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青い半魚人  作者: 松下真奈
第一章
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母と娘と息子

「母は娘が欲しかったんだ」


 帰り道。 

 街灯が照らす道を、二人で並びながら歩いていた。ユウキは唐突に、自分の過去の話を始めた。


「ユウキちゃんのお母さん?」

「そう。俺を産んだ実母ね。産んだ時、父はいなかった。父親は母の妊娠中にどこかに消えちゃったんだって。とんでもない奴だね」


 突然の悲壮な話題に侑子は言葉を失ったが、ユウキは笑みを浮かべていた。


「昨日ちょっとだけ話したね。もう少し詳しく、この話してもいい?……ユーコちゃんに聞いてほしくなったんだ」

「聞くことしかできないと思うけど、いくらでもどうぞ」


 コクコクと侑子は何度も頷いた。それくらいの反応でしか応えられないと思った。対してユウキはそんな侑子の様子にふふ、と小さく笑みを返すと、その表情のまま話を続けたのだった。


「母は我儘な完璧主義者だった。何でも自分の思い描いた通りにならないと気が済まない面倒な性格だった。自分の結婚相手も、その人と築いていく家庭も、何もかも理想通りにしたかったんじゃないのかな……だから夫にも逃げられたのかもね。他者に押し付けることしかできない人だ。そんな母の理想の一つは、かわいい娘を持つこと。そしてそんな娘に、自分の理想通りのフリフリの服を着せて着飾らせて傍らに置くこと」


 二人の歩幅はとてもゆっくりだった。商店街を抜けると、人通りがまばらになってきた。


「でも母の理想の家庭は、しょっぱなから失敗の連続だった。当然さ。夫に逃げられて、そして俺が生まれた。女の子を切望していたのに、産まれてきたのは息子。母はそれはもうがっかりしたみたいだったけど、俺はまぁまぁ可愛い顔した赤ん坊だったらしくて、気を取り直した母は俺を女の子として育てることに決めた」


 侑子は隣を歩く青年を見上げてみた。彼はうっすら笑っている。昨日は今が充実してるから過去なんて気にならないと言っていたけれど、そうではないのではなかろうか。笑っているけれど、その笑顔には影がさしている。それが夜に近づきつつある陽の光のせいだけではないように、侑子には映った。


「俺が言葉を喋りだした頃、母は俺にあの(マタナ)があることに気づいた。ある日俺は(マタナ)を使って人形遊びをしていたらしいんだよ。ドールハウスに女の子の人形を並べて、それぞれ違う女の子の声を充てて遊んでいたらしい……あの時の嬉しそうな母の顔、よく覚えているんだ。母は俺にこう言った。『今日から女の子の声で話して。その青いスカートの人形の声がいいわ。その女の子の声で話すのよ』って」

「そんな……」


 ショックで足が止まった。侑子は歪んだ口元をきゅっと引き締めた。


「でもその当時の俺は、ただ単純に母を喜ばせられたことが嬉しくて、それ以外何も考えていなかった。多分小さな子供ってそんなもんだ。母親との関係が世界の全てで、自分と母親の境界線すら薄い。だから母の喜びは自分の喜びでもあったんだ。疑問も持たずに、ただ言われた通り、青いスカートの人形の声で母と会話するようになった」


 ユウキも足を止めていた。二人で何もない道の片隅に立っていた。


「本当の自分の声が分からなくなるまで、(マタナ)を使って女の子の声で生活していた。けど、(マタナ)を使い続けると、当然魔力は消耗して底をつく。そうすると魔力が回復するまで、女の子の声が出せない。母はその間、ひどく不機嫌になった。口を聞いてくれないし、そういう時にしつこく話しかけると叩かれた」


 いつの間にかユウキの表情から笑顔は消えている。彼は言葉を切ると、侑子を見下ろして訊ねてきた。


「まだ話してもいい?」


 頷く侑子を確認してから、ユウキは再び歩を進めた。


「歩こう……そんな俺たち親子を心配してくれていたのが、ジロウさんなんだ。ジロウさんが当時大家をしてたアパートに俺と母は住んでいて、母が俺に理不尽なことで怒っていると、いつも庇ってくれた。魔力が消耗しきって(マタナ)が使えない時の俺の声を聞いて、『良い声を持ってるな』って褒めてくれた。母が留守にしている時、内緒で男の子の服を着せてくれたり、母が禁止していた男の子向けの絵本やおもちゃで、一緒に遊んでくれたりしてさ……あの時間、とっても楽しかったんだ。そして段々、自分が女の子じゃなくて、男の子だって自覚も芽生えてきた」


 黙々と歩いた。月が空に浮かんでいた。夏の夜のしっとりした空気が、身体にまとわりつく。


「スカートやワンピースを着ることに違和感を感じるようになって、長く伸ばした髪をリボンで飾ることを恥ずかしく思うようになった……一緒に遊んでた他の子供と明らかに違うんだから、当然だろ。だけど母にそういうことを伝えると絶対に叱られるから、言わないように我慢してた。けれどある日、母が新しく買ってきた女の子の下着を着るように言われた時、もう我慢できなくなった。(マタナ)で声を変えることも忘れて、『着たくない。気持ち悪い』って、拒否したんだ」


 ジロウの屋敷の前まで来たところで、二人は一度足を止めたが、ユウキは侑子の手を引いた。屋敷を通り過ぎ、二人はまた歩き始める。


「顔をひっぱたかれて、『その声をだすな! 私に息子はいない!』って怒鳴られた。同じようなことは日常的に言われてきたけど、あの日はそんな言葉に我慢できなくて、裸のまま家を飛び出した。それでそのまま、ジロウさん家に逃げ込んだ。ジロウさん、すごくびっくりしてたな。けどすぐに大丈夫、大丈夫って。男の子の下着に男の子の服を着せて、抱きしめてくれたんだ。いつ俺が来てもいいように、ちゃんと用意してくれてたんだ。俺が気に入ってた、ヒーロー物のキャラクターがプリントしてあるやつ。すごく嬉しくて、ずっとここにいる。ここにいたいって、大泣きしながら駄々をこねた」


 そこまで話して、再びユウキの表情に笑顔が戻った。緑色の瞳は穏やかに光り、侑子を優しく見下ろしてくる。


「それから俺は、正式にジロウさんの家で引き取られることになった。母はこの街から出ていって、今は新しく家庭を持ってるって話は聞いたけど、詳しくはどうしているのか分からない」

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