必然
テントの中で眠る時は、四人で雑魚寝だった。背の低いヤチヨとコルを真ん中にして、侑子とヤヒコが両端に横になる。
メムのテントは大きいので窮屈さは感じなかったが、隣で眠るヤチヨは非常に寝相が悪かった。侑子は端へ端へと追いやられ、夜半にテントの支柱に当たって目を覚ますことが度々あった。
「ヤチヨちゃん、お腹は冷やさないほうがいいよ」
豪快にはだけた腹部を直してやるが、ヤチヨが起きる気配はない。上掛けを掛け直し、侑子も再び横になった。しかし今夜は目が冴えてしまったのか、なかなか寝付けなかった。
明日も長い距離を歩くのだから、休まなければいけない。せめて身体を横たえているべきだと分かっていたが、侑子はテントの外へ滑り出ていた。
「本当にすごいなあ」
周りに灯り一つない山の夜。頭上には満天の星空が広がっている。乳白色の天の川がくっきりと見え、大小様々な星々が瞬いていた。
再びヒノクニに来てから、賑やかな星空は毎夜のように見てきた。まだ一度も、王都どころかヒノクニの市街地にすら足を踏み入れていないのだ。
ユウキからの手紙には、巡業中の車中泊で見た夜空について書かれたものもあった。
――きっとこんな夜空を、ユウキちゃんも見ていたんだろうな
あの時ユウキが見ていた空と、同じ世界の星空を見上げている。その事実だけで、侑子は愛しい人との繋がりを感じることができた。
月の船の和歌が頭に浮かび、侑子は小声で古い歌を口ずさんだ。
精霊は幸せを運んできてくれるだろうか。
「眠れない?」
後ろから声をかけたのはヤヒコだった。
「目が冴えちゃって」
ヤヒコは声を抑えて笑った。
「悪いな。チヨのやつ、昔から寝相がすこぶる悪いんだ。明日からあいつを端にしよう」
「大丈夫。いつもはすぐに眠れるの。今日はたまたまだから」
「少し話でもしようか。眠くなるまで」
ヤヒコは侑子が腰掛けていた切り株のそばに、ゆっくりと腰を下ろした。
「何か聞きたいことはある? 一緒にいられる間だけだぞ。メムのことなら何でも話してやる」
ランタンの光が二人の顔を下から照らした。真夏とはいえ深い山の夜は肌寒い。侑子は肩掛けを整え、メムの里で聞いた様々な話を思い返した。
「ランさんが、メムは導く民って言ってた。昔からあなたたちは、こんなふうに迷子の来訪者の案内人をしてきたの?」
「大昔はそうだったのかもな。俺は知らないけど。少なくともここ百年くらいは、来訪者たちもメムの存在を知らなかったんじゃないのか?」
「そうなの?」
「ユウコだって一度目の来訪の時、ずっと知らなかっただろう」
意外な答えに侑子は目を丸くした。眠くなるどころか、ますます冴えてくるではないか。
「接点がなければ、ないままなんだよ。そんなものだ」
フクロウの鳴き声が聞こえた。すぐ近くのようだが、その姿を見つけることはできない。
「必要が出てきた時に導くんだ。移動はメムの最も得意とするところだからな。来訪者に限ったことじゃないよ。……『カギ』の守役。彼らを移動させるのも、昔はずっとメムの役目だったらしい。近代になって交通網が発達してからは、守役とメムの関わりも薄くなりつつあったけど、あの政争をきっかけにまた関係が復活したんだ」
『カギ』の守役については、メムの里に滞在している間にも断片的に聞いていた。
三種の神器の一つ『カギ』を王に代わって守る者。なぜか王と同じ場所に留まり続けることのできない不思議な神器を守り、時にはその力を解放してトコヨノクニへ繋がる扉を解錠する。
「平空政争の時、『カギ』を狙う人たちから守役を匿っていたの?」
ヤヒコは頷いた。
「空彩党に目を付けられたんだろうな。『カギ』のありかは知られてはいけない。守役は行方をくらませた。しばらくは王と縁の深い神社で匿われていたみたいだけど、そこも襲撃された。『カギ』の力を解放して扉を開いたことで、追っていた連中に気取られたらしい」
襲撃を受けた神社というのは、きっと紡久が発見された場所だろう。玄関のドアを開けたら火の海だったと語った、彼の話を思い出す。
「そこの宮司は優秀だったんだろう。なけなしの魔力を使って、守役を一番近くのメムの拠点まで逃したんだ。転移魔法……知ってるか? かなり高度な魔法だ。使える者は一握り。……彼は襲撃現場から逃げることができず、補佐していた息子と共に、そのまま命を落とした」
「……神社の人たちは、メム人の存在を知ってるの?」
「全員じゃないだろうがな。神職以外の一般人より、知っている人の割合は高いだろうね。王は元々、神職と縁の深い血筋だから」
そこでヤヒコは、一度話を区切った。
「話を戻すけど、『カギ』の守役は最近まで俺と行動を共にしてたんだよ。襲撃から逃れてからずっと。七年ほどね」
「どんな人なの?」
侑子の問いに、ヤヒコはその人物を思い浮かべたのだろう。優しげな笑みが顔に広がった。
「普通のおばさんだよ。宝石みたいな綺麗な瞳をしてるんだ。俺やチヨのことは完全に子供扱いでさ。俺たちより少し年上らしいけど、子供が二人いるんだって。兄と妹。子供たちのことを思い出すんだろうな。いつも優しくて、自分のことより他人を優先しがちな人だ」
「家族とは離れ離れなの?」
「政争の最中、娘だけ王都に残して脱出したんだ。守役であることは夫と息子には明かしていた。何も知らない娘だけ、置いていくことになったらしい」
どこかで聞いたことのある話だった。
さらに目が冴えてしまった。侑子は「念のため」と心の中で前置きしてから、ヤヒコに尋ねた。
「名前は?」
侑子の胸中など知る由もなく、ヤヒコは答えた。
「タイラ・ミネコ」
「たいら……」
大きな表札が記憶に蘇った。立派な大理石に彫り込まれていた名字は、『平』。
七年前、初めてこの世界に降り立った場所。
あの家で出会ったのは、家族に一人取り残された宝石の瞳を持つ女性だった。
「平さゆり」
侑子が発した言葉を人名だとヤヒコが理解するまで、少し時間がかかった。
「私が前回やってきたのは、平さゆりさんの家のドアからだった」
満天の星の下、ランタンの灯りに照らされたヤヒコの頬が上気したように見えた。
「リリーさんは、ずっと家族の帰りを待っていたよ」
『リリー』は本当の名前ではないの、と侑子に教えてくれたのは、彼女の家で魔法の練習をしていた頃だった。
『本名は“さゆり”っていうのよ。リリーはニックネームみたいなものだったけど、そのまま芸名に使ってるの。さゆりって呼ぶのは、ほとんど家族だけだったから、今では本名で呼ばれることはなくなっちゃったわね』
「そうか……」
ヤヒコはしばらく考え込み、やがて呟いた。
「ユウコ、お前はミネコさんが残してきた『カギ』の神力の名残を伝って、やってきたのかもしれないな」
「神力の名残?」
「『カギ』が守役と一緒に長く過ごした場所だ。そこに何かが残っていても、俺は不思議じゃないと思う」
誰にも気づかれることなく、家の中に残り続けていた力。それが本当に存在したのか、侑子には分からない。
けれど、もしそうなのだとしたら。
あの日あの場所で扉が開いたことまで、ただの偶然ではなかったことになる。
「……必然だ」
ヤヒコは夜空を仰いだ。
「ユウコがやってきたことも、二回目があったことも、異世界の間で手紙を送り合えたことも。全部に理由があったのかもしれない。『カギ』が……いや、もっと大きな何かが、お前をここへ動かしたのかもな」
「大きな何か?」
「普通、そういう存在は神って呼ばれてるんじゃないのか。俺にはよく分からないけど。世の理を定めた何かと、同じだったりして」
ヤヒコにつられ、侑子も夜空を見上げた。
月の船が、星の林へ漕ぎ入っていく。
輝く星々が無数の目のように見えた。自分たちの営みを、遠いところから眺めている目。
「俺たちはそいつの手の上で、踊らされているだけなのかもな。面白くねえ」
低く呟くヤヒコの声が、侑子の耳にいつまでも残っていた。




