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8.魔将の眼の使い方

翌朝、基将は天牌閣の裏庭にいた。


 空は薄く白み、まだ広間の卓には人が少ない。表通りからは商人たちの声が聞こえ始めているが、裏庭は静かだった。


 石卓の上には、牌が並べられている。


 玄庵はその向かいで、腕を組んでいた。


「眠れたか」


「少しだけな」


「役を覚えていたか」


「まあな」


 基将は目の下を指でこすった。


 昨夜、玄庵から渡された木簡には、実戦でよく出る役がずらりと書かれていた。


 花竜。推不倒。全求人。混一色。清一色。一色三歩高。三色三歩高。七対。七星不靠。全不靠。碰碰和。箭刻。門風刻。圏風刻。無字。断么。缺一門。平和。自摸。絶張和。


 知っている名もあれば、初めて聞く名もある。


 特に厄介なのは、日本麻雀にも似た名前や似た形があるものだった。清一色や混一色は分かる。七対も分かる。だが、点数も複合も違う。似ているからこそ、うっかり元の感覚で処理しそうになる。


「では始める」


 玄庵は牌を伏せて混ぜ、その中から十三枚を抜き出して並べた。


「この手は何を目指す」


 基将は牌を見る。


 一三四萬、三五筒、五七索、東東、白、發、九萬、九索。


(面子手としてはまだばらばらだ。萬子は二萬が入れば一二三か二三四へ伸びる。筒子は四筒、索子は六索が欲しい。東が対子。白と發は箭牌。九萬と九索は端牌)


「三色三歩高……を見たい」


「点は」


「六点」


「足りぬ」


「ただ、まだ形が決まっていない。萬子で二三四、筒子で三四五、索子で五六七を作れれば三色三歩高。東を刻子にすれば門風か圏風で二点……いや、場風か自風か分からないと駄目か」


「今は東場、親はおぬしではない。自風は南とする」


「なら東は圏風刻で二点。三色三歩高と合わせて八点。ただ、東が刻子にならないなら、白か發の箭刻を見ないと足りない」


「よい」


 玄庵は頷いた。


「では、この手で東が一枚も出ず、白を引いたらどうする」


 基将は少し考える。


「白を重ねて、箭刻を狙う。東と白のどちらかが刻子になれば八点に届く。三色三歩高が無理なら、五門斉や混一色への変化も見る」


「正しいが、この手は萬子・筒子・索子・風牌・三元牌すべてを使っておる。これを五門斉という6点役だ」


 玄庵は次の牌姿を並べた。


 稽古はこの繰り返しだった。


 配牌を見る。


 八点への道を探す。


 途中で引いた牌によって、どの役へ移るか考える。


 日本麻雀の牌効率なら、基将はほとんど反射で答えられる。しかし、この国の麻将では、いちいち頭の中で役と点を組み直さなければならない。


 脳が熱を持つようだった。


「遅い」


 玄庵が言った。


「分かってる」


「実戦では相手は待ってくれん」


「分かってるって」


「分かっている顔ではない」


「厳しいな、あんた」


「甘く教えて勝てる世界ではない」


 基将は息を吐き、牌に集中した。


 何度も繰り返すうちに、少しずつ形が頭に入ってくる。


 花竜は八点。


 清一色は二十四点。


 混一色は六点。これだけでは足りないから、他の役と合わせる。


 碰碰和は六点。これも何かを足す。


 箭刻は二点。場風や自風の刻子も二点。


 無字は一点。缺一門も一点。小さな点だが、八点に届かせる時には意味がある。


 日本麻雀の満貫や跳満とは違う。


 ここでは、役の点を積み木のように積み上げる感覚が強い。


「次は魔技を使え」


 玄庵が言った。


「《魔将の眼》か」


「そうだ。おぬしの力がどの程度のものか見たい」


 玄庵は四人分の手牌を伏せて並べた。基将の前だけは表にする。他の三人分は見えない。


「わしが三人を打つ。おぬしは自分の手を進めながら、魔技で相手の方向を見る」


「一人三役か。器用だな」


「口を動かす暇があるなら、目を使え」


 基将は苦笑し、意識を集中した。


 呼吸を落とす。


 牌を見る。


 相手の伏せられた手牌の周囲に、淡い光が浮かび始めた。


(来た……)


 左手側の手からは、筒子の濃い気配がする。浮かぶ言葉は「混一色」。まだ完成には遠いが、方向は見える。


 対面の手からは、ばらばらの光。字牌と数牌が、互いに距離を取るように散っている。数牌の光は一四七、二五八、三六九の筋へ細く分かれていた。


(全不靠……か? ただ、七星不靠か組合龍まで届くかはまだ分からない)


 右手側は、刻子の気配。牌が重なっていく重い光。


(碰碰和。役牌が絡めば八点に届く)


「左は混一色、対面は全不靠、右は碰碰和」


 基将が言うと、玄庵は三人分の手牌をめくった。


「大筋は合っている」


「大筋?」


「左は混一色に見えるが、実際は清一色へ向かう可能性もある。筒子の伸び次第だ。対面は全不靠だが、字牌七種は足りぬ。数牌九種もまだ揃わぬから、組合龍との複合も未確定だ。右は碰碰和だけでは点が足りぬ。箭刻が必要だ」


「見えるだけじゃ足りないか」


「そうだ。魔技は答えを出してくれるものではない。問いを早く見つけるものだ」


 基将はその言葉を心に留めた。


 問いを早く見つける。


 相手が何を狙っているか、その可能性を早く掴む。だが、それを正しく評価するには、結局自分の知識と判断が必要になる。


(確かに、チートってほど便利じゃないな)


 だが、弱いわけではない。


 むしろ強い。


 ルールを覚えれば覚えるほど、この力は意味を持つ。


 知らない役名の光が、次第に警告や道標へ変わっていく。


「今度は、おぬしが何を切るかだ」


 玄庵は基将の前に手牌を並べた。


 一三萬、四六筒、七八索、白白、發、中、九索、二筒、五萬。


 昨日の宿題に似ているが、完成形にはほど遠かった。


「花竜が見える……かもしれない」


「そうだ」


「一二三萬、四五六筒、七八九索の骨はある。だが二萬、五筒が必要だ。白が重なっているから、刻子になれば加点。發と中は浮いているが、どちらも箭牌だから重なれば使える」


「では何を切る」


 基将は手牌を見る。


 花竜の核になりそうなのは一三萬、四六筒、七八九索。萬子は二萬待ち、筒子は五筒待ち。白白は残す。發と中はどちらかを切るか、重なりを見るかで方針が変わる。


「發」


「理由は」


「中より先に發を切る理由は……正直、今はない。日本麻雀なら場況を見るが、ここではまだ場がない。ならどちらでもいい」


「悪くない答えだ」


「いいのか?」


「理由がない時に、理由がないと分かっているのは大事だ。もっとも、実戦では河や相手の気配で変わる」


 玄庵は牌を進めた。


 基将は何度も打った。


 《魔将の眼》で相手の方向を見る。自分の八点への道を探す。相手の速度と、自分の打点を比べる。


 途中、何度も間違えた。


 混一色だけで和了れると勘違いした。


 小さな一点役を見落とした。


 相手の全不靠を面子手だと思い込み、危険牌を軽く見た。


 そのたびに玄庵が止め、牌を戻し、もう一度考えさせた。


「おぬしは早く答えを出そうとしすぎる」


「勝負では遅いと負ける」


「考えるべきところを飛ばして早くしても、それは早いのではなく雑なだけだ」


 ぐうの音も出なかった。


 日本での基将は、考えるのが早かった。だが、それは四十年分の経験が積み上がっていたからだ。今は違う。今はまだ、判断の材料そのものが足りない。


 早く打とうとしてはいけない。


 まず、正しく見る。


 それを繰り返すしかない。


 昼を過ぎる頃、基将の頭は限界に近づいていた。


 だが、玄庵は最後に一つだけ実戦形式の稽古を用意した。


「三巡だけ打つ」


「三巡?」


「配牌から三巡までで、どの役を見るかを決める稽古だ。和了までは打たん」


「序盤の構想か」


「そうだ。国標麻将では、序盤の構想が遅れると八点に届かぬまま終盤を迎えることが多い」


 基将は頷いた。


 配牌が開かれる。


 一三萬、六八萬、三四筒、七八索、白、白、發、中、九索。


 悪くない。


 いや、かなり良い。


(萬子はどちらも嵌張含み。筒子は三四、索子は七八九が見える。白対子に發と中。形は悪くないが、まだ何にもなっていない)


 日本麻雀なら、白を鳴くかどうか、三色や一通を絡めるかを考える。だがここでは。


(一色三歩高は遠い。三色三歩高なら、萬子で二三四か六七八、筒子で三四五、索子で七八九を作る道がある。花竜は一二三、四五六、七八九だから、今の萬子と筒子の伸び次第。白が刻子になれば二点。缺一門は筒子を払えばつくが、今は筒子を払うと構想が細くなる)


 基将は自分の思考が、昨日より確かに変わっているのを感じた。


 牌効率だけではない。


 八点への道を探している。


「何を見る」


「白の箭刻を軸に、他の六点役を探す。今の形なら三色三歩高と花竜を両方見る。二萬か七萬、五筒、九索周辺の入り方で決める。發と中は箭牌だが、重ならなければ早めに処理する」


「では初打は」


 基将は少し悩み、白を残し、浮いた牌を切った。


 玄庵は何も言わなかった。


 その沈黙が、悪くないという答えに思えた。


 三巡を終えた時、基将はふっと息を吐いた。


「見えたか」


「少しだけ」


「何が」


「勝ち方じゃない」


 基将は牌を見つめたまま言った。


「考え方だ」


 玄庵は満足げに頷いた。


「それでよい。勝ち方は、考え方の後についてくる」


 その日の稽古は、そこで終わった。


 基将は裏庭の空を見上げた。


 異世界に来て、初めて少しだけ前へ進めた気がした。


 《魔将の眼》は、勝利を約束する力ではない。


 だが、道を見つける力にはなる。


 その道を歩けるかどうかは、自分次第だった。

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