子は嬉しそうにバスケットを覗き込み、それから顔を上げた。

「あ(・)み(・)ぐ(・)る(・)み(・)を作ろうと思います」

 ノマとユウキが揃って、きょとんとした。

「……あみぐるみ?」

「知らない?」

 二人の反応に、今度は侑子が首を傾げた。

「編み物で作るぬいぐるみみたいなもの。毛糸とか綿糸で、頭とか身体とかを編んで、中に綿を詰めるの」

「なるほど。では、中綿が要りますね。用意しておきましょう」

「ありがとうございます!」

 嬉しくなって、声が弾んだ。

「糸は? どんなのを使うの?」

「何でもいいの。この綿糸でも大丈夫だよ」

「その糸ならたくさんありますよ。色を変えてもいいですね」

「色を変える?」

 ノマは頷くと、糸玉から糸端を引き出した。

 指先でそっと撫でる。

 すると白かった糸が、端からするすると鮮やかな空色へ変わっていった。

「きれい……! これも物質変換なんですか?」

「ええ。糸そのものは変えずに、色だけを変えているんです」

「こういうのは慣れてると、あんまり物質変換って意識しないけどね」

 ユウキはそう言いながらノマから糸端を受け取ると、空色のすぐ先を今度は深い紺色へ変えた。

 二つの青が、白い糸の先に短く連なった。

「染めたい色があったら、好きなように変えてあげるよ」

 侑子は手の上に戻された糸を見つめた。

 空色と紺色。

 その先には、まだ長い白が続いている。

 しばらく考えてから、首を振った。

「このままでいい」

「これだけで?」

「うん。ノマさんとユウキちゃんが今変えてくれた色は、そのままにして。あとは白いままで」

 それから、少し考えて付け加えた。

「編みながら、私も魔法の練習してみる」

 大好きな編み物の延長なら、もしかすると魔法を使えるかもしれない。

 使えなかったとしても、きっと今朝ほど落ち込まずに済む。

 侑子はわくわくしながら糸端を人差し指に掛け、かぎ針を構えた。



◆◆◆



 最後にかぎ針を握ったのは、ほんの三日前だった。

 それなのに、ずいぶん久しぶりのことのように感じる。

 それほど、この数日間は慌ただしく、新しいことばかりだった。

 二つの世界には、共通するものが少なからずある。

 侑子はすでにそれを知っていた。

 それでも、こうして見慣れたものを一つ見つけるたびに、少しだけ安心できる。

 ユウキが出してくれた絆創膏もそうだった。

 今、手の中にある編み物道具もそうだ。

「あらあら。ずいぶん編み慣れていらっしゃいますね」

 侑子の手は、一定のリズムで動き続けていた。

 かぎ針が糸を拾い、引き抜き、また次の目へ進んでいく。

 覗き込んだノマが感心したように言うと、侑子は少し照れて笑った。

「何個も編みました。もう手が覚えてるんです」

 編んでいるのは、オーソドックスなあみぐるみの頭部だった。

 規則的に目を増やしながら編み進めていけば、丸い形になる。最後に中綿を詰めれば、きれいな球体になるはずだ。

 何度も作ったものなので、編み図がなくても手は迷わない。

 白い糸の中へ、最初に染めてもらった二つの青が編み込まれていく。

 空色と紺色は隣り合い、頭頂部に小さな青い模様を作った。

「面白いなあ」

 ユウキがにこにこと手元を眺めていた。

「まるでユーコちゃんが魔法を使ってるみたいだ」

 侑子の手が、ほんの一瞬止まった。

 編み物を始めたばかりの頃。

 手本を見せてくれた母の指先を夢中で眺めながら、自分も同じようなことを言ったのを思い出した。

 何もなかったところから、一本の糸だけで形が生まれていく。

 幼い侑子には、それが本当に魔法のように見えたのだ。

「……そうかもね」

 侑子は小さく笑い、また針を動かした。



◆◆◆



 自室へ引き上がったあとも、侑子は編むことに没頭した。

 もともと編み物を始めると、時間を忘れてしまうほど集中する。

 けれど、この日はいつも以上だった。

 慣れないことばかりが、ひっきりなしに起こり続けている。

 そんな日々の中で、突然再会した、よく知っている趣味だった。

 知らない場所で偶然、昔からの友達に出会ったような気さえした。

 侑子は黙々とかぎ針を動かし続けた。

 頭部に続いて、胴体、手足、耳。

 すべて同じ糸で編んだので、最初に編んだ頭頂部に青が混じっている以外は、全身真っ白なクマになった。

 まだ綿は詰めていない。

 パーツもばらばらで、ぬいぐるみと呼べる姿にはほど遠い。

 それでも侑子は満足して、最後のパーツを糸玉から切り離した。

 かぎ針とハサミを机に置く。

 時計を見ると、すでに日付を跨いでいた。

「うわ……」

 そろそろと立ち上がった瞬間、膝ががくりと折れた。

 長いあいだ同じ姿勢で足を組んでいたせいで、足先まですっかり痺れている。

――こんなに夢中になってたんだ

 痛いのに、少し笑ってしまった。

 足の痺れと格闘しながら、どうにか広縁までたどり着く。

 障子を開け、さらにガラス戸を開け放った。

 夜の空気が、火照った頬を撫でた。

 侑子は空を見上げる。

 今日も、月がよく見えた。

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