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青い半魚人  作者: 松下真奈
第二章
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トコヨノクニ――煙 

 現実感のないまま、侑子は立ち上る細い煙を見つめていた。

 真っ直ぐに線を描きながら、次第にぐにゃぐにゃと踊るように揺らめき、最後には散るように消えていく。

――消えた煙は、どこに行ったんだろう

 立ち上る煙の向こう、香立ての奥に柔和な笑みを浮かべる玄一の写真が見える。

 黒いフレームに縁取られた遺影だった。

「侑子ちゃん。来てくれてありがとう」

 そう声をかけながら侑子の隣に膝をついたのは喜久子だった。玄一の妻で、裕貴の祖母である。

 ぼんやりと手を合わせたままだった侑子は、慌てて喜久子に向き直った。

「この度は――」

「やめよう、そういう挨拶は」

 言いかけた侑子を遮り、喜久子は笑った。

「聞き飽きちゃった。会う人会う人、同じこと言ってくるんだもん」

 からからと明るく笑う彼女は、やはりいつ見ても若々しかった。玄一と同い年だというのだから、明らかに実年齢より若く見える。言葉尻からも年齢を感じさせない、不思議な人だった。

「ゲンちゃんだって、侑子ちゃんからそんな湿っぽい挨拶聞くの、寂しいと思うから。ね」

 むらなく薄茶に染めたロングヘアは艶やかだ。その髪を耳にかけながら、喜久子は遺影に微笑みかけた。

「侑子ちゃんからの手紙、嬉しそうに読んでたよ。この話、裕貴から聞いてる?」

「はい」

 入学式の日、侑子が書いた手紙は裕貴から玄一に手渡された。その六時間後、容態が急変して玄一は息を引き取ったのだ。十日前のことだった。

「私ね、明日からまたライブハウスに戻るんだ」

 喜久子の手が蝋燭の炎を扇いで消した。指を彩る指輪が煌めいた。

「『早くない?』なんて言う人もいるけどさ。いつまでも喪に服して、ただ手を合わせてるわけにもいかないよ。止まったら嫌な方に引っ張られちゃうもん」

 ふっと短く笑った喜久子の横顔が、一瞬だけ年相応に見えた気がして、侑子は目を瞠った。

「長く生きてるとね、その分、身近な人との別れを経験するものなんだよ。当たり前だけどさ。祖父母でしょ、両親でしょ、恩師や兄弟、それから友達とか」

 仏間の窓は開いていたが、線香の香りはいつまでも滞留していた。侑子も喜久子も、もう鼻が慣れてしまっている。

「生きていればいるだけ、順当に死は身近になっていくものなんだ。若い頃には漠然としてて恐怖でしかなかったけど、身近になると不思議とそうでもなくなるんだよね」

「そうなんですか?」

 疑問がそのまま口から滑り出た。喜久子は笑った。

「そりゃ、人によってはいつまでも死は怖いかもしれないけど。私はね、そうでもないタイプ」

 はは、と笑って喜久子は再び夫の遺影に視線を戻した。

「身近な人があっち側に行くたびに、自分もいつか同じ側に行くだけなんだなぁって思えるんだ。だから怖くない。でもさすがに、これだけいつも一緒だった人があっけなく逝ってしまうと……悲しみに身を任せてしまいたくなるでしょ。それは私にしてみたら、あまりよくない引っ張られ方なの。自分自身まで見失う気がして」

「……なるほど」

「今、なんだか嫌な世の中じゃない? 死が身近になりすぎてる。順番飛ばしが多すぎる。油断したら、すぐ気持ちを持っていかれちゃう」

 侑子は黙って喜久子の横顔を見つめた。

「だから戻らなきゃ。いつも(・・・)を整えなきゃ。私にとってそれは音楽。ゲンちゃんと私の間にも、いつも音楽があった。鳴らすのをやめたら、私たちの時間まで止まってしまうでしょ」

 その言葉に、侑子はある感情を思い出した。

 側村で追体験した、一組の夫婦が残した感情だった。

 正彦とちえみが共に過ごした時間は、玄一と喜久子が過ごした時間よりずっと短かっただろう。しかし侑子が感じた彼らの『愛』は、時間に比例しない濃さを持っていた。

「憧れます」

 侑子の言葉に、喜久子は大きく笑った。

「さあ、あっちで音楽でも聴こう」

 喜久子に手を取られ、侑子は座布団から立ち上がった。最後にもう一度遺影へ目礼して、仏間を後にした。

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