トコヨノクニ――報い
決めたらすぐに動きたい。それが侑子の性分だった。
意外と決断が早いと驚かれることも多い。けれど侑子自身は、それを臆病さの裏返しだと思っていた。余計なことを考えて怖くなる前に終わらせたい。ただそれだけの無責任な衝動にすぎないのだ。
――そう、無責任。一方的に話して、自分だけすっきりしたいのだから
蓮と裕貴と三人で囲んだ昼食は、他愛のない話をするうちに終わっていた。空いた皿が下げられるのを待って、侑子は裕貴に告げる。二人きりで話したいことがある、と。
裕貴は少し驚いたように目を瞬かせたが、すぐに頷いてくれた。
そして二人になるなり、侑子は切り出した。
「野本くん、私、今まで話してなかったことがあるの」
「……うん」
「ずっと黙ってた。でも、野本くんにはちゃんと知っておいてほしくて」
裕貴の表情が曇る。
「……それって、今じゃなきゃ駄目?」
「え?」
「せっかく二人きりなんだし、もう少し普通に過ごそうよ」
「でも、大事な話なの」
「うん。分かってる」
そう答えながらも、裕貴は話の続きを促さなかった。
侑子は彼を見つめた。
――打ち明けたあと、この人は私をどんな目で見るのだろう。出鱈目だと呆れる? 空想と現実の区別もつかない痛い奴だと思う? それとも、今までずっと好意を利用されていたのだと軽蔑するかもしれない
悪い想像は、いくらでも浮かんでくる。けれど、それを恐れて黙っているわけにはいかなかった。
――これ以上、考えるな
裕貴の優しさと好意に甘え続けてきた、その報いなのだから。
たとえ嫌われても、心が離れるきっかけになったとしても、受け入れるしかない。
「私ね、中学に編入する前のことを……」
「侑子」
裕貴が遮った。
「……今は、もう少しだけ二人でいたい」
その言葉に、侑子は口を閉ざした。
裕貴は何かを恐れている。それは分かった。けれど、差し出された手を拒む理由はなかった。彼のそばにいたいという気持ちにも、嘘はないのだから。
侑子はその手を取った。
◆◆◆
しばらくして、二人は並んで横になっていた。
静かな部屋で、侑子はぼんやりと天井を見つめている。
裕貴が隣で寝返りを打った。
「……さっきの話、やっぱり今、聞いてもらってもいい?」
「俺、フラれるの?」
「なんでそんな解釈になるの」
侑子は天井を見たまま、軽く首を振った。
「聞いてほしい話があるって言っただけだよ」
「だって」
裕貴は上体を起こし、侑子の顔を覗き込んだ。
「そんなの、いかにも別れ話の前フリだろ。怖いって」
「考え過ぎ」
侑子が微笑むと、裕貴もつられて笑った。けれど、すぐにその表情が曇る。
裕貴は侑子の頬に手を添え、そっと口づけた。——今はまだ聞きたくない。何を告げられるのかも分からないのに、胸の奥がざわついて仕方がなかった。侑子が何かを決意していることだけは、分かる。
長い口づけのあと、裕貴は彼女の顔を見つめた。
「野本くんは、私にとって大切な人だよ」
侑子の声は揺れなかった。
「だから、話さないといけないの」
「……何の話を?」
尋ねながら、裕貴は侑子を抱き寄せた。
「たくさんあるの。今まで話してなかったこと。私がずっと忘れられずにいたこととか……」
「侑子」
裕貴が遮った。
「……明日じゃ駄目?」
「明日?」
「うん。遊園地、楽しみにしてたんだ」
翌日は二人で富山まで遠出する予定だった。
「帰り道で聞かせてよ。ちゃんと聞くから」
「でも、野本くん……」
「お願い。何も気にしないで楽しみたいんだ」
裕貴は侑子の手を握った。
「その話を聞いたら、俺、明日ずっとそのこと考えちゃう気がする」
侑子は黙った。
今すぐ話してしまいたい。そう思っていた。
けれど、裕貴にも聞くための心の準備が必要なのかもしれない。
「……分かった。じゃあ、明日の帰りに」
「うん」
「でも、絶対に聞いてね」
「約束する」
裕貴は安堵したように息を吐いた。
侑子はそんな横顔を見つめた。
今こうしている間にも、自分は大切なことを隠している。けれど明日には、それを終わらせるのだ。
そう決めて、侑子は握られた手をそっと握り返した。
◆◆◆
帰り支度をする侑子を、裕貴は黙って見つめていた。
ブラウスのボタンを閉じる指先。短く切った爪でボタンホールをつまむ、何気ない仕草。そのひとつひとつが、やけに目に残る。
「……別れ話じゃないよね?」
また聞いてしまった。
侑子は顔を上げた。
「違うよ」
「分かってると思うけど、俺かなりしつこいから」
「うん」
「引くくらい重いから」
「うん」
侑子が声を出して笑った。
その顔を見ると、どうしたって裕貴は絆されてしまう。
もう一度、彼女を抱きしめた。
「……明日、楽しもうな」
「うん。楽しみにしてる」
腕の中から、侑子のくぐもった声が聞こえた。
「明日、ちゃんと話すよ。ありがとう、野本くん」
裕貴は答えず、ただ抱きしめる腕に少しだけ力を込めた。




