再会
結果として、侑子の杞憂の一部はすぐに霧散する。
ジロウとユウキに伴われて訪れたライブハウス『変身館』のロビーにて、侑子は意外すぎる再会を果たすことになったのだった。
「あ……! あなた!」
一番はじめに気づいたのは、毛先がピンクに染まったクリーム色の髪の女だった。彼女は侑子の姿を認めると、ドドドと足音を響かせながら距離を詰めてきた。
「探してたの! 無事っ⁉︎」
その瞳を忘れるはずもない。白い瞳に黒い瞳孔。虹色に揺れ動く遊色。力強く両肩を掴まれた感触も忘れるほどに、侑子は驚愕していた――――この世界に来て初めて目にした人物が、今目の前に立っているのだから。
「落ち着いて。リリー」
そしてそんな女の後方に立ち、侑子の両肩を掴む手を外しながら嗜める人物を見て、更に侑子は固まるのだった。
「あ……」
恐怖よりも困惑のほうが大きかった。しかし、言葉を発することは難しい。
「やあ。一応……初めましてになるのかな。昨日は怖がらせてしまったようだった。まずはそのことをお詫びさせてもらえないだろうか」
侑子の様子を見て眉根を下げたその人は、昨日とほぼ同じ服装だったのですぐに分かった。そう、あの五叉路で侑子に声をかけてきた男だったのだ。ブロンドの髪と青い瞳の青年だ。肌の色や顔つきは白人というより東洋人のようで、口から発せられた言葉も、違和感のない日本語だった。
「どうして……」
そう声に出すのがやっとだった。幸いすぐ隣にユウキが、後方にはジロウが立っていたので、震えることはなかったが。
「んん? どういうこと?」
三人のやり取りを困惑しながら見守っていたユウキとジロウは、事情を飲み込めていなかった。
◆◆◆
「とりあえず座ろう」とジロウが提案し、全員で応接室に移動した。
横長のテーブルを囲むように五人が椅子に着席すると、まず言葉を発したのはユウキだった。
「もしかして、もう顔見知りだった?」
軽い口調はわざと場を明るくするためだろう。隣に座る侑子に向かって笑顔を向ける。
「大丈夫。変な人達じゃないよ。リリーはここで契約してる歌歌い。エイマンさんは……リリーのパトロン? 恋人に昇格したんだっけ? まぁ、そんな関係の人だよ」
「ちょっとユウキ! 妙な紹介の仕方しないで。パトロンでも恋人でもないから。腐れ縁だから」
遊色の瞳の女が食い気味に訂正する。その隣のエイマンと呼ばれた青年は、満更でもなさそうに微笑を浮かべていた。
「……私がこの世界に来たときに、一番初めに会った人なの」
強張っていた身体から、大分力が抜けてきた気がする。
侑子は目の前に座るリリーの瞳を、凝視しない程度に観察した。既に遊色の瞳の人間は他にも目にしていたし、奇抜な格好の人々にも慣れてきた。やはり不思議な目だと感じることには変わりないが、恐怖心は湧いてこなかった。彼女の低めの声が耳に心地良かったのと、ユウキに対して親しげな口調だったことが大きかったのだろう。
「一番初め? じゃあ、ユーコちゃんが自分の部屋のドアを開けて繋がっていたっていうのは、リリーの家だったの?」
目を丸くしたユウキとは対象的に、ジロウは明るく笑っている。
「なぁんだ。ツイてたじゃないかユーコちゃん。そりゃ話が早いぞ。リリーのパトロンのエイマンくんはな、政治家のはしくれだからな。透証の発行手続きなんて、ちょちょいのちょいだぜ」
「だからあ、パトロンは違うって!」
説明させなさいよ! と続けるリリーは、自分とエイマンの関係を腐れ縁と再び訂正する。続けて咳払いを挟んで、侑子がドアを開けてやってきたところからの説明を始めたのだった。
◆◆◆
所々で話者を交代しながら、侑子がこの世界へのドアを開けてから今に至るまでの話が一段落した。
その後一番最初に口を開けたのは、エイマンだった。
「本当にすまない。想像以上に怖がらせてしまったようだね」
再び自分に向かって頭を垂れようとする青年を、侑子は慌てて止めた。既に何度もそうされていたのだった。
「いいんです。何も聞こうとしないまま逃げたのは、私なんだから」
「でも私のせいで怪我までさせていたなんて、本当に申し訳なくて……」
「かすり傷です。それに、ユウキちゃんが手当してくれました。本当に大丈夫です」
この世界での心配事が一つ解消されたことの方が、侑子にとっては重要だった。
聞けばエイマンは、リリーからの依頼で侑子を保護するべく探していたとのことだった。ただならぬ様子で飛び出していった侑子のことを、リリーは心配してくれていたのだ。ユウキが説明していたように、侑子の魔力は無色透明。その稀有な特徴を頼りに、街中探し回っていたのだという。
「先程ジロウさんが私のことを政治家のはしくれだと紹介していたが、正確には違う。確かに私の父は現政権与党の党員だが、私自身は党員ではない。たまに雑務の手伝いをさせられはするが、それだけだ。リリーとは親同士が学生時代の友人で、その延長で昔から付き合いがある。それとは別に、彼女のファンでもあるんだがね」
堅い話し方だが表情は柔らかく、優しい印象を与える人物だった。そんなエイマンの言葉を引き継ぐように、リリーが口を開いた。
「私、歌歌いなのよ。変身館で専属契約してて、ほぼ毎晩歌いに来てるの。ユーコちゃん、あなたがドアを開けて入ってきたのはね、私の部屋。びっくりしたけど……あなたが家を飛び出していってしまってから、すぐにピンときたわ。トコヨノクニかも……って。それですぐにエイマンに連絡したの。こいつトコヨノクニオタクだから、詳しいはずだと思って」
『歌歌い』というのは職業名称のことらしい。要するにミュージシャンのことだろうと侑子は見当をつけた。ユウキが目指す職業もそれだという。
「オタクって……否定はしないが。個人的に興味があって、普通の人よりは知識を持っている自負はある。父の仕事も仕事だから、情報も手に入れやすいんだ」
「そうなんですか?」
侑子は期待を込めた視線をエイマンに送りながら、無意識に身体が前のめりになった。
「じゃあ、私の他にもトコヨノクニ……からやってきた人を知ってます?」
その質問に対しては、エイマンは申し訳なさそうに表情を曇らせた。
「……すまない。それは私も知らないんだ。私が直接会うことができたあちらからの人間は、ユーコさん、君が初めてなんだよ」
「そうですか……本当に珍しいんですね」
肩を落とす侑子を励ますような優しい視線を、エイマンは送った。
「父は若い頃、君と同じ世界から来た男性と友人同士だったんだ。向こうの世界について、色々なことを教えてくれたそうだよ。私もその話を聞いてから、トコヨノクニとはどのような場所なのだろうかと興味を持ったんだ」
「そうなんですね。その人は今、どうしているんですか?」
侑子の何気ない問に、エイマンははっとして、みるみる眉間にシワを寄せてしまった。
「……亡くなったんだ。突然のことだったらしい……」
場が凍りついたように、全員が押し黙った。
侑子は今更思い当たった絶望的な可能性に、頭を強打された気分だった。
「死んだの……この世界で」
侑子と同じようにこの世界に迷いこんだ誰か。
時代は違っても自分と同じ世界を生きてきた誰か。
その人はどれくらいの期間をこの世界で生きてきたのだろう――元いた世界へ戻ることなく、迷い込んだこの国で人生を終えるまで。
――なぜ今の今まで、思い至らなかったんだろう……元の場所へ戻れないかもしれない可能性があるって
いや、どこかでその可能性を感じつつ、考えることすら拒否して忘れていたのかもしれない。しかし今目の前にその現実が実際に広がっていることに、もう目を逸らさずにはいられなくなってしまった――――これから死ぬまでの時間を、この世界で生きるしかないのだという現実を。
「……来たからって、帰れるとは誰も言ってないですもんね」
――来れるとも誰も言ってなかったけど……不可解な現実って、どこまでも不可解なんだ……
喋りながら思考がぐるぐると回り始めた侑子の左手が、唐突に温かいものに包み込まれた。手の甲を見えなくなるほどすっぽり隠したそれは、ユウキの手だった。
「とりあえずエイマンさん。ユーコちゃんの透証がほしいんだけど。諸々の手続きお願いできるかな」
沈黙を破った声は、空気を裂くように凛と響く。
エイマンは強く頷いた。
「ああ、任せてくれ。すぐに準備できると思う」
「頼むな、エイマンくん。役所で一から事情説明するより、君のほうが早そうだと思ってね」
「その判断は正解ですよ。私なら無駄な中継連絡も必要ない……ユーコさん」
エイマンは侑子に語りかけた。
「気遣いもできず、重ね重ね申し訳ない。君が不自由なく過ごせるためにできることがあれば、遠慮なく申し付けてほしい」
「ありがとうございます」
誠実な人物なのだろう。侑子も素直に頷けた。




