10.見習い将士試験
天牌閣の朝は、想像以上に騒がしかった。
見習い将士試験。
その名を聞いた時、基将はもっと小規模なものを想像していた。数人の受験者が静かな部屋に集められ、試験官の前で打つ。そんなものだと思っていた。
だが、実際は違った。
広間にはすでに多くの人が集まっている。受験者、付き添い、見物人、天牌閣の将士たち。卓は四つ用意され、それぞれの横に得点係と審判役が立っていた。
「思ったより大げさだな」
基将が呟くと、隣の玄庵が答えた。
「麻将で身分が決まる国だと言っただろう。見習いとはいえ、将士の認定は軽くない」
「見世物にもなってるな」
「それも含めて試験だ。人前で打てぬ者は、将士として卓に座れん」
基将は周囲を見渡した。
受験者は若い者が多い。十代後半から二十代前半くらいだろう。中には明らかに緊張して顔色の悪い者もいる。
その中で、基将は異物だった。
服装も、雰囲気も、年齢の見え方も違う。何より、昨日広間で噂になった異国人だ。ちらちらと向けられる視線が刺さる。
「あれが老師の連れてきた男か」
「昨日、八点和了ったらしいぞ」
「一回だけだろ?」
「そもそも国標の役を知らなかったって話だ」
「そんな奴を試験に出すのかよ」
小声の噂が耳に入る。
基将は肩を回した。
懐かしい感覚だった。
大きな大会の前にも、こういう空気はあった。期待、疑念、敵意、好奇心。それらが混ざった視線の中で卓に座る。
ただし、今の自分は挑戦者ですらない。
見習いだ。
「条件を確認する」
玄庵が言った。
「順位は問わぬ。ただし、一荘戦の中で一度以上、八点以上の正式な和了をすること。錯和、つまり誤った和了宣言をすれば即失格。重大な礼法違反も失格。魔技の使用は認められるが、相手の手牌を直接覗くような禁技は不可」
「俺の《魔将の眼》は?」
「問題ない。流れを読む魔技に分類される」
「便利な分類だな」
「便利に使えるかは、おぬし次第だ」
玄庵は淡々としている。
その落ち着きが、基将にはありがたかった。
「いいか、基将」
玄庵は声を少し低くした。
「今日は勝つ必要はない。だが、和了だけを急いでもいけない」
「八点を作れ、でも焦るな、か」
「そうだ。矛盾しているようで、卓では矛盾しておらん」
「分かってる」
基将は頷いた。
試験係が受験者の名を読み上げていく。
「麻基将」
一瞬、広間がざわついた。
発音に戸惑ったのか、試験係は木簡を見直した。
「異国の者、基将。第三卓へ」
基将は卓へ向かった。
同卓者は三人。
一人目は、鋭い目をした少年。十五、六歳ほどに見えるが、背筋が伸び、牌に触れる手つきに迷いがない。
二人目は、大柄な青年。腕が太く、いかにも力で押してきそうな雰囲気だ。
三人目は、柔らかい笑みを浮かべた少女。年は二十歳前後。袖口に小さな牌の刺繍があり、どこか良家の出に見える。
「よろしく」
基将が言うと、少年は短く頷いた。
「異国人でも、卓では同じだ」
「その通りだ」
大柄な青年はにやりと笑う。
「老師の推薦らしいな。どんな魔技を使うんだ?」
「秘密だ」
「けちだな」
少女は穏やかに言った。
「試験で同卓するのも縁です。よい一戦にしましょう」
「ああ」
基将は牌を混ぜた。
試験官が声を上げる。
「始め」
東一局。
配牌は悪かった。
一九字牌が散り、面子の種も少ない。七星不靠に向かうには字牌が足りず、面子手にするには形が遠い。
(いきなり厳しいな)
基将は《魔将の眼》を薄く開いた。
少年の手は速い。三色三歩高の気配。少女は門前で静かに整えている。大柄な青年は字牌を集め、碰碰和か役牌絡み。
(この手で無理に行く必要はない)
今日の目的は、一度和了ること。
ただし、誤和了は即失格。焦って無理な八点を作ろうとすれば、かえって危ない。
基将は守り気味に進めた。
現物安全の発想は使えない。だから相手の役構想を見る。少年が欲しがる中張牌を避け、大柄な青年の字牌に注意する。
東一局は、少年がツモ和了った。
「三色三歩高、自摸、無字」
点数が動く。
基将も支払う。
(やっぱりツモられても痛いな)
だが、昨日ほど心は乱れなかった。
東二局。
基将の配牌は、今度も簡単ではなかった。
二四萬、三五筒、四五索、白白、發、中、六索、八索、九萬。
(三色三歩高が見える……か? 二三四萬、三四五筒、四五六索。だが、萬子は三萬が必要で、筒子は四筒が必要。索子は四五六ができている)
三色三歩高で六点。白を刻子にできれば八点。發か中が重なってもいい。だが、萬子も筒子も嵌張で、完成には遠い。八索と九萬の扱いを間違えると、ただのばらばらな手になる。
道はある。
基将は第一打に中を切った。
大柄な青年がその牌をじっと見たが、動かない。
数巡後、基将は三萬を引いた。
(萬子が二三四になった。まず一歩)
三色三歩高の一段目。
だが、まだ四筒がない。白も対子のままだ。
条件は満たしていない。
ここから、どう八点へ届かせるかだった。
だが、そう簡単には進まない。
少女が先に動いた。
「チー」
四萬を鳴き、静かに一萬を切る。
《魔将の眼》が揺れた。
(花竜……いや、三色三歩高にも移れる形か)
少女の手は柔らかい。形を決めきらず、いくつもの役の可能性を残している。うまい。
少年は速い。すでに一向聴に近い気配。
大柄な青年は、發を重ねているように見える。もし發が切れれば鳴かれるかもしれない。
基将の手に發が一枚残っている。
(切りたいが、危ない)
ここで發を切れば、大柄な青年の手が一気に進む可能性がある。だが残せば、自分の手が窮屈になる。
基将は手牌を見た。
日本麻雀なら、相手の役牌バックを警戒して絞る場面だ。ここでも考え方は似ている。違うのは、相手が八点へ届くかどうかまで見る必要があること。
(大柄の手は碰碰和気配。發を鳴けば箭刻がつく。碰碰和六点に箭刻二点で八点。つまり發は鳴かせたら和了条件ができる)
切れない。
基将は別の牌を切った。
その一打に、少女が微笑んだ。
「發を止めましたね」
「見えてたか」
「少し」
彼女もまた、何らかの魔技を持っているのかもしれない。
次巡。
基将は白を引いた。
白が暗刻になった。
これで箭刻二点。三色三歩高が完成すれば、合計八点になる。
余剰は發と九萬。
まだテンパイではない。
だが、發が切れない。
(これを切れば、あいつに鳴かれる可能性が高い。だが切らなければ手が狭い)
基将は考えた。
試験の条件は、一度和了ること。ここで手を広げる価値は高い。だが發を鳴かせて相手を八点に届かせれば、先に和了られる危険も大きい。
《魔将の眼》を強める。
大柄な青年の手の光が見える。
發。
欲しがっている。
だが、まだ遠い。鳴かれても即和了ではない。少年の方が速い。少女も速い。
(だったら、ここで行く)
基将は發を切った。
「ポン!」
大柄な青年が声を上げる。
予想通りだった。
広間の見物人がざわつく。
「鳴かせたぞ」
「大丈夫か?」
基将は表情を変えなかった。
危険は承知。
だが、これで自分も手が前へ出る。
目指すのは、三色三歩高と箭刻。八点。
四筒が入ればテンパイ。そこから和了牌が出れば、試験条件を満たす。
少年が牌を切る。
違う。
少女が牌を引き、少し考えて切る。
違う。
大柄な青年がツモり、笑みを深める。
(まずい。近い)
彼の手に、重い光が集まっている。碰碰和、箭刻。八点が見える。
次巡、基将のツモ。
牌山に手を伸ばす。
指先が牌に触れた瞬間、妙な静けさがあった。
引く。
四筒。
入った。
(三四五筒。これで二三四萬、三四五筒、四五六索、白白白)
基将は不要牌を選ぶ。
ここで切る牌を間違えれば、相手に刺さる。自分はようやくテンパイしたが、和了れなければ意味がない。
少年の手は三色三歩高。少女は花竜か平和系。大柄な青年は碰碰和。
九萬は少女に危ない。筒子も少年に危ない。字牌は大柄に危ない。
安全な牌などない。
(だから、危険の種類を見る)
基将は少女の河を見た。
萬子の上が早く切られている。九萬は端だが、彼女の構想からは少し外れている可能性がある。少年には萬子より筒子が危ない。大柄な青年には数牌より字牌が危ない。
基将は九萬を切った。
誰も声を上げない。
通った。
次巡、少年が牌を切った。
六索。
基将の目が一瞬だけ細くなる。
和了牌だった。
だが、確認する。
二三四萬。三四五筒。四五六索。白白白。
三色三歩高、箭刻、門前清。
十点まで見える。
そう確認したはずだった。
「フー」
基将は静かに宣言した。
牌を倒す。
「三色三歩高、箭刻。八点」
試験官が牌姿を確認する。
広間が静かになった。
ほんの数秒。
その数秒が、基将にはひどく長く感じられた。
試験官が頷く。
「門前清も付く。十点だ」
「……そうか、門前清」
基将は小さく息を吐いた。和了条件は満たしている。だが、まだ点を数え切れていない。
「成立」
広間から小さなどよめきが起きた。
基将は深く息を吐いた。
和了った。
しかも、昨日の稽古と違い、人前の試験で。相手の速度と危険牌を見ながら、八点を作って和了った。
点数としては大きくない。
だが、今の基将には十分すぎる一歩だった。
少年が悔しそうに眉を寄せる。
「その形、見えていたのに」
「俺も、お前が速いのは見えてた」
「魔技か」
「少しな」
大柄な青年は笑った。
「發を鳴かせておいて和了るとは、いい度胸だ」
「鳴かせたくはなかったんだがな」
少女は基将の倒した手牌を見て、静かに頷いた。
「きれいな八点です」
「ありがとう」
基将は牌を伏せた。
試験条件は満たした。
しかし、勝負はまだ続く。
玄庵の言葉を思い出す。
勝つ必要はない。
だが、和了った後に崩れては意味がない。
基将は残りの局を丁寧に打った。
東三局では少女の花竜にツモられ、支払い。
東四局では大柄な青年の碰碰和を警戒しすぎて手が遅れ、少年に和了られた。
南場では一度、混一色に向かいかけて八点に届かないことに気づき、途中で方針転換した。結果として和了には至らなかったが、錯和を避けられた。
西場に入る頃には、頭が痛くなるほど疲れていた。
一荘戦は長い。
日本の半荘とは疲れ方が違う。局数の多さもあるが、それ以上に、常に八点への構想を考え続ける必要がある。魔技を使いすぎれば集中が削られる。使わなければ相手の速度を見誤る。
(これは、体力もいるな)
基将は茶を一口飲み、再び牌に向かった。
北四局が終わった時、基将は三着だった。
試験官が得点表を確認する。
「基将。正式和了一回。錯和なし。礼法違反なし」
基将は黙って結果を待った。
試験官は木簡に筆を走らせる。
「見習い将士として認定する」
広間のざわめきが、今度ははっきりと聞こえた。
基将は肩の力を抜いた。
「……よし」
小さく呟く。
最強位。
その称号からは、まだ遠い。
この世界では、ようやく見習いだ。
だが、見習いになった。
何者でもない異国人から、天牌閣に身を置く将士の端くれになったのだ。
玄庵が近づいてきた。
「合格だ」
「見りゃ分かる」
「嬉しそうだな」
「そりゃ嬉しいさ。見習いで喜ぶ日が来るとは思わなかったが」
「初心を思い出せてよいではないか」
「便利な言い方だな」
玄庵は笑わず、基将に一枚の木札を渡した。
そこには、基将の名と、見習い将士を示す印が刻まれていた。
「これでおぬしは、天牌閣の見習い将士だ。食う場所と寝る場所は用意される。代わりに、稽古と雑務からは逃げられん」
「雑務もあるのか」
「当然だ。見習いだからな」
基将は木札を見つめた。
麻雀最強戦の優勝トロフィーに比べれば、小さな木札だ。
だが、この世界で初めて自分の手で得た証だった。
「それと、もう一つ」
玄庵の声が少しだけ変わった。
「明後日、城下の若手将士を集めた小さな競技会がある」
「競技会?」
「見習いも参加できる。腕を見るにはちょうどよい」
基将は玄庵を見た。
「まさか、俺を出すつもりか」
「そのつもりだ」
「まだ合格したばかりだぞ」
「だからよい。負けるなら早い方が学びも早い」
「あんた、本当に俺を休ませる気がないな」
「休みたければ勝ってから休め」
基将は呆れ、そして笑った。
広間の奥では、次の試験卓が始まっている。牌の音が響く。
その音を聞きながら、基将は木札を握りしめた。
見習い将士。
異世界での最初の肩書き。
そして、その先には競技会。
知らない役も、知らない相手も、まだ山ほど待っている。
(いいじゃねえか)
基将は口元を緩めた。
(もう一度、ここから登ってやる)
最強位だった男は、異世界でようやく見習いになった。
その小さな木札が、次の戦いへの切符だった。




