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青い半魚人  作者: 松下真奈
第一章
32/143

魔法練習

 翌日、侑子は前を走るノマに続いて自転車を漕いでいた。

 ハンドルの中心に黄色い魔石がほんのり光る自転車は、確かにペダルが軽く、足に負荷をかけずに漕ぐことができた。爽やかな朝の風を受けながら走っていく。


「終わったらすぐにそっちに行くから」


 そう告げたユウキは今日は学校へ、ジロウも変身館へ出勤だった。

 昨日リリーの家で魔法を教えてもらう約束をした侑子は、ノマと共に彼女の家へと向かっているところである。

 侑子にはまだこの世界はもちろん、この街の広さや、土地勘すらなかった。ジロウの屋敷から変身館までが徒歩で十分程の近さで、ユウキと出会った噴水広場は自転車で二十分ということしか知らない。

 自力で歩いたリリーの家から噴水広場までは、かかった時間から考えると、かなりの距離があったように思えるのだが、本当はそんなに離れていなさそうだ。エイマンをまくために、やたらぐるぐると同じ場所を細かく動いてしまったのだろう。

 自転車を走らせて程なくすると、見覚えのある畑の畝が目に入るようになってきた。


「着きましたよ。こちらがリリーさんのお宅です」


 自転車を降りた侑子が門にかかる大理石の立派な表札を見ると、「(たいら)」という字が明朝体で彫られていた。

 記憶通りの大きな日本家屋だった。門の先から玄関までの間には形を整えられた松の大木が生え、その横には整えた岩で囲われた池が見える。侑子が昨日逃げ出した広い庭園とは景色が違うので、あの場所はまた別のところにあるのだろう。


「すごく大きなお屋敷なんですね」

「リリーさんの一族は、古くから養蚕業を営まれていたお家なんですよ」


 玄関先で二人で靴を脱いでいると、リリーが出迎えに来てくれる。

今日は紺色の作務衣を身につけ、高い位置でポニーテールにしていた。


「いらっしゃい、ユーコちゃん。ノマさんも。まずはお茶でも飲んで涼みましょう。今日も暑くなりそうだわ」

「お邪魔いたします。リリーさん、作務衣ですか。気合が入っていますねぇ」

「魔法練習といえばこの格好よね」


 聞けば学生達が野外で魔法の実習授業を行う場合、作務衣を着るものなのだという。侑子も寺で僧侶が外仕事をしている時に見たことはあったが、二人の説明を聞くと、この世界の学生にとってはジャージや体育着のようなものなのだろう。

 侑子も折角だからと勧められ、ノマにリリーと同じ色の作務衣を出してもらい着替えた。身につけたのは初めてだったが、着心地よく動きやすそうだ。


「形から入るのも大切よ。それじゃあユーコちゃん、頑張りましょうか」

「はい! よろしくおねがいします」


 外紐をぎゅっと結んで、侑子はリリーに頭を下げた。



◆◆◆



 リリーに伴われて練習場所としてやってきたのは、何もない空き地だった。昨日彼女は「うちの畑」と話していたので、ここは元々何か作物を育てていた場所なのだろう。しかし足元には、ただの茶色の土のままの地面が広がり、所々に小さな雑草が生えるばかりだった。


「まずは基本的な『物質変換』からやってみましょうか。これには土を使うのが一番よ。土は変換させやすいの」


 リリーはそう言うと、足元の土を一掴み手にする。「見てて」と侑子に告げ、ほんの数秒その土に視線を注いだ。すると侑子にも見覚えのある光の粒が現れ、あっという間にリリーの手の中を覆い隠してしまう。そして土が全く見えなくなるとすぐに粒は弾け飛び、そこに真ん丸の白い玉が出現していた。


「この玉ね、魔力を注入する前の魔石に使ってるの。魔石を自作するときには、まずこうやって魔力の器となるものを準備するんだけど、私はいつも土から作ってるのよ。ご覧の通り、土ならとっても身近だしね」


 リリーは説明しつつ笑った。


「さっきまでそれ、ただの土でしたよね」


 侑子は白い玉を手にとって見つめた。確かに自転車に嵌っていた黄色の魔石を始め、今まで目にしてきた魔石とほぼ同じ大きさだった。固くつややかな表面は、土の感触も色もとどめていない。


「土を空っぽの魔石に物質変換させたの。何かを他の物質に変える魔法……これが魔法を使いこなすための、基本中の基本。学校に入りたての子供たちがまず練習する実践魔法ね」

「そうなんですか」


 侑子は目を丸くした。


「基本中の基本なんですか。これが」

「学校に入学する前からできている子も多いわ」

「……できるかなぁ」

「魔石を作ろうとしなくてもいいのよ。とりあえず頭で具体的に思い描けるものに変換させてみましょう」


 侑子はリリーがやったように、足元の柔らかそうな土を一握り手に取ってみた。賢一の家で畑仕事を手伝ったことがあったが、その時に触った土の感触を思い出した。


「量? 目分量でいいのよ。こだわらなくていい。目は瞑らないで……。慣れてきてそっちのほうがやりやすかったら瞑ってもいいけど。それまでは変換させる対象をしっかり見た方がいいの」

「魔力は血と同じように身体の中を隅々まで巡り、循環するものです。その循環の流れを変えて、土を持つ手のひらへ注ぎ込むイメージを持ってください」


 少し離れたところで見守っていたノマも、背後から助言してくれる。侑子は二人の説明の通りに集中した。


 しかし――――


 侑子が掴んだ土は、いくら経ってもその形を変えることはなかった。指の間から、ポロポロとこぼれ落ちていく。



◆◆◆



 その後、石や雑草など持つものを変えて試してみたが、どれも効果を出すことはできなかった。侑子の手に光の粒が現れることはなかったし、身体の中を巡っているらしい魔力が動く感覚もなかった。


「やっぱり私、魔法使えないんですかね」


 一生懸命アドバイスをくれるリリーとノマに申し訳なくなってきて、侑子は自然と声が小さくなった。

 夏の日差しの中、三人ともじわじわと汗ばんできている。

 日除けにとノマが組み立ててくれた大きなタープに守られながら、三人は氷を浮かべたグラスに麦茶を注ぎ、休憩しているところだった。


「そんなに暗くならないでよぉ。魔力があるのは確かなんだから、使えないってことはないと思うの。今まで一度も使ったことがないんですもの。身体の方が魔力の放出の仕方を知らないだけよ、きっと」


 レジャーシートの上に投げ出した足を組みながら、リリーは元気づけるように侑子の肩を叩いた。


「私だって、やろうとしたこともないのに突然バク宙してみろって言われたって無理よ。それと同じじゃない」

「そうですよ。それに魔法が使えなくても、案外困らないものです。さあ、どうぞ」


 穏やかな口調で微笑んだノマは、小さな重箱の中から植物の葉で包んだ丸いものを取り出すと、侑子に勧めた。


「私が作ったんですよ。魔法は使わずに、手だけで」


 にっこりと笑うノマに手渡されたものは、大きな笹の葉で包まれている。そっと葉を広げてみると、中にあったのは緑色の丸い草餅のようだった。


「わ! ノマさんの笹団子! やったー!」


 リリーは大喜びで頬張り始める。侑子も一口、齧ってみた。


「美味しい……!」


 柔らかく口あたりの優しい餅と中の漉餡がなめらかに解けて、口中に甘みが広がっていく。瑞々しさを感じる若葉の香りが鼻から抜け、侑子は思わず口元をほころばせた。


「お口に合いましたか?」

「とっても美味しいです!」


 ぺろりと一個を平らげると、ノマは「たくさんありますから」と次をすすめてくる。


「ノマさんが作ったんですか?」

「そうですよ。ジロウさんもお料理上手ですが、私も調理は好きなんです。特にお菓子作りは楽しいですね。この笹団子は祖母から母に、母から私にと代々教え継がれてきた、我が家の味なんです」

「これ本当に絶品よね」


 三個目の最後の一口を口に放り込みながら、リリーは笑った。


「教え継がれる料理は、魔法で伝えることができません。母も祖母もそのまた母も、ずっと手で作り口で教え、共に作ることで伝えてきたのです。材料を揃えるために山に入り、手で笹の葉や蓬を取り、手で汲んだ水を鍋で沸かすのです」


 重箱に綺麗に並べられた団子を、ノマは愛おしそうに眺めた。


「その工程に魔法は必要ないのです。なくても人を喜ばせ、笑顔に変えることはできるのですよ」

「そうね」


 ごちそうさま、と手を合わせたリリーが強く頷いた。


「魔法がなくても、そんなに困らないわね。これはジロウさんの受け売りだけど、美味しいもの食べられて笑っていられれば、大抵のことは大丈夫よ」



◆◆◆



 今日は猛暑になりそうだった。そのため三人の女達はタープをたたみ、屋内へと戻ってくる。

 魔法練習は侑子本人が気が向いた時にすればいいということでお開きとなったが、侑子は先程よりも幾分心が軽くなっていた。

 昼食を作るというノマの申し出に、待ってましたとばかりにリリーが「よろしく!」と返事をすると、彼女は侑子を自室へと案内した。


――リリーさんの部屋……


 その部屋は、侑子が初めてこの世界に足を踏み入れた場所だった。

 長く続く廊下の一番角に、その部屋へ続くドアはあった。銀色の丸いドアノブは、侑子もよく見知った、ごく普通の物だった。ドアは焦げ茶色の木製で、飾りや装飾は何もついていない一枚の板だ。


「緊張してる?」


 侑子の心は、リリーに簡単に見透かされた。


「ユーコちゃん、開けてみない?」


 銀色のドアノブに釘付けになっていた侑子の視線が、少しだけリリーに移り、そしてまたドアノブに戻った。

 頷いた侑子は、そっとドアノブを握ると、そのままそれを回しながら扉を開いた。



◆◆◆



 確かに期待していた。

 そのドアを再び開いたら、その先には自分の部屋が広がっているのではないかと。朝起きたそのままの状態で、ベッドの上のタオルケットは乱れたまま。枕元のぬいぐるみたちがこちらを向いて笑っているのではないかと。そしてそんな部屋を見て、やっぱり大丈夫じゃないか。やっぱり少し変わった夢を見ていたんだと、確信しながら足を踏み入れるのだ。ドアを閉めようと後ろを振り返ると、そこにクリーム色の髪の女性なんていなくて、ただ毎日見ていた廊下の壁が見える。


――やっぱり少しは……期待してた


 しかし、聞き馴染みのない他所の家のドアの開閉音を耳がとらえた。開いたその向こう側には、先日侑子が大きな戸惑いと共に目にしたのと同じ光景が広がっていただけだった。侑子の自室より広い畳部屋。カーテンは鮮やかな赤や桃色の薄布を重ねた見慣れない品物だ。ベッドは白い猫脚で、天蓋がついている――――知らない部屋だった。


「リリーさんのお部屋って、可愛いですね」


 胸に広がる絶望を追いやろうと、無理矢理明るい声を出した。


「天蓋付きのベッドなんて、私初めて見ました」


 心配そうな目線をリリーが送ってくるのは分かっている。それでもあくまで気にしていない風を装うつもりでいたが、そんな気負いはみるみるしぼんでいった。


「ユーコちゃん」


 自分の名を呼んだのは、部屋の主ではなかった。耳に馴染んだその声は、侑子がこの世界で一番たくさん耳にしていたもので、出会ってから二日しか時間を共にしていないとは思えないほど、安堵するものだった。

 振り向いた侑子は、せめて涙は流すまいとこらえる。我慢できたが、声は震えてしまったのが分かった。


「ユウキちゃん。やっぱり私、帰れないみたい」


 侑子を見下ろす緑の瞳の男は、その褐色の手で、そっと彼女の頭を撫でた。そしてリリーのしなやかな指先が肩を支えていてくれていたことに、侑子はその時やっと気づいたのだった。

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