トコヨノクニ――チケット
「こういう場所に来たの、久しぶりだな」
「私も遊園地は三年前が最後。愛ちゃんや綾先輩たちと遊んだ時だよ」
入場ゲートをくぐった二人は、人の流れに乗って歩き始めた。開園したばかりだというのに、入場制限のない園内はすでに大勢の人で賑わっている。
夜行バスに揺られて訪れたのは、海の見えるテーマパークだった。
三年前に遊んだ遊園地は地元近くにあり、今日の場所とはまるで違う。それでも、色鮮やかなアトラクションや人々の高揚感が作り出す独特の空気はよく似ていた。二人の話題も自然とあの日の思い出へ移っていく。
「あの後からずっと、綾先輩たち続いてるんだって」
「そうそう。私もたまに愛ちゃん経由で聞くよ。なんだか嬉しいよね。二人の出会いに立ち会えたんだなって気がして」
三年前、あの日の名目はグループデートだった。愛佳が侑子に引き合わせようとしていた島谷は、その日のうちに綾と付き合い始め、今も関係が続いている。
――あの日、決めたんだよな……ユウキちゃんに気持ちを伝えようって
ユウキへの恋心を受け入れ、伝えようと決意したのも、あの遊園地だった。
あの時、侑子の腕の上で煌めいた青い鱗。透証を連ねた紐の先で揺れるそれを、今日もバッグに忍ばせている。裕貴に見せるつもりで持ってきたのだ。
「愛佳と竜先輩もずっと続いてるし、俺たちの周りって、みんな長いよな」
「そうだね」
「俺たちも?」
繋いだ手をぐいと引かれた。見上げると、裕貴が真剣な眼差しで侑子を見つめていた。
「ごめん……今はこの話、やめておこう。帰りのバスまで。せっかく来たんだから、とにかく今はとことん遊ぼう」
侑子の返事を待たず、裕貴は大きく笑って歩き出した。
陽気なBGMに重なって、マスクの着用と手指の消毒を促す園内放送が流れてくる。そのちぐはぐな音の取り合わせに、侑子はなぜか落ち着かなかった。
◆◆◆
ギターを背負わずに裕貴とこれほど長く遊び回ることはあまりない。いつも楽器を抱えながら、気兼ねなく歌える場所を探していた気がする。
――身軽だなぁ
手を繋いで歩き、他愛もない会話で笑い合う。
楽しかった。
もともと裕貴とは波長が合うのだ。音楽についてこれほど深く話せる相手も他にいないし、裕貴の祖父母の存在も含めて、彼はもう侑子にとってかけがえのない人だった。
ふと、口をついて鼻歌がこぼれた。
こんなふうに気分が弾むと、ヒノクニではよく歌った。ユウキと散歩をしながら、どちらからともなく歌い始める。気まぐれに選んだ曲にもう一つの声が重なり、いつの間にか二人で夢中になっている。
長いこと思い出さないようにしていた光景だった。
けれど今は、不思議なくらい素直に懐かしいと思えた。
あの頃の楽しさが、今の楽しさと重なる。
「歌わない?」
侑子は隣を歩く裕貴を見上げた。
「ここで?」
驚いたように聞き返され、はっとした。
――あ……
ユウキなら、きっと何も聞き返さなかった。「じゃああれにしよう」と曲を決めるか、侑子の声にそのまま重ねて歌い始めていただろう。
そんなやり取りが当たり前だった。
――ここは、ヒノクニじゃない
たったそれだけのことが、ひどく遠く感じられた。
「あはは。ごめん、あんまり楽しくなっちゃったから」
侑子がおどけて笑うと、裕貴も微笑み返した。
「侑子はたまに、突拍子もないこと言うよな」
「そう?」
「そういうところも好きだよ」
裕貴は繋いだ手を握り直した。
優しい手だった。侑子のことを大切に思ってくれている。その気持ちは疑いようがない。
侑子も手を握り返し、隣を歩いた。
裕貴のことが好きなのに。その気持ちに偽りはないはずだ。
――なのに、どうして虚しいんだろう
◆◆◆
「ミラーハウスだって」
園内の混雑は少しずつ増し、人気のアトラクションの前には長い列ができていた。二人は比較的空いていそうな場所を探しながら歩いていた。
その小さな小屋型のアトラクションには、まったく行列ができていない。誘導用のロープさえ出ておらず、入口でチケットを確認するスタッフが一人、退屈そうに待機しているだけだった。
「すぐにご案内できますよ」
笑顔で声をかけられ、二人は自然と入口へ足を向けた。
「入ってみる?」
「うん」
聞けば、順路に沿って中を進むだけだという。
「そうだ、侑子。これ」
ふと足を止めた裕貴が、小さな包みを差し出した。店名の入ったクラフト封筒の中には、掌に乗るほどの化粧箱が入っている。
「本当は誕生日に渡せればよかったんだけど」
「誕生日? プレゼントくれたよね」
侑子の誕生日は六月だ。あれからもう一か月近く経つ。当日にはすでに、大好きなバンドのコンサートへ連れて行ってもらっていた。
「二十歳の誕生日なんだし、形に残るものも贈りたかったんだ。ずっと何がいいか考えてて……それ、受け取ってよ。高価なものじゃないからさ。気軽に持っていてほしいんだ」
箱を開けた侑子は、小さく息を呑んだ。緩衝材に包まれたコンパクトミラーの表面には、青い幾何学模様の螺鈿細工が施されていた。
二つ折りのコンパクトを開くと、片側には拡大鏡、もう片側には普通の鏡が収まっている。
「きれい……」
鱗を描いたその模様は青く煌めき——否応なく侑子にあの衣装を思い出させた。
強い既視感と懐かしさに、しばらく言葉が出なかった。
「とても綺麗。ありがとう」
驚きを悟られないよう微笑みながら、侑子は鏡に映った自分の顔を見た。
――不自然な笑顔じゃないよね
「いろんな柄があったんだ。選ぶのも楽しかったよ。どれも綺麗だったんだけどさ、侑子にはそれが一番しっくり来る気がして」
他意のない言葉だった。
「気に入ってもらえた?」
「うん。ありがとう。大切にするね」
絞り出したような声に聞こえなかっただろうか。
ミラーを閉じ、もう一度表面に目を落とす。虹色に輝く繊細な線が規則正しく湾曲し、鱗模様を描いている。白い線の間で青や紫がちらちらと光り、色の並びまであの衣装とよく似ていた。
「チケットを拝見いたします」
係員の声で意識を引き戻された侑子は、咄嗟に手にしていたコンパクトミラーを差し出しかけた。
「何やってんの」
裕貴が笑った。
「チケットはこっちでしょ」
そう言って、侑子の分まで係員に提示した。




