7.八点縛りと役の森
玄庵の教えは、容赦がなかった。
茶室に入った時、基将は少しだけ安心していた。救われたという気持ちがあった。ようやく落ち着いて話を聞ける。そう思っていた。
だが、甘かった。
玄庵は牌を並べるなり、基将が先ほど打った一局一局を、まるで刃物で解体するように切り分けていった。
「この打牌は悪くない」
そう言われたのは、最初の数巡だけだった。
「だが、この時点で役の見通しがない。形だけを追っている」
「ここで安全を見たつもりになっているが、この国では安全の根拠にならん」
「これは日本の麻将なら良い一打なのだろう。だが、ここでは遅い」
「これは早い。だが、点がない」
「これは点を見ている。だが、和了までが遠い」
次々に指摘され、基将は何度も言葉に詰まった。
不思議なことに、腹は立たなかった。
指摘が正確だからだ。
玄庵は基将を馬鹿にしているわけではない。日本麻雀の打牌を否定しているわけでもない。ただ、この国の麻将に照らした時に、何が噛み合っていないのかを示している。
だからこそ、きつい。
「八点縛りがある以上、手の入口で点を意識しろ」
玄庵はそう言い、牌を並べた。
一二三の萬子、四五六の筒子、七八九の索子。
「これは花竜だ」
「それがさっき出てきた役か」
「そうだ。三色を使って、一から九までを三つの順子でつなぐ。点は八点。つまり、これだけで和了条件を満たす」
「八点ぴったりか」
「ああ。分かりやすく、狙いやすい。初心者がまず覚えるべき役の一つだ」
基将は牌姿を見た。
日本麻雀であれば、三色同順とは違う。三色で一二三、四五六、七八九を作る。色が散るため清一色や混一色とは逆方向だが、形としては美しい。
(なるほどな。国士や七対子みたいな特殊手だけじゃない。順子系にも独自の役があるわけか)
玄庵は次に、萬子の一二三、二三四、三四五を並べた。
「一色三歩高」
「同じ色で、数字が一つずつずれる三つの順子か」
「理解が早いな」
「形を見ればな。名前と点が追いついてないだけだ」
「それでよい。形を覚え、名を覚え、点を覚える。最初はそれだけだ」
次に玄庵は、萬子の一二三、三四五、五六七を並べた。
「これは一色三同順ではない。段差が二つずつなら一色三歩高になる形もあるが、組み合わせによって見方が変わる。重要なのは、役は形だけでなく解釈で決まることだ」
「解釈……」
「同じ牌姿でも、どの役として数えるかで点が変わる。高い役を選ぶだけではなく、複合する役を見落とさぬことが大切だ」
基将は腕を組んだ。
「点数計算がかなり難しいな」
「最初から全てを覚えようとするな。まずは八点を作るための道筋を覚えよ」
玄庵は指を一本立てた。
「一つ、高点の役を一つ作る」
二本目。
「二つ、小さな役を組み合わせて八点に届かせる」
三本目。
「三つ、相手の役を読んで、自分の和了と防御を両立させる」
「三つ目が一番難しい」
「だから最後に学ぶ」
玄庵は少し笑った。
「おぬしは三つ目からやろうとしていた」
「耳が痛いな」
「強者ほどそうなる。相手を見る目がある者ほど、自分の足元を飛ばしがちだ」
基将は苦笑した。
日本での自分なら、配牌を見た瞬間に最終形と打点をいくつも想定していた。相手の速度、点差、局面、場況を加味して、どこまで押すかを決める。
だが、その前提にはルール理解があった。
今の自分には、その土台がない。
「では問題だ」
玄庵が新しい牌姿を並べた。
東、南、西、北、白、發、中。そして一萬、四萬、七萬、二筒、八筒、三索。
「この手で、五筒を切られた。和了れるか」
基将は目を細める。
「七星不靠……か?」
「ほう」
「さっき刺さったやつに似ている。字牌七種と、数牌の一四七、二五八、三六九を使う形……だったか」
「よく見ていたな。これは七星不靠の形だ。点は二十四点」
「二十四……高いな」
「特殊な形だからな。七対子や十三么に近いものと思えばよい」
「国士無双とは違うのか」
「似て見えるが、まったく別物だ。十三么はまた別にある。こちらでは八十八点の最高役の一つだ」
「国士はあるのか」
「ある。名は違うがな」
基将は少しだけ息をついた。
完全に別物ではない。
違うが、どこかに対応する感覚はある。日本麻雀で培った形の認識が、まったく無駄になるわけではない。
「嬉しそうだな」
「少しな。知ってる道に繋がる脇道を見つけた気分だ」
「その感覚は大事だ。異なるものを異なるまま覚えるのは苦しい。だが、似ているものを足場にすれば進める」
玄庵は次に、字牌を三枚ほど抜き、数牌を加えて並べ直した。
「全不靠」
「七星不靠から字牌七種が欠けた形か」
「近いが、雑に覚えると危うい。全不靠は、字牌の孤立牌と、数牌の一四七、二五八、三六九を組み合わせて作る。数牌は、同じ筋の数字を同じ色で固めねばならん」
「同じ筋の数字を同じ色で固める?」
「そうだ。たとえば一萬、四萬、七萬で一四七を作る。二筒、五筒、八筒で二五八を作る。三索、六索、九索で三六九を作る。筋の中で色を混ぜて、一萬、四筒、七索のようにしてはならん。しかも一四七、一四七、二五八のように、筋そのものが重なってもいかん」
「……思ったよりずっと細かいな」
「字牌七種と、数牌九種。合わせて十六種ある。そのうち十四種を使って作るのが基本だ。字牌七種がすべて揃えば七星不靠で二十四点。数牌九種がすべて揃えば、全不靠十二点に組合龍十二点が複合して二十四点になる」
「字牌も数牌も全部は揃っていない場合は?」
「条件を満たして十四種あれば、全不靠のみで十二点だ」
「なるほど……面子を作らない十三不塔みたいな印象で見ると間違えるわけか」
「だが、この国では立派な役だ。相手が面子手だと思って安全を測ると、痛い目を見る」
「さっきの俺だな」
「そうだ」
玄庵は容赦なく頷いた。
基将は苦笑し、しかし牌から目を離さなかった。
知らない役が、少しずつ形を持ちはじめている。
ただの未知の言葉だったものが、牌姿と結びついていく。光のように見えていた《魔将の眼》の情報にも、意味が生まれ始めていた。
「そういえば」
基将はふと思い出した。
「俺には、相手の狙っている役が感覚的に見えることがある」
玄庵の手が止まった。
「何だと?」
「正確には、見えるというか……流れが分かる。手がどの方向へ向かっているのか、役名のようなものが頭に浮かぶ」
「魔技か」
「女神は《魔将の眼》と言っていた」
玄庵はしばらく黙った。
その沈黙に、基将は少し身構える。
「まずかったか?」
「いや」
玄庵はゆっくりと首を振った。
「珍しくはあるが、ありえぬ話ではない。この世界の将士は、多かれ少なかれ魔技を持つ。牌の流れを読む者、相手の気配を測る者、自らの集中を高める者。種類は様々だ」
「全員がチート持ちみたいなものか」
「チートとは何だ」
「ずるい力、みたいな意味だ」
「ならば違う。魔技もまた技の一部だ。強い魔技を持っていても、未熟な者は負ける。弱い魔技でも、鍛えれば武器になる」
「俺のは、今のところ宝の持ち腐れだ」
「役名が見えても、役を知らねば意味がないからか」
「そういうことだ」
玄庵はふっと笑った。
「ならば、おぬしは急がねばならんな」
「急ぐ?」
「普通の者は、まず役を覚え、それから相手の手を読む。おぬしは逆だ。相手の手は見える。だが、役を知らぬ。つまり、知識を入れれば伸びが早い」
基将は目を細めた。
伸びが早い。
その言葉に、胸の奥が熱くなる。
「本当か」
「わしは慰めで物を言わん」
「それは分かる」
「ただし、調子に乗るな。見えるからといって頼り切れば、必ず足をすくわれる」
「万能じゃないとは言われた」
「その通りだ。魔技が見せるのは可能性だ。確定した未来ではない。相手も考え、変化し、時に魔技でこちらを欺く」
「なるほどな」
基将は顎に手を当てた。
この世界の麻将は、単にルールが違うだけではない。魔技が存在する以上、読み合いの階層がもう一つ増える。
相手の役を読む。
相手の魔技を読む。
自分の魔技が見せる情報の真偽を判断する。
そして、その上で八点以上を作り、和了を目指す。
(面白いじゃねえか)
ついさっきまで途方に暮れていたはずなのに、気づけば胸の奥に小さな興奮が生まれていた。
難しい。
だが、難しいからこそ、面白い。
「顔が変わったな」
玄庵が言った。
「そうか?」
「負け犬の顔ではなくなった」
「最初から犬になった覚えはない」
「では迷子の子供だな」
「そっちの方がひどいだろ」
基将は思わず笑った。
玄庵もわずかに笑う。
その空気が、少しだけ師弟のように感じられた。
「今日はここまでだ」
「もうか?」
「詰め込みすぎても身にならん。だが最後に一つ、宿題を出す」
玄庵は牌を十三枚並べた。
一萬、三萬、四萬。四筒、六筒。七索、八索。白白。發。中。九索。
「この配牌から、八点以上を目指すなら何を見る」
基将は牌姿を見つめた。
順子はまだ一つもない。萬子は一三四、筒子は四六、索子は七八九に届きそうな形。白が対子で、發と中が浮いている。日本麻雀なら面子手の牌効率を見ながら、白を鳴くかどうかを考える手だ。
だが、この国では?
「花竜……は、一二三、四五六、七八九を三色で作れれば八点か」
「続けろ」
「今はまだ完成していない。だが二萬を引けば一二三萬、五筒を引けば四五六筒、索子は九索を残せば七八九索が見える。全部揃えば花竜だ」
「そうだ」
「白が刻子になれば、それも点になる?」
「箭刻。二点だ」
「なら、白の刻子を保険にしつつ、花竜を見る。逆に花竜が遠のいたら、白の箭刻二点に、ほかの六点役を探す」
「よい」
玄庵は頷いた。
「まずはそれでよい。配牌を見て、八点への道を一つ見つける。それが第一歩だ」
基将は牌姿を見下ろした。
見えた。
さっきまではただの異国の役名だった花竜が、今は狙うべき道として見える。
「明日から稽古をつける」
玄庵は立ち上がった。
「まずは役を二十覚えよ。実戦でよく出るものからだ」
「二十か」
「四十年打ってきた男なら、泣き言は言うまい」
「言わねえよ」
基将は牌を整えながら、静かに答えた。
知らない役の森は深い。
だが、道が一本見えた。
ならば進める。
基将は久しぶりに、負けた後の悔しさではなく、次の一局を待つ熱を感じていた。




