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歌歌い

 夕方からリリーが変身館で演奏するのだと聞いたのは、カフェで昼食を食べている最中だった。

 歌歌いとして客を呼び、毎月決まった報酬をジロウから受け取る。これがリリーの仕事なのだという。


「お客さんが来れば来るほど、給料上乗せしてもらうの」

「リリーは変身館で契約してる人の中で一番稼いでるよ。基本給だけだったことなんてないでしょ? 憧れるなー」


 ユウキは手伝いで変身館の仕事もするのだという。雑務や事務の他、歌い手としてステージに立つことがあると聞いたのは今朝のことだ。


「ユウキちゃんも契約してるの?」

「俺は空きが出たときの補欠みたいなものだよ」


 曖昧に濁して笑ったユウキに、リリーは首を振った。


「謙遜しちゃって! ジロウさんは卒業後に正式に契約させるつもりなんでしょう?」


 自信持ちなさいよ、とリリーは強い口調で続けた。


「あんたのステージ、評判いいのよ」

「でも仕事までジローさんに甘えるのもなぁ」

「そんな個人的な感情捨てなさい。使えるものは使えばいいの。運がいいのもコネがあるのも、すべて才能のうちよ。それにユウキはちゃんと音楽的なセンスも持ってる。(マタナ)の方を抜きにして、しっかり勝負できるわよ」


 ばんっと背中を叩かれ、ユウキは苦笑いした。


「リリーには敵わないな。ありがとう」


 形の良い唇の端を上げたリリーは、今度は侑子の方を向いた。


「ユーコちゃんは昨日、ユウキの曲芸見たのよね?」

「はい」

「じゃあ今日は変身館でのユウキを見てあげてよ」


 ね? っと自然にウインクをしたリリーは、くるりとユウキに向き直る。


「今夜一緒にやろう。決まりね。私始めに二曲歌うから、その後出てきて」


 有無を言わせぬ勢いだ。ユウキをうなずかせた後、二人は何やら打ち合わせのようなことを始めた。時折聴こえてくる二人のハミングをBGMに、侑子はホットサンドをせっせと食べたのだった。



◆◆◆



 侑子は薄暗いホールの片隅に、ジロウと共に立っていた。照明はほとんど落とされている。グランドピアノが置かれたステージだけが、切り抜かれたように仄明るく浮かび上がっていた。そして程なくして、その灯りもゆっくりフェードアウトしていき、客たちの話し声が静まっていった。


「そろそろだな」


 ジロウがニッと、笑みを浮かべてつぶやいた。


「注目注目」


 彼の太い親先が指し示す先――――ステージに視線を戻した侑子は、再びそこが明るくなるのを静かに見守った。

 ピアノの音が聴こえてきて、光量を上げたライトの先に、赤いドレス姿のリリーがいた。長い髪をアップスタイルに結い上げた細い首がわずかに揺れ、歌声が滑り出す。

 先ほどまで間近で聞いていた話し声よりも深く、低い音だった。ドスが効いた特徴的な低音から、嬌声のような高い声に唐突に変わる。鍵盤を叩きながら身体を揺らし、真紅に輝く唇からスルスルと歌が紡がれていった。

 

「リリーさん、綺麗……」


 自然と口からこぼれ落ちた侑子の感想に、ジロウはうんうんと頷く。


「うちの稼ぎ頭だからね。彼女目当てのお客さんって多いんだよ。エイマンくんみたいにね……。お、そろそろユウキも出てくるな」


 侑子は再びステージに目を戻した。



◆◆◆



 腰に巻く長い衣――ガラスの鱗が縫い付けてある、あの美しい布だ――それだけが、ユウキの昨日の衣装と同じものだった。その他は昼間着ていたTシャツとジーンズで、髪もそのままだ。黒い眼鏡は外していたので、素顔がよく見える。

 舞台袖からユウキが出てくると、下半身のガラスの鱗がスポットライトに照らされて、キラキラと輝いた。昨日は化粧と髪型の効果も手伝い、性別すら曖昧な別人に見えたけれど、今ステージに立つのは、紛れもなく一人の男だった。

 そんな彼の唇が動き、息を吸い込むのが侑子からも分かった。

 何の合図もなかった。しかしユウキの声が聞こえるのと寸分違わず、リリーの白い指が鍵盤を叩き始める。

 音楽が始まった。

 楽器はピアノだけ。

 そして全く激しい曲調ではないのに、歌うユウキが戦っている人にしか見えないのは、なぜなのだろうかと侑子はぼんやりと考えた。


――呼吸の音がうるさい


 無意識に息を潜める。いままで見たことのある歌う人とは、全く違う。その場を包み込むように深い音を孕みながらも、咆哮するような激しい表情を見せるからだろうか。観客の方を見つめているようで、もっと大きく、遠いものを見据えるような、鋭さも穏やかさも超越した不思議な目つきのせいだろうか。それともやはり、その声のせいだろうか。


――不思議な歌声……


 変身館では、(マタナ)を使わないという話は聞いていた。それは侑子にも分かった。確かに昨日の歌声と違って、ユウキだけの声である。

 きっと音楽的に説明すると、ものすごく広い音域を操れるということなのだろう。喋っている時よりもずっと低い、地を揺らすような低音を出したかと思うと、直後にソプラノ歌手さながらの美しいファルセットが突き抜ける。低い音も高い音もユウキは自在に操った。(マタナ)は使っていないはずなのに、まるで二人も三人も一緒に歌っているみたいだった。目を閉じて聴いていたら、きっと複数の人が交互に歌っているのだろうと錯覚するだろう。だけど確かに声を出しているのは、ユウキ一人だけなのだ。

 そんな彼は、昨日の噴水広場ではゆったりした雰囲気で時には甘い表情を浮かべて歌っていたのに、今は切羽詰まる表情だ。怒りすら感じさせる、燃える瞳をしていた。


 静寂が訪れて、一つの曲が終わったことを客に告げる。拍手と歓声が起こると、ユウキはその時初めて破顔した。こめかみに流れ落ちるのは汗の筋だ。そのまま拍手が収まると、すぐに次の曲の開始を告げるピアノが軽やかな旋律を奏で始めた。

 ユウキは一瞬瞼を閉じ、すぐ再び戦士の表情に戻っていった。


――戦場はどこだろう


 頭の中にそんな問いが生まれてくるのを、侑子は俯瞰したのだった。

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