帰れない
その夜、柔らかい寝具の中で、侑子はユウキが話していたことについて回想していた。
ユウキが経験した悲しい子供時代の記憶も、魔法で声を変えるという感覚も、自分の歌声を誰かに認められる喜びも、侑子には分からないものだった。
同じ夢を共有したことがどんな意味を持つのか知らなかったとしても、ユウキが侑子にとって特別であることは揺るぎない。彼がいなければ、侑子はこの世界で迷子のままだっただろう。
ユウキは侑子に対して強い謝意を示してきたが、侑子の方はいまいち実感がわかないのだった。
――私がユウキちゃんの人生を、良い方へ切り開く?
並行世界の存在も、魔法が実在することも、もう分かっている。世界も魔法も目に見えるし、触れることができた。しかし侑子は自分にとって一番近く、確実なはずの自分自身が信じられないのだ。
――ユウキちゃんにはお世話になっているし、助けてもらったのは事実。何か返せるなら返したいけど、人の人生を切り開くなんて大層なこと、できる気がしない……
ユウキは自分のことを買いかぶりすぎてやしないだろうか。期待に添えることができなかったら、一体どうしたらいいのだろうか。そんなことになった時のことを考えると、恐ろしくもある。身体は疲れているはずなのに、目が冴えてしまった。
何度か寝返りをうった後、侑子は諦めてベッドから起き上がった。
広縁に立って、障子窓と外側のガラス窓を開けてみた。湿気を含んだ重たい夏の外気が、庭の草木の香りとともに入り込んでくる。
手前の欄干に寄り掛かるようにして見上げると、ちょうど空の中心に月があった。月は満月ではなかったが、大小のクレーターが描く模様は、侑子がよく知っているものと同じだった。
「月は同じなんだ……」
もしかしたら全く同じ個体ではないのかもしれないが、侑子は自分がよく見知った姿の月を見て、どこかほっとするのだった。
「……もう本当に帰れないのかなぁ」
声に出すと、抑えていた心細さと絶望感が目を覚ます。朔也や母の顔が浮かんできて、目に涙が滲みだしたが、侑子は流れるままに任せようと思った。抑えない涙はポロポロと頬を滑り落ち、寝間着や欄干に跡を作った。どうにかしようにも方法は分からない。きっと元の世界には戻れないと思った方がいいのだろう。トコヨノクニのことを常識と捉えているこちらの世界の人だって、戻る方法は知らないようだった。実際に侑子と同じ立場の先人は、帰れなかったのだから。
まるでたった一人会うことが叶う元いた世界の知人に縋るように、侑子は月を見上げて泣き続けた。




