導く無機物
ユウキの『家』である狭い蔵の中を、能天気な音が飛び交っていた。
ピィ、プゥ。
玩具の鳴き笛のようなその音は、彼らを生み出した本人でさえ、仕組みは分からないと首を傾げていたものだ。
その不思議な音を、侑子は『声』と呼んでいた。
六年前まで、ユウキにとっては日常の中にあった音。
時空の果てへ帰っていった少女と共に、失われてしまった音だった。
「お前たち、どうして……」
やっと声を絞り出すと、一斉にボタンの目がユウキへ向いた。
何対ものプラスチックの目が彼を見上げ、次の言葉を待っている。
形は様々だった。
クマ、ウサギ、ヒヨコ、ネコ、イヌ、ペンギン。
侑子は一本の糸から、様々な動物を形作った。
そしてどのあみぐるみにも、青い硝子の鱗がついている。
最初はユウキが気まぐれで飾りつけただけだった。ところが侑子があまりにも喜んだので、新しいあみぐるみが完成するたび、青い硝子の鱗を飾るのが習慣になった。
「……どうして動いてるんだ?」
その問いを口にするだけで精一杯だった。
――あの子がいなくなってから、ずっと死んだように動かなかったのに
死、という言葉が頭をよぎり、ユウキは目を見開いた。
「魔力……お前たちの中の魔力は?」
かがみ込むと、考えを読み取ったように数体のあみぐるみが手元まで進み出てきた。
いずれも、防視の効果を持つ飾りボタンが外れている。
ユウキは息を呑んだ。
淡いオーロラのような光が、あみぐるみの身体から揺らめいている。
一体をそっと手のひらへ乗せた。
やはり見える。
この六年間、いつだって探していた光。
ずっと求めていた気配。
それが確かに、今ユウキの手の中にあった。
「ユーコちゃん……」
彼女が出てくる夢を、いつも乞い願いながら眠りについた。
けれど今だけは、絶対に夢であってほしくなかった。
――夢じゃありませんように
プゥ、プゥ。
いつの間にか肩へ上っていた一体のクマが、ユウキの頬をつついた。ふかふかした綿の感触が、呆然としていた意識を引き戻す。
クマの手が指す方を見ると、大きめのウサギが机の上で鉛筆を両腕に抱えていた。
その下にあるのは、書きかけの譜面だった。まだ音符のない五線の上へ、ウサギは何かを描いている。
覗き込む。
線の少ない簡単な絵だったが、何を表しているのかはすぐ分かった。
「リュック? 寝袋、ランタン、缶詰……これはテント?」
一つずつ確認するたび、あみぐるみたちが肯定するように鳴く。
「どういう意味だ?」
鉛筆を抱えたウサギは、道具の絵をまとめて大きな丸で囲んだ。その横に矢印を引き、さらに大きく二文字を書く。
『イケ』
そして、もう一つの矢印。
その先に書かれた三文字を見た瞬間、ユウキは言葉を失った。
ピィ! プゥ!
あみぐるみたちの声が、ユウキを鼓舞するように大きく響く。
ユ ー コ
一際大きく書かれた三文字。
ユウキは息をするのも忘れて、その文字を見つめていた。
やがて、震える指先で、そっと三文字をなぞった。
◆◆◆
「落ち着け」
少し前に帰ったはずのユウキが凄まじい形相で戻ってきたものだから、ジロウは腰を抜かしそうになった。
しかも担いできた行李から、あみぐるみたちがわらわらと湧き出してくる。
「何があった? ……こいつら、なんでまた」
「ユーコちゃんだ」
「は……?」
「ユーコちゃんの魔力が戻ってる。こいつらが、迎えに行けって」
「おい」
「行かなきゃ」
「ユウキ」
ユウキは納屋の鍵を開け、中から登山用具やキャンプ用品を次々と引きずり出していた。震災後、住む場所を失った人々を助けるために何度も使われた道具だ。
あまりにも常軌を逸した様子に、ジロウはユウキの両肩を掴んだ。
「ちゃんと説明しなさい!」
こんな口調になるのは何年ぶりだろう。
幼いユウキの親代わりになってから、もう二十年近くになる。
ユウキはそこでようやく動きを止め、まともに養父の顔を見た。
「ジロウさん……」
声が震えている。瞳孔も開いていた。
ぴぃ、ぷぅ、と場違いなほど気の抜けた音が、あちこちから聞こえてくる。
「説明してくれ」
今度の声は、懇願に近かった。
ユウキは唇を引き結び、ようやく頷いた。
◆◆◆
話を聞いたのは、その日のうちにジロウのもとへ集まることのできた者たちだけだった。
ジロウのほかに、ノマ、スズカ、アミ、紡久。
「信じられない……」
アミの呟きに、誰もが同じ思いだった。
しかし、その言葉を否定する無機物が何体も、彼らの囲むテーブルの上を右往左往している。
「でも本当に……本当に、ユーコちゃんの魔力だ」
ボタンの外れたヒヨコを両手に乗せ、スズカが微笑んだ。
「懐かしい。ふふ、本当にかわいい。ユーコちゃん、編むの上手だったよね」
その頬に、はらはらと涙が零れ始めた。
ヒヨコが不思議そうに彼女を見上げる。
「大丈夫ですか」
ノマに背中をさすられ、差し出されたハンカチで涙を拭いながら、スズカは肩を震わせた。
「ごめんなさい……いろいろ思い出しちゃって。ユーコちゃんがいた頃、本当に今とは全然違ってた。そんなに昔のことには思えないのに……やっぱり随分、時間が経ったんだなって。いろんなことが変わっちゃったから」
止めようとするほど、涙は溢れてくる。
スズカの周りにあみぐるみたちが集まってきた。俯く彼女の頭や肩を、柔らかな手で撫でるものもいる。
やがて、あみぐるみたちまで鳴くのをやめた。
静かな嗚咽だけが部屋に残る。
「連れてくるよ」
ユウキの声が静寂を破った。
紡久の膝には、大きなクマが座っている。侑子が編んだ中で最も大きなそのクマは、再び動き出してからも以前の記憶を残しているのか、紡久にすっかり懐いていた。
「ユーコちゃんを、連れ帰ってくる」
ユウキの髪には、もう黒く染めた部分は残っていない。切ることさえ億劫だったのか、前髪は緑の瞳にかかり、後ろ髪もうなじを隠すほど伸びていた。
六年前とは、顔つきも変わった。
特にこの二年間のユウキは、生きることそのものに投げやりになっているように見えて、ジロウはずっと心配していた。
けれど今、その顔に懐かしい生気が戻っている。
止められないだろう。
いや、止めてはいけないのかもしれない。
「どこに迎えに行くんだ?」
真っ先に反応したのは、スズカの肩に乗っていた白クマだった。
背中の青い鱗を揺らしながらテーブルへ飛び降り、片手を上げてぴょんぴょんと跳ねる。
「こいつらが道案内してくれるんだよ」
ユウキが笑った。
「そうだろ?」
ぴぃぴぃ!
あみぐるみたちが一斉に声を上げた。




