本当の声
ジロウはライブハウスを経営しているのだという。
侑子は元いた世界でも訪れたことのない類の店だが、二つの世界でのライブハウスの定義に大きな違いはなさそうだ。
ただジロウのライブハウスは、通常のものとは少し違った使われ方をしているそうだ。彼に言わせると、『子供から老人まで全世代にオープンに』をモットーとしているらしい。音楽好きの客だけでなく、広く地域に開かれた場を目指しているのだという。夕方から明け方にかけてはバンドマン始め音楽家のパフォーマンスを行う場として機能させる一方で、昼間は老人会や幼稚園のイベントに貸し出したり、地域住人の交流活動の場として提供している。そのために商店街の中に位置しており、誰でも立ち寄りやすい工夫をしているのだそうだ。
「俺も時々歌わせてもらってるんだ」
約束の時間まで余裕があったので、侑子はユウキと庭先で談笑していた。
館の庭は広く、手入れが行き届いた花壇や畑があった。その一角に心地よい日陰を作る東屋があり、そこで二人は向かい合って座っている。
「昨日の曲芸をやってるの?」
青い鱗の衣装と、幾多の人の声に変化する、不思議な魔法が思い起こされた。
「いや」
ユウキは薄く笑みを浮かべて、否定した。
「ライブハウスでは、あの才は使わないって決めてるんだ。あの魔法を使うのは外で歌うときだけ。歌も伝統的な古いものは、外でだけ。ライブハウスでは自分で作った歌を歌うし、自分の声だけで歌うことにしてるんだよ」
ユウキは立ち上がった。そして大きく息を吸い込んだかと思うと、突然発声した。「あ」の音を、音階に乗せて順番に高くしていく。地鳴りのような低い「あ」から、空を突き抜けるような高い「あ」まで――――何段もの音の階段が、ユウキの口の中から続いていくようだ。
「わあ……」
その長く細かい「あ」の階段に、侑子は思わず目を見開いてしまう。それは確かにユウキ本来の声だと分かるが、高音と低音の極限に迫れば迫るほど、彼の要素が薄くなっていくのだ。
ユウキは自らの声を音の階段に乗せて、二往復させた。
「これが素で出せる全部の音」
ふうと息をついて、彼は侑子の隣に腰掛ける。
「この声だけで稼ぐこと。それが目標なんだ。あの才は珍しいし、人の興味を引くのは確かだよ。だけど本当の自分だけで認められたほうが、やっぱり気持ちいいから」
今度は座ったまま息を吸い込んだユウキは、侑子の知らない歌を歌った。ゆっくりしたテンポで、彼だけの声が気持ちよさそうに広がっていく。
「魔法のことはよくわからないけど」
侑子は昨日からのことを思い出しながら、口にした。
「私は魔法で変えたユウキちゃんの歌声より、こっちのほうが好きだな」
幾人もの人が歌いつなぐように聞こえる魔法の歌声には、確かに驚かされたし、純粋に面白いと感じた。
しかし、ただ聴いていたい。もっと歌を聞かせて欲しいと純粋に思わせるのは、間違いなく彼本来の声だった。
「ありがとう」
隣に座って二人とも前を向いていたので、そう返したユウキの表情は、侑子からは分からなかった。




