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◇◆◇



「っ」


 ずるり、ぬかるんだ地面に足を取られた。

 咄嗟に、何か掴めるものがないかと手を伸ばしたが、空振りに終わる。


 濡れた地面に尻餅を付くのか、と諦めかけた時、ぐっと腕を掴まれ引っ張られた。


「気をつけろ」


 頭上から聞こえた声に顔を上げると、ヘーゼルの瞳と目が合う。


「すみません」


 私が体勢を整えると、掴まれた腕を離して、さっさと追い抜いていった。


「ミオちゃん平気?」

「はい」


 ひょいっと後ろからやってきたエドゥアルトに顔を覗き込まれた。


「山道に慣れてないだけです。気をつけます」


 ぐっと足に力を入れ、先ほどよりも慎重に斜面を下った。





「――この辺りの被害もすごいな」

「本当だね」


 結構な距離を歩いたと思う。

 魔術で飛べば早いのだが、討伐任務に就いている以上、少しでも力は温存しないといけないらしい。


 ひとり息の上がった私は、彼らの会話に参加することなく、平たい岩を椅子にして休んでいた。


「傷が新しい……恐らく、近くにいるだろう」

「早く奴らの拠点を叩かないとな」

「……修復するのも疲れる」


 決してこちらを見ない彼らから視線を外し、泥のついたブーツを見下ろす。

 帰ったら水で落とさないと、と思いながら乾いた箇所をつま先でつついていた私の方へ足音が近づいてきた。


「疲れたか?」

「……それなりには」

「そう」


 先ほどまであの会話に加わっていたのに……ひとりでいるのを見て、気でも使われたのか?

 離れた場所で休憩を取る私の傍へ来たベルンハルトを、不思議に思いながら見上げた。


「何か言いたそうだね」

「……参加されなくていいんですか」


 つい、と視線で話し合いを続ける彼らを指す。

 私の視線を追ったベルンハルトは、「ああ」と頷くと、そのまま私の隣へ腰掛けた。

 何故隣に落ち着いた?


「……ふふ」


 急に笑い声を漏らしたベルンハルトを怪訝な顔で見る。


「君、すごくわかりやすい」

「?」

「目に感情が出過ぎだね」


 ベルンハルト曰く、顔半分を隠す仮面があっても、隙間から覗く私の目が見えない表情を代弁してくるそう。

 “目は口ほどに物を言う”というけれど。


「私も疲れたから、隣失礼するよ」

「……そういうのは、座る前に言うのでは?」

「細かいことは気にしないで」


 笑顔で押し切られた。まぁ、別にいいけど。


「任務はどう?」

「どう? と言われましても……私はただ空で傍観しているだけですし」


 結局、私が空を漂う以外に取った行動は、木の槍を地上に降らせたあの一回のみ。

 昨日はずっと、ずうっと、ひとりぼんやり空に浮いていただけだ。


 その状態で、任務も何もあるかっての。


「私は戦いに参加しなくていいんでしょうか」

「君の能力が非常に高いのはわかっているんだけどね……さすがに何も訓練を受けていない女性を、戦いの中に放り込むわけにはいかないから、今回の任務は流れを見てもらおうと思っている」

「……なら、今日も私は空ですか」


 確かに戦いに不慣れなのは認める。


「王都に戻ったら、徐々に訓練の時間を作るつもりだよ。せっかくの能力だ。積極的に使ってもらいたいからね」

「そうですか」


 浮かべていた人好きのする笑みが、少し違う印象の笑みに変わった。

 何となく裏があるというか、黒いというか。

 けれど、瞬きをした後、視界に再び入ったベルンハルトの浮かべた笑みは、元に戻っていた。


「さ、目的地までもうすぐだ。頑張っていこう」


 疲れたと言っていたわりに、さっと立ち上がってキビキビとした足取りで歩き始める。

 騎士団の一員というだけあって、鍛え方が違うってことかしらね。その後に続く他の隊員たちも、疲れを感じさせない足取りだ。


 痛みを訴える足で立ち上がった。独特の痛みに顔を歪める。

 筋肉痛だ……昨日のハイキングが効いている証拠だろう。


 山、それも舗装された道は元より、人が行き交うことでできる道や、獣道すら何もない。

 森の深い道なき道を進むことなんて、生まれて初めての体験だ。


 置いて行かれないようにするのが精一杯である。


 一昨日降った雨の影響で所々ぬかるんだ斜面を、今度は登り始めた彼らの背中を見てため息をついた。

 よくもまぁ、あんなに軽々と登れるわ。


 斜面に足をかけ、自由な両手を周囲の岩や枝に伸ばしながら、後をついて行く。

 何度か滑りそうになるのを堪えながら、風の魔術で一気に飛んだ方がかえって良くないか? と思ったが、口に出したところで受け入れられないだろう。


 何せ、温存するためだと何度も言い聞かされたのだから……それにしても、ちょっと飛ぶのに使う魔力何てそう多くないだろうに。

 確かに温存しなければならない考えもわかる。けれど、効率のことを考えれば多少の使用くらい良いんじゃないかな。


 そうやって目の前のことに集中しないのが原因だろうか、ずる、と嫌な滑りを感じた時には体が傾いていた。


 ――ちょっと待って、今落ちたらさすがにまずいわよ!


 さっと血の気が引いた。

 こればかりは身の安全のために魔術を使うことを許してほしい。


「ヴェ、」

風よ(ヴェント)


 私が風の魔術を口にする前に、誰かが口を開いていた。

 ふわり、傾いた体が柔らかい風に包まれ、体勢を戻してくれる。


 難なく元の位置へ収まった私は、もう落まいと、太めの枝をしっかりと握り込んだ。


 ほっと息をついて顔を上げると、予想以上に注目されていた。

 使わないように、と念を押していた魔術が使われたことも要因のひとつだろうが……私が落ちかけていたのはばっちりと見られていたらしい。


「……すみません」


 ただでさえ遅れ気味なのだ。

 足を引っ張っている自覚がある分、今の失敗はない。


「マルセル、彼女の手助けを」

「はい」


 ベルンハルトに名指しされた青年が、私の傍まで降りてきた。


「手を貸そう」

「……すみません」


 ぐっと腕を掴まれ、上に引っ張り上げられる。

 休憩前の移動の時も、こうやって助けられたな。


 安定しそうな足場にしっかりと立ち、お礼を伝えるために青年を見上げた。


「ありがとうございます」

「……気にしなくていい」


 寡黙な人だ。

 私が見上げると、ふい、と視線を逸らされる。


 マルセル・ハント・ヴァハフント。

 確か、そう名乗っていたはずだ。

 エドゥアルトよりもさらに背丈が大きなこの男は、肩幅も広く、鍛え抜かれた立派な体躯をしていた。


 金髪や銀髪や赤髪が多い中、比較的暗い髪色の彼には微妙に親近感がある。

 じっと見つめ続けていると、逸らされていた視線が再びこちらを向いた。ヘーゼルの瞳と目が合う。


「何か?」

「いえ、何でもありません」


 今度は私が目を逸らす。

 見る人によっては失礼な態度だと思うが、特に何も言われることなく、マルセルは先を進み始めた。


 前を行く彼は、時折肩ごしに振り返って私の様子を見る。

 危なくなったら手を貸してくれるつもりらしい。


 あの日、顔を合わせた隊員の中で、この人の立場は何となくだが“中立”というものに近いのではないだろうかと考えている。


 


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