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君だから

 ユウキの親指が、侑子の目元にそっと触れた。こぼれ落ちそうになっていた涙を拭い去ったのだ。


「泣かせてごめんね。聞いてくれてありがとう。ユーコちゃん、さっき俺の歌声を褒めてくれたね。好きって言ってくれた。だから知ってもらいたいって、思ったんだ……(マタナ)なしの声で人前で歌う時、いつも母の声が頭の中に聞こえてくる。『その声を出すな。その声で歌うな。それはお前の声じゃない』って。違う。俺の本当の声はこの声だ! って反抗しながら歌っているんだけど、段々と『自分の本当の声ってどんな声だ?』って自信がなくなってくる。だから今日、ユーコちゃんが俺の本当の歌を聞いて、好きだと泣いてくれたのを見て、とても……とても嬉しかった」

「私はただ本当のことを言ったの。涙も流れて当然だと思った。それくらいユウキちゃんの声に力があった。それにジロウさんもリリーさんも、ユウキちゃんの歌声を認めてたよ。お客さんも心から拍手してた」


 だから自信を持ってほしい。魔法の声は人々を惹きつける力があるけれど、本当のユウキの声には人々の心を離さない力がある。侑子はそう感じていた。


「……多分君だから特別嬉しかったんだ。君が認めてくれたから」


 侑子の斜め上から、ユウキの続きの言葉が聞こえてきた。


「ユーコちゃんが、()()()()()()()()()()()()だから」

「どういうこと?」


 真意が読めなくなった侑子の問いに、ユウキは真剣な眼差しを向けてきた。


「昨日はあの夢のこと、俺たちが出会う予知夢って言ったけど……実はこの世界では、もう少し別の意味がある……はじめから話していなくて悪かった。聞いてもらえるかな」


 突然話題が自分に関わるものに繋がり、意表を突かれた侑子は、ユウキの言葉を摑み取る前に頷いていた。


「昨日ちゃんと教えなかったのは、後ろめたかったから」


 二人はゆっくり歩を進め続けていた。侑子はもちろん、ユウキも目的地があるわけではないのだろう。二人を見守るように月が後をつけてくる。


「後ろめたい?」


 侑子は意味をつかめないまま聞き返す。


「昨日はユーコちゃん……知らないことを一度に経験しすぎて、余裕なかっただろう。今日もそんなに変わらないかもしれないけど……。特に俺と夢の中でずっと会っていたって話の時には、酷く戸惑っていたようだったし。全部の意味を教えたら、もっと驚かせてしまうだろうなと思って。それに……やっぱり後ろめたかったんだ。俺にとって好都合な意味でもあったから」


 そこまで言い終えると、吐息と共に謝罪の言葉が聞こえた。


「ごめんね」


 侑子が隣を見上げると、緑色の瞳がこちらを見ていた。


「夢の記憶を共有していた人は、お互いの人生において、重要なキーパーソンとなるんだよ」

「キーパーソン?」

「そう。ユーコちゃんの世界には、そういう常識はないんだよね?」

「うん……」


 そうか、とつぶやき、ユウキは話を続けた。


「よくあるのは、親子やきょうだい。夢の中でよく会う子供がいるなと思っていたら、子供が生まれてその子が成長して、夢の中で会っていたあの子だったと分かった。夢の中で一緒に遊んでいた子供が仲良しの兄弟だったとかね。俺の周りで実際にあったのは、天職に就くきっかけをくれた恩師と夢の中でよく会っていたっていうのと、大病を治してくれた医師を夢で知っていたってケース。恋人や夫婦だったっていう、ロマンチックなパターンもあるよ」


 ゆっくりと語るユウキの言葉を、頭の中で反芻しながら侑子は歩いた。そしてやや興奮しながら返した。


「……すごいね。あたってる。確かにユウキちゃんは私の恩人。この世界のことが分からなくて、怖くて、どうしたらいいのか分からない限界のところで助けてくれたのは、ユウキちゃんだった。ユウキちゃんに会えたことでこの世界のことが少しずつ分かるようになってきたし、段々怖くなくなってきたんだもん」


 ユウキは優しく笑った。侑子の素直な反応は、自然と気持ちをほぐしていく。


「ユーコちゃんは俺が出てくる夢の中で、嫌な気持ちになったことある? 怖いとか悲しいとか」

「全然。いつも楽しくて、あの夢だって分かると嬉しかった」

「俺も同じ」


 もう一度笑みを向けてからユウキは続ける。


「人生においてのキーパーソンっていうのは、良い場合も嫌な場合もある。嫌な場合っていうのは、自分の死の原因を作る人物だったとか、大きな失敗のきっかけになる人物だったりするわけ」

「死?」


 侑子は目を見開いた。なんて恐ろしい予知夢だろう。


「ユーコちゃんと俺の場合は、絶対に違うよ。夢の中ではいつも幸せな気持ちにしかならなかったんだから。嫌なキーパーソンだったら、幸せとは真逆の気持ちでいっぱいの悪夢だったはずなんだ」

「それ本当?」


 確実な情報でないと困る、と侑子は思う。ユウキは頷く。


「本当。大丈夫、もうあやふやにしない。本当だよ……だからこそ後ろめたくて、君にちゃんと説明しなかったんだ」


 小さな公園が見えた。ユウキが「少し座ろうか」と誘い、二人は丸太を横倒しにした遊具の上に、並んで腰をおろした。

 東の空にやや欠けた月が光り、侑子はそれを見上げて、自分が元いた世界と同じ月だと思った。


「ユーコちゃんが夢の中で一緒に遊んでいた人なんだって分かって、やった! と思った。あの夢は吉夢だったんだって、嬉しくて飛び上がりそうになった」

「そんなに? そんなふうには見えなかった」

「抑えたからね。でも本当に興奮したんだ。この女の子は俺の人生を切り開いてくれる人なんだって分かったから」


 公園を照らす街灯は仄かだったが、今夜は月が明るいようだ。ユウキの瞳が強く輝いている。


「この声で――魔法で変えた他人の声じゃない自分の歌声だけで認められる夢。そんな夢を叶えられるのかも知れない。母親の呪縛から解放されるのかも知れないって、そう思ったんだ」


 耳に優しく触れるその青年の声は、喜びでうち震えているように侑子に届いた。


「たとえそんな希望実現を暗示した夢じゃなかったとしても、ユーコちゃんが俺の人生を良い方へ動かす重要人物なのは変わらない……そんな人との出会いを、嬉しいと思わないはずがないだろう?」


 そう語るユウキの綺麗に上がった口角は、すぐにふっと緩められる。


「だけどユーコちゃんは知らない世界に突然放り出されて、途方に暮れていた……俺の都合で利用するみたいに感じて、後ろめたかったんだ。だからさっき変身館で君の前で歌った後、ユーコちゃんが泣いているのを見て、確かめるまでとても怖かった」


 目線を上げた侑子は、こちらを見つめるユウキの真剣な表情を見た。


「もし君の涙が俺の声を否定する故のものだったら、もう歌えないだろうと思った。だけど、そうではなくてユーコちゃんは認めてくれた。好きだと言ってくれたよね。俺の本当の歌声を」


 ユウキの歌声は強烈な記憶となってこびりついていたので、すぐに引っ張り出して脳裏で奏でることができた。侑子は強く頷いた。


「歌を聞いて感動して泣いたのなんて、初めてだった。それくらい好きだと思った」

「ユーコちゃんがそう思ってくれたことが重要なんだよ」


 顔は笑っていたけれど、瞳は真剣なままユウキは締めくくった。


「本当の声で歌うことを諦めないって、ようやく気持ちを固められた。君のおかげだ」

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