発見
目的もなく瓦礫の中を歩くうち、侑子はかつて遊園地だったであろうその場所に、奇妙な既視感を覚え始めた。
――何だろう。道の並びも、アトラクションの位置も……なんとなく似ている
そんな馬鹿な、と思う。けれど異世界との行き来を体験している時点で、既に馬鹿馬鹿しいほどの驚異を目の当たりにしているのだ。
侑子はランタンを掲げ、もう一度辺りを見渡した。
月明かりの下に浮かぶ観覧車。その足元に並ぶ、錆びついたコーヒーカップ。
胸の奥がざわめいた。
――この場所……
記憶の中で、朽ちた景色が鮮やかな色を取り戻していく。
――ここは夢の中でユウキちゃんと遊んでいた、あの遊園地だ……
一度気づいてしまうと、もう偶然とは考えられなかった。
侑子は先ほどのコーヒーカップまで戻った。
「本当に、存在していたんだ」
空想でも幻覚でもなく、確かに触れることのできる物体として、そこにある。
既に動きを止めてから長い時間が経っているのだろう。それでも侑子の手は、確かにそのハンドルを握ることができた。
青い半魚人と自分を乗せて、ぐるぐると回転したコーヒーカップだった。
「ユウキちゃん……」
カップの中に腰を下ろすと、夢で体感していたよりもずっと狭く感じた。侑子が成長したからだろうか。
「ユウキちゃん、戻ってきたよ」
ハンドルは錆びついていて、少しも動かなかった。回転しないコーヒーカップから見えるのは、夢の中とは似ても似つかない、朽ち果てた景色だけだ。
それでも今度は、目を覚ますことはない。
「会いに行くよ」
立ち上がった侑子に、迷いはなかった。
月明かりと小さなランタンの光だけを頼りに、侑子は一度も足を止めることなく入場ゲートまでたどり着いた。遊園地の中だけなら、自宅の庭のように勝手が分かる。夢の中で、何度も何度も同じ道を歩いたのだから。
――半魚人と一緒に
しかし、朽ちたゲートの向こうには道らしい道も見えなかった。鬱蒼と茂る木々の上には、高い山の影がそびえている。
侑子に分かるのは、遊園地の中までだった。その先をどう進めば王都へたどり着くのか、見当もつかない。
それでも、もう立ち止まる気はなかった。
魔法もある。きっと何とでもなる。
――ユウキちゃんのところへ、帰るんだ
侑子は振り返り、もう一度だけ朽ち果てた遊園地を瞳に映した。
――ここには半魚人はもう、いないから
もう二度と動くことのない観覧車の丸いシルエットが、月夜に浮かんでいた。
――会いに行かなくちゃ
侑子は再び前を向いた。
◆◆◆
次の瞬間だった。
「わっ」
びくりと身体を強張らせた。
いつの間にか、目の前に小柄な少女が立っている。
足音も、人の気配もなかった。それどころか、少女の背負った大きなザックには鈴まで吊り下がっているのに、その音すら聞こえなかった。
――いつから、そこにいたの?
一見すると登山者のようだった。小柄な身体には不釣り合いなほど大きなザックを背負い、腰から下げたランタンが明るい光を放っている。
長い黒髪は一つにまとめられ、肌は抜けるように白い。長いまつ毛に縁取られた瞳は黒く大きく、化粧っ気のない赤い唇は形よく艶めいていた。
同性の侑子でも状況を忘れて見惚れてしまうほどの、美しい少女だった。
リン。
鈴が鳴った。
少女が一歩、侑子へ歩み寄ったのだ。
――やっぱり鈴がついてる。じゃあ、どうして今まで聞こえなかったんだろう
どうやって自分の前に現れたのだろう。第一、なぜこんな夜に一人でこのような場所にいるのか。
侑子がその不可解さを不気味さへ変換するより先に、少女が急接近してきた。
そして突然、侑子の頭から布のようなものを被せた。
「えっ!? 何?」
予想外の行動に戸惑い、侑子は咄嗟に視界を遮った布を取り払った。紗のように薄く透ける布地が、ふわりと宙を舞って地面へ落ちる。
それを見た少女は、悲しそうな、焦ったような表情を浮かべた。何かを伝えようと口を開くものの言葉にはならず、もどかしそうに小さく声を漏らす。
「ア、ア、ア」
音程の定まらない、声というより何かの楽器のような響きだった。
少女は両手を侑子へ向けて「待って」とでもいうような仕草をすると、首から提げていた小さな板状のものを手に取った。
メモタブレットのようだ。少女がその上にペンを走らせるのを、侑子は落ち着かないまま見守った。
――危害を加えようとしてるわけじゃ、なさそう……
少女は侑子より年下に見える。大きなザックを背負ってはいるが華奢な体つきで、少なくとも今のところ敵意は感じられなかった。
やがて書き終えた少女が、タブレットの画面を侑子へ向けた。
白く光る文字が浮かんでいる。
(こわがらないで。あなたを助けたい)
侑子は思わず画面を見つめた。そこに書かれていたのは、ひらがなと漢字で構成された見慣れた日本語だった。
侑子が少女へ視線を戻すと、彼女は一度頷いて再びペンを走らせた。
(私はヤチヨ。あなたは?)
「侑子。五十嵐侑子」
侑子の表情から力が抜けたのを見て、ヤチヨと名乗った少女は嬉しそうに笑った。
「ゥ。ウ」
侑子の名前を発音しようとしたのだろうか。ヤチヨは恥ずかしそうに微笑み、唇の形だけでもう一度侑子の名を呼んだ。
その笑顔があまりにも屈託なく、侑子は呆気に取られた。
しかし、次に示された文字を見て息を呑む。
(あなた、ここじゃない場所から来た? トコヨノクニから。まちがいない?)
「何で、知ってるの……?」
――逃げるべきか?
リリーに初めて会った時の記憶が蘇った。あの時も侑子は、この世界で初めて対面した人間から逃げ出したのだった。
見たところ、ヤチヨから敵意や悪意は感じられない。それどころか、初対面とは思えないほど親しげに見える。
だからこそ、その理由が分からないことが侑子の警戒心を強めた。
そんな侑子の心境を知ってか知らずか、ヤチヨはぱっと表情を輝かせた。言葉を話さなくても、表情だけで感情がよく分かる少女だった。
すぐにタブレットへ文字を書き連ねる。
(来訪者がここに来ることは知ってた。だれが来るかは知らなかった。ここで待ってた。あなたを守りたい。信じて)
差し出された画面の文字は、急いで書いたせいか少し乱れていた。
侑子が逡巡しているのを察したのだろう。ヤチヨは画面を一度消し、再び文を書き始める。
(さっきの布、かぶって。あなたの力をかくしたい。見つかると危ない)
侑子は地面に落ちた薄布を拾い上げた。
「これ、防視の魔道具?」
ヤチヨが頷くより先に、侑子は左腕を持ち上げた。
「それなら大丈夫。私も持ってるよ。ほら、これ」
銀のブレスレットを見せる。
次に驚いたのはヤチヨの方だった。黒い瞳が大きく見開かれる。息を呑む「ハッ」という音まで聞こえた。
「びっくりした……? 私も驚いてる。ねえ、ここはヒノクニで合ってる? ここに来るの、私、二回目なんだよ」
自分以上に取り乱している人間を前にすると、不思議と落ち着いてくるものだ。大きく白波を立てていた心が、少しずつ静まっていく。
「ヤチヨちゃん。教えて。私、この世界に来るの六年ぶりなの。王都に行きたいんだ。助けてほしい」




