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「――さて、話なんだけれど」


 さっそく話を切り出そうとしたベルンハルトに、遮って申し訳ないが待ったをかける。


「話を遮ってしまって申し訳ないですが、どうか椅子を使ってください」

 

 上司であると同時に、王族であるベルンハルトをずっと立たせているわけにもいかず、また、話を聞くのに寝ているのもどうかと身を起こし、部屋の隅に置いてあった椅子に座ってもらうよう勧めた。ついでにマルセルにも。


「いや、気を使わなくていい」

「いえ、そういうわけにもいきません」

「わかった、椅子は使わせてもらうよ。だけど、君は体調が悪いのだから寝ていて構わない」

「それこそ気を使わなくて大丈夫です。きちんとした姿勢で聞きますから」

 

 どちらも引かない、そのやり取りに呆れたのか面倒になったのか……マルセルは起き上がった私と、ベッドが壁に接している間に枕と椅子用のクッションを挟み込んだ。


「寄りかかっていろ。ただし、少しでも不調を感じたらすぐに横になるように」


 ふかふかのクッションに背を預けた私は、こくこくと頷いた。

 ベルンハルトは何か言いたそうだったけれど、ここらで折れないと話が進まないと悟ったのか、ため息を零しただけで結局何も言ってこなかった。


「それじゃ、話すよ」

「はい」


 仕切り直すように口を開く。その言葉に頷いた私を見て、ゆっくりとベルンハルトが語り始めた。


「――君は、“シェン・ディーグオ”という名前を聞いたことがあるか?」

「いえ、ありません」

「一度も聞いたことがない?」


 私がすぐに否定すると、少し食い気味に、念を押すように聞かれた。

 マルセルから向けられる視線も、心なしか厳しいもののように思える。


 内心「ええー、本当に知らないんだけど」と思いつつ、もしかしたら一度くらい聞いたことあるかも、と記憶を掘り起こす――が、やっぱり聞き覚えがない。


 この世界の人たちの中では知っていて当たり前の名前なのだろか? いや、ふたりの反応を見るに、もしかして知らないとまずい事柄だった……?


 私の答えを待っているのか、じっと見てくるふたりを交互に見るものの、残念ながら答えられることがない。


「あの、知らないとまずいことなんでしょうか……?」

「名前を聞いて、何も思い浮かばない?」

「……思い浮かぶ?」


 そんな、急に連想ゲームみたいなことを言われても。

 シェン・ディーグオという名前から思い浮かぶもの、連想できるもの、と頭の中で呟いてみる。

 

「……人名、とか? 有名な貴族とか、英雄の名前、とかですか?」


 思いついたのはそのくらいだ。


「人名じゃない」

「そうですか……」


 違うらしい。

 当てずっぽうだったから、残念だとは別に思わなかったけど。


 だったら一体何の名前なのかと、もう一度悩もうとしたところで、マルセルが私の方へ歩み寄ってきた。


「……これを」


 すっと、胸ポケットから折り畳まれた紙を取り出したマルセルが、それを私へ差し出した。

 何だろうと受け取り、取り敢えず開いてみる――広げた紙に書かれていたのは地図のようだった。


「地図……サフィランダのものじゃない……ですよね?」


 散々授業などで見慣れた元の世界の世界地図とは違い、こちらの地図は数回しか目にしていないからあまり自信はないが。


「これが“シェン・ディーグオ”だ」


 これ、と言われ、手に持った地図に視線を戻す。


「……国の名前ですか?」


 さすがに察しがついた。

 呟けば、肯定するように頷かれる。


「こちらの言葉で、“神の帝国”という」

「……すごい名前ですね」


 何というか、随分と大仰な名前だ。

 心の中で思ったままの感想を口にすると、「まったくだ」と同意される。


「……それで、シェン・ディーグオがどうかしたんですか?」


 これで、私はシェン・ディーグオを知ったわけだが、そもそも質問の内容は「名前を聞いたことがあるか?」だった。それに対して私は「否」を告げたのである。

 普通に考えて、私がシェン・ディーグオを初めから知っていれば、そこから何か会話が広がったはずだ。


「そう言えば、君は文字をルワーノに習っていると聞いたんだが、進捗はどう?」


 え、話題変えるの?

 私の質問は完全に無視だ。強引に話題を変えてきたことに、思わずぽかんとした顔になる。


「……簡単な、単語をいくつか覚えましたが……」

「ふむ。では、この中で読める文字はある?」

「ええと……」


 ベルンハルトに差し出された書類を眺め、読める単語を口に出す。


「えっと、国……これは、約束? これは、名前……」


 書かれているほとんどが読めない。


「ちなみに、君の名前は書けるようになったのかな?」

「それは、まぁ……」


 名前に関しては、クプソン村で過ごしていた時にも練習したから、今では問題なく書ける。

 すっとマルセルにペンを渡された。


「……書けと?」


 渡されたペンと、ベルンハルトの顔を交互に見ていると、無言でマルセルに書類の空いたスペースを指さされた。

 名前を書くのに丁度いいスペースだ。


「そこに名前を書いてみて」

「はあ」


 言われるまま素直に書こうとペンを紙に当てる直前、何となくだが嫌な予感がして、顔をあげた。


 じっと様子を見てくるベルンハルトに、訝しげな視線を向ける。


「隊長、ちなみに何ですけど、この文章って何て書いてあるんですか?」

「気になる?」

「気になるというか……これ、何だか契約書のようなものに見えるんですけど……気のせいですか?」


 渡された書類の紙質は、なかなか上等そうな手触りだ。動かし、角度を変えると、うっすらと光沢感のあるインクで美しい模様が描かれているのにも気づく。

 また、「名前を書いてみて」と指定されたスペースの隣には、私が読めた単語の内「名前」という意味の言葉が書かれている。


 これ、もしかして署名的なものになるんじゃあ……?


「……さすがにわかりやすかったか」


 ベルンハルトの答えを待っていると、ふいっと顔を逸らされ、聞き逃してしまうほど小さな声で呟かれた。

 しかし聞き逃さなかった私は、手に力が入る。くしゃり、紙が音を立てた。


「ほう……それで? これは一体何が書かれているんです?」


 私が契約書(仮)を握ると、マルセルが慌てたようにベルンハルトを見た。

 何だ、握り潰されたら困る書類なのか?


「身構えなくても大丈夫。その契約書は、王宮騎士団に入隊する者に必ず署名してもらう規則だから」

「……内容としては、“王家に対し、また国民に対し正義を全うすることを誓う。課せられた守秘義務を生涯全うすることを誓う”などを、もっと厳かに書き記しているだけだ」


 ベルンハルトの後に、慌ててマルセルが補足した。取り敢えず、彼の焦りを緩和するために、手の力は緩めておく。


 まさしく、この書類は契約書だったわけだ。何も知らずにサインするところだった。

 本来ならば、私が入隊すると同時に、内容に同意して署名するはずだったらしいが……。


「……何故、試すような真似を?」


 はっきり言ってベルンハルトの行動は、そう取られてもおかしくないものだった。

 私が文字を理解できていないと知りながら、読めていないということをその場で確かめた上で、契約書にサインをしろと告げる行動――そんなのまるで詐欺ではないか。


 結果的に私が不審に思って署名をしなかったのと、もし署名したとしても、こちらが不利になるような内容ではなかったとは言え、あんまりだ。


「試すような、か」


 にんまり、怪しげな笑みを浮かべたベルンハルトに、思わず後ろに身を引いた。……壁に背を預けていたので、あくまで気持ちの問題だけど。


「な、何ですか」

「いや、まさにその通りだよ」


 取り繕うのを止めたのか、それとも元々そんなつもりはなかったのか。

 あっさりと肯定してくれた男の反応に、私は逆に拍子抜けしてしまった。


「まぁ、君も薄々気づいていると思うけれど……()たちはまだ君のことを手放しに歓迎しているわけじゃない」


 ……俺、ね。


 一国の王子様らしく、品行方正に接していたベルンハルトだったが、こちらが彼の素なのだろうか。

 食えない笑顔を浮かべながら、長い足を組んで、じっと私を見つめる。


「もちろん、俺やエドは君のことを歓迎しているよ? けれど、それと同時に君の存在を考えあぐねていることも事実だ」

「……ま、それはそうですよね」


 素性が怪しい女、それに関しては私もそう思うから、そういう認識でいられることに驚きはない。


「で、試した結果はどうなんですか?」

「取り敢えず、君が本当にこの国の言葉を理解していないのかを確かめられただけだね」

「ソウデスカ」


 “だけ”ってことは、別のところでも色々怪しまれている、と。

 そりゃあ怪しさ満点でしょうよ。


「……それで、私はこれにサインしたらいいんでしょうか」

「それを書いてもらわないと、部隊を束ねる者として俺は責任を問われてしまうね」

「何で、そうちょっと引っかかるような言い方をするんですか……」


 ひらひらと手に持った契約書を揺らせば、何とも微妙な返しをもらった。


「わかりましたよ……」


 はぁっとため息を吐いて、自分の名前を書く。

 インクが乾いたことを確認して、近くにいるマルセルに渡した。


「それで? もう話は終わりですか?」

「いや、もう少しだけ付き合ってもらいたい。体が辛いなら横になってくれていいから」

「いえ、このままで大丈夫ですけど……」

「じゃあ、続けるけど……君は、ルワーノから歴史についても聞いている?」

「ええ……いくつかは」


 教えられたことをいくつか頭に思い浮かべる。


「魔物の被害を除けば、平和な国として知られているサフィランダだけど、数十年前はそれなりに争いごとに巻き込まれていてね」

「……ネブーロモンテートの戦、ですか?」

「そう」


 丁度ルワーノに教わったところだ。

 約40年前に実際に起きた戦争――確か、サフィランダ国は、他国の戦争に巻き込まれてしまったんだっけ。

 戦火が伸びた地、それがネブーロモンテート。隣国に接するサフィランダ国の北端から西端を繋ぐ霧の発生が多い丘だ。

 国境となるその場所で、侵攻してきた国を食い止めるために酷い争いがあったと教えられたが……。


「その当時、侵攻してきた国こそがシェン・ディーグオだよ」


 ここで話題が戻るのか、と少し驚く。


「隣国に攻め入るついでとばかりに、かの帝国はこの国へ手を伸ばそうとした」


 そう言えば、相手の国の名前は教えてもらえなかったな、と思い出す。

 しかし、なるほど。この国に住んでいる人ならば、過去に侵攻してきた国の名前を知っていて当然だったろう。

 いや、この国だけに留まらず、他国だって同じように戦争になっていたのだから、その名を知らない方がおかしいと思われるかもしれない。


 色々な国の因縁の大国ってわけだ。


「防戦を強いられることになったサフィランダは、侵攻を食い止めた。予想以上にこの国の力は強かったのだろうね、思わぬ痛手をくらったシェン・ディーグオは、サフィランダと不戦条約を結ばざるを得なくなった。それをきっかけに、攻め入っていた他国とも不戦条約を結んで、世界を巻き込んだ戦争は一時的になくなった(・・・・・・・・・)


 また、引っかかる言い方をする。


「帝国は、この国をさぞかし恨んでいることだろうね」


 うっそりと笑ったベルンハルトに、背筋が伸びる。

 一瞬背中がぴりぴりとしたけれど、殺気、というやつかしら。

 

「それで、ここからが本題なんだけど」


 まだ本題に入ってなかったのか、と口にしそうになったのを堪える。


「実は、非常に残念なことに裏切り者(・・・・)がいるみたいなんだよね」

「……へ?」


 変な声が出た。

 目を瞬く私に、「裏切り者……内通者というべき存在かな? まだ特定には至ってないんだけど」と笑顔で続けるから怖い。


 これ、もしかしなくてもその内通者じゃないかと疑われている?

 ひく、と口元が引きつった。いや、確かに私は怪しいだろうけれど、さすがにそこを疑われるのは困るわ。


「内通者がいて……どこかに情報を売っているということですか? 今も、どこかで……あ、」


 それで、いきなりシェン・ディーグオの話をふられたということか。


「内通者が繋がっているのは、シェン・ディーグオなんですか……?」

「ほぼ確定だろうね」


 話を聞く限り、サフィランダ国を恨んでいるだろうシェン・ディーグオが、敵と定めている国の情報を集める――そんなの、結末はひとつしかないじゃないか。


「戦争が、また始まるんですか」

「いずれね」


 いずれ、か。

 何十年も先の話かもしれないし、半年後の話かもしれない。


「国を治める立場としても、護る立場としても、答えは変わらない。戦争はあってはならないことだ」


 だから、と目を伏せる。


「戦争を回避すること自体は、今はもう難しいかもしれないね。だけど、せめてこちらが不利になる情報の流出は食い止めたい――そこで、俺たちが動くんだよ」

「第四部隊が、ですか」


 情報の流出を食い止めるということは、内通者とやらを見つけ出すために動く。そういうことだろう。


「今のところ内通者の存在は、2つの組織内にいると推測される。ひとつは、貴族の中。すでに何名かの怪しい者を捕らえているから、他にも存在するだろう」


 貴族の中にいる裏切り者か……悪代官、というか、そういう存在かしら。

 人間全員が善良な心を持っているとは限らない。少なからず、どこか後暗い部分を持っていることだろう。


 私腹を肥やすためか、更なる高みを望んでいるからか、何にせよ想像がつく。


「それと――もうひとつは、王宮騎士団の中」


 さらりと付け足された情報に、私は首を傾げた。


「王宮騎士団の、中にですか?」

「そうでないと、色々と説明がつかない情報が漏れているようでね。何度か、王宮騎士団の任務中に帝国の人間、それも観光が目的とは到底思えない輩が騒動を起こそうとしている」

「それは、また……」


 国を護るべき立場の人間が、自国の情報を敵国に提供する。

 いや、もしかしたら王宮騎士団の中に入り込んだスパイがいて、仕入れた情報を流している可能性もあるかもしれない。


「妙だと思ったから、餌をいくつかまいてみた。面白いくらい引っかかってくれたから、王宮騎士団の中に内通者がいるのは確実だろう。……ただ、まだ犯人の特定には至っていないのが現状だけどね」


 困ったよ、と肩を竦めたベルンハルトに、うんうんと頷くマルセル。


「それで、君に知っていて欲しいことは、“第四部隊は、その裏切り者をあぶり出すために動く”という地盤の元で活動しているということだ」

「あぶり出すためですか」

「第四部隊に与えられる任務は、他の部隊との合同任務が多い。今回は、少し事情があって我々だけで動いているけれど、常はそうだと思っておいてくれて構わない」

「わかりました」


 理解できたような、そうでないような……取り敢えず、頷いておく。

 色々言われたが、「この国には敵国へ情報を売るような裏切り者が複数人存在し、尚且つその裏切り者の内何名かが王宮騎士団の中に紛れ込んでいる。そして、私たち第四部隊はその裏切り者を見つけ出すために動いている」ということでいいんだよね?


「――と、ここまでの話は“守秘義務”に該当する内容だから、そのつもりでいてね」

「え?」

「最上位の極秘事項だから誰かに口外することは決して許されない。この内容について話していい許可をもらっているのは、俺を含めて4人だけだ。そして、4人は誰に話したかをちゃんと各々把握しているし、常に監視をしている。もちろん、処罰だってある――そのことをきちんと頭に入れていてね」

「……はい」


 始終輝かしい笑顔を浮かべているが、圧がすごい。

 つまり要約すると「極秘内容を他人に喋れば、こちらはすぐに把握できるし、容赦なく罰するぞ」ということか。


「それと、君には淑女としてのマナーも学んでもらうよ。形だけでもしっかりしないと、うるさい者はうるさいからね」

「……え、」


 淑女としてのマナー……?


「これからいろいろな人に会うことだしね。まず手始めに、兄上から君を連れてくるように言われているから」

「兄上、ですか?」

「そう」


 ベルンハルトの兄、それはすなわち――。


「第一王子……王太子殿下、ですか?」

「そうだよ」


 将来の国王の座が約束されている人物に会うと?

 ああ、それで淑女としてのマナー……つまり、王族や貴族に対して恥ずかしくないマナーを身につけろ、と。


 私が色々と衝撃を受けている間に、話を終えた様子のベルンハルトが立ち上がった。


「長々と悪かったね。体が辛いだろうから、しっかり休んでいて」

「……はい」

「ああ、それと。今回の任務はもう終わったから、明日の朝にはここを発つ。そのつもりで」


 それだけ最後に告げると、ベルンハルトはマルセルを伴って退室していった。

 あの双子との面会もだけど、何だか一気に色々あり過ぎて……ああ、少し引いたと思っていた頭痛がぶり返してきたわ。


 取り敢えず、今はっきり言えることは――


「……疲れた」


 部屋にひとりになった私は呟いて、ぼすっとベッドに突っ伏した。




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