14.若手競技会の噂
翌朝、天牌閣の広間はいつもより落ち着かなかった。
牌磨きの手は動いている。
床を掃く音もする。
だが、見習いたちの視線は何度も掲示板の方へ向いていた。
広間の柱に掛けられた木板。
そこに、明日の若手競技会の組み合わせが貼り出されるという。
「まだかな」
陸青が箒を持ったまま、そわそわしている。
「掃くか見るか、どっちかにしろ」
基将が言うと、陸青は床を二回だけ掃いて、また掲示板を見た。
「掃いてる」
「それは掃いてるうちに入らない」
「基将さんは気にならないの?」
「気にはなる」
「じゃあ見ようよ」
「貼られてないものを見ても仕方ない」
「大人だなあ」
「五十だからな」
「また変なこと言ってる」
陸青は笑った。
基将は箒を動かしながら、広間を見渡した。
昨日までよりも、若い将士の数が多い。天牌閣所属ではない者も混じっているようだ。服の色や木札の形が違う。中には、腰に銅牌を下げた正式将士らしき若者もいる。
競技会は明日だが、遠方から来る者は前日から城下に入るのだろう。
見物だけでも、空気が変わる。
「あれが金鳴楼の連中です」
いつの間にか隣に来ていた翠蘭が、小声で言った。
基将は視線を向ける。
広間の入口近くに、黄色がかった外套を着た若者たちがいた。身なりが良く、立ち方にもどこか余裕がある。商会が支える金鳴楼の見習いだという。
「金持ちの道場か」
「言い方は悪いですが、近いです。牌や卓も上等で、専属の師も多い。ただ、実戦経験は人によります」
「金で強くなれるほど甘くはない、か」
「でも、良い環境は力になります」
「それはそうだ」
日本でも同じだ。
強い師、良い環境、質の高い実戦。才能だけでどうにかなる世界ではない。
「向こうにいる青い帯の人たちは?」
「王城牌院の候補生です」
翠蘭の声が少し硬くなった。
青い帯を締めた若者たちは、金鳴楼の者たちとはまた違う雰囲気を持っていた。派手ではないが、姿勢が良い。周囲を見下すというより、最初から別の場所を見ているような目をしている。
「王城直属か」
「はい。若くして牌院に入る者は、家柄か実力、あるいはその両方を持っています」
「明日の競技会にも出るのか」
「何人かは」
基将は彼らの手元を見た。
指が細く、きれいだ。
牌を長く触っている手だ。
(見習い競技会とはいえ、簡単じゃなさそうだな)
むしろ、それでいい。
弱い相手とだけ打っても、この世界の強さは分からない。
「噂の異国人はどいつだ」
入口の方から、少し大きな声がした。
基将は振り向いた。
赤茶色の髪を短く刈った若者が、こちらを見ている。背は高く、肩幅もある。武人のような体つきだが、腰には剣ではなく、牌を入れる小さな袋を下げていた。
「あれは?」
基将が尋ねると、陸青が顔をしかめた。
「雷豪。金鳴楼の見習い。鳴きがうるさい」
「鳴きがうるさい?」
「声も大きいし、仕掛けも多い。碰碰和と混一色が好き。あと、すぐ人を挑発する」
「分かりやすいな」
雷豪は周囲に何かを言いながら、基将たちの方へ歩いてきた。
「お前か。天牌閣が拾った異国の見習いってのは」
「拾われた覚えはないんだが、たぶん俺だ」
基将は箒を持ったまま答えた。
雷豪は基将の木札を見て、鼻で笑った。
「木札一本。昨日見習いになったばかりだって?」
「そうだ」
「それで明日の競技会に出るのか。天牌閣も人が足りないんだな」
陸青がむっとした顔をする。
だが、基将は特に腹を立てなかった。
挑発としては分かりやすい。分かりやすすぎるくらいだ。
「人が足りないかどうかは知らないが、出ろと言われた」
「辞退しないのか」
「する理由がない」
雷豪の目が少し細くなった。
「ルールを覚えたばかりのやつが、城下の若手相手に勝てると思ってるのか」
「勝てるかどうかは打ってみないと分からない」
「大きく出るな」
「普通のことを言っただけだ」
雷豪はしばらく基将を見ていたが、やがて口元を歪めた。
「同卓したら教えてやるよ。大将国の麻将ってやつをな」
「助かる。まだ勉強中だからな」
「……調子狂うな」
雷豪は舌打ちし、仲間の元へ戻っていった。
陸青が基将の袖を引く。
「なんで怒らないの」
「怒るほどのことか?」
「馬鹿にされたんだよ」
「事実も混じってる。俺は昨日見習いになったばかりだし、ルールも覚えたばかりだ」
「でも」
「卓で返せばいい」
基将は箒を動かした。
雷豪のようなタイプは、どの世界にもいる。
強いかどうかは別として、勢いがあり、挑発で相手の心を揺らそうとする。日本でも何度も見た。そういう相手に言葉で乗ると、相手の土俵に立つことになる。
卓で見る。
それだけでいい。
「基将さんは、やっぱり変わってますね」
翠蘭が言った。
「よく言われる」
「怒らないのに、引いてもいない」
「怒るのと、引かないのは別だ」
翠蘭はその言葉を少し考えるように黙った。
その時、広間の奥から声が上がった。
「組み合わせが来たぞ!」
見習いたちが一斉に掲示板へ集まる。
陸青も走り出しかけ、翠蘭に襟を掴まれた。
「箒」
「あっ」
陸青は慌てて箒を壁に立てかけ、それから掲示板へ向かった。
基将も少し遅れて向かう。
木板には、明日の競技会の参加者名が並んでいた。
予選は四卓。
各卓一荘戦。
一位は本戦へ進出。二位のうち成績上位二名も通過。三位以下は敗退。
見習いも準将士も混じる、若手向けの小規模競技会だ。
「基将さんは……第三卓」
陸青が指で追う。
「ええと、対戦相手は、沈月白、雷豪、蘇芳」
「雷豪と同卓か」
基将は思わず笑った。
「さっそく教えてもらえるらしい」
「笑ってる場合じゃないよ」
陸青が顔を青くする。
「沈月白もいる。王城牌院の候補生だよ」
「強いのか」
翠蘭が答えた。
「強いです。派手な和了は少ないですが、相手の構想を崩すのが上手い。魔技も持っていると言われています」
「どんな魔技だ」
「詳しくは分かりません。ただ、同卓した者はよく『待ちが見えなくなる』と言います」
基将は掲示板の名前を見た。
沈月白。
雷豪。
蘇芳。
知らない名前が三つ。
知らない打ち筋が三つ。
その中に、自分が入る。
(いいじゃねえか)
昨日の自分なら、不安の方が大きかったかもしれない。
今も不安はある。
だが、それだけではない。
相手がどんな役を狙うのか。
どんな魔技を使うのか。
自分の《魔将の眼》は、どこまで通用するのか。
知りたい。
そう思った。
「基将」
背後から玄庵の声がした。
「見たか」
「ああ。第三卓だ」
「相手に不足はない」
「不足どころか、足りすぎてる気もするがな」
「よいことだ」
玄庵は掲示板を見上げた。
「明日の目標を言ってみろ」
「勝つ」
基将が即答すると、玄庵は眉を上げた。
「昨日よりは見習いらしくない答えだな」
「見習いでも卓に座るなら勝ちたい」
「では、もう一つ」
「もう一つ?」
「勝つために、何をする」
基将は少し考えた。
勝つ。
それは当然だ。
だが、今の自分に必要なのは、漠然とした勝利ではない。
「相手の八点到達を見る」
基将は答えた。
「自分の手を作るだけじゃなく、相手が何で八点に届くかを読む。特に鳴きと字牌。あと、魔技に頼りすぎない」
玄庵は小さく頷いた。
「悪くない」
「褒められたか?」
「少しだけな」
「珍しい」
「調子に乗るな」
「乗る前に止めるなよ」
陸青が小さく笑い、翠蘭も口元を緩めた。
掲示板の前にはまだ多くの見習いたちが集まっている。期待と不安と噂が、広間の空気を熱くしていた。
基将は自分の名前をもう一度見た。
木札一本の見習い。
異国から来た、国標麻将を覚え始めたばかりの男。
その名が、明日の第三卓にある。
(まずは一局)
基将は静かに息を整えた。
(この世界の若手と、正面から打つ)
競技会は、もう明日に迫っていた。




