13
突然、向かい合っていた私とエドゥアルトの間に青年が無理やり割り込んだ。
思わず私もエドゥアルトも身を仰け反らせる。
え、急に何……? 青年を困惑した目で見上げた。
一言も喋らず、ずっと私たちのやり取りを静観していたのに……青年のこの行動に、困惑しているのは私だけではない。
「……ベル?」
どこか胡散臭い笑みを浮かべていたエドゥアルトは、きょとんとした顔になって首を傾げていた。
青年は、そんなエドゥアルトの方を見ることなく、無表情で私を見下ろす。
「……あの、何か?」
柔らかそうなプラチナブロンドの隙間から射るような目で見られ、眉を寄せた。
私の質問は無視かよ。
不躾に顔をじろじろ見られ、気分がいいはずもなく、やや喧嘩腰になってしまうのはしかたないだろう。
結果として、見下ろしてくる青年の整った綺麗な顔を、下から睨み上げる形となった。
明らかに態度が悪いのに、それでも青年は涼しい顔をしているだけだ。
一体、この人は何がしたいのだろうか。
しかし次の瞬間、私は目を大きく見開くことになる――いきなり、青年に頤を掴まれて、ぐいっと無理やり上を向かされたのだ。
「ちょっと!」
いくら相手が貴族だろうと、初対面の女性の頤を掴むなんて乱暴な振る舞いが許されるものか。
掴む青年の腕を狙って右手を振り抜く。ばしっ、といい音がした。
腕への衝撃が強かったのか、すんなり手を離されたので、私は後ろに数歩下がる。
「…………いい音がしたね」
しん、と静まり返った部屋に、エドゥアルトの感想とも取れる言葉がぽつんと零れた。
その声にはっとしたように、我に返ったヴィオレットが私を庇うようにして青年との間に立つ。
「ベルンハルト様! いきなり女性の顔にお触れになるのはいけませんわ!」
「そうだなぁ、今のはさすがにベルが悪いと思うぞ」
強い口調で嗜めるヴィオレットの言葉に、うんうんとエドゥアルトも頷いている。
青年の名前はベルンハルトというらしい。エドゥアルトの言っていた「ベル」は愛称というやつだろうか。
嗜められているベルンハルトは、それについて何も言わず、私の叩いた腕を、眉間にしわを寄せながらさすっている。
かなり強く叩いてしまった気もするが、私は謝らないぞ……。
「それにしても、珍しいな。何? ミオちゃんに一目惚れ?」
からかうように、エドゥアルトがベルンハルトに問いかけた。
……ていうか、ミオ“ちゃん”って何だ。確かに名乗ったけど、まさかの名前にちゃんづけかよ。
先ほどまでと一変して、どこか軟派な態度になったエドゥアルトを冷めた目で見る。もしかしてこっちが素なのか?
「ふざけたことを抜かすな、エド」
ずっと無言を貫いていたベルンハルトが、ため息混じりだが初めて言葉を発した。
「見覚えがあったから確かめただけだよ」
見覚えだって……? 再び視線を向けられ、首を傾げる。
私がこの世界にきたのは最近で、主に活動範囲は村の中だけだった。
もしかして、初日に薬を売っていた時の客だったか? と一瞬思うも、さすがにこんな美形の男だったら少しは印象に残っているはず。
「どこかで会いましたか?」
怪訝そうに問いかけた私に、同じく怪訝そうな顔をしたベルンハルトは「覚えていないのか?」と聞き返してきた。
「オークション会場にいただろう」
ぱちり、目を瞬く。
……オークション会場だって?
「オークション……?」
「そうだ」
オークションというと、思い当たるのは、ひとつしかない。
どういう経緯なのか、私が商品として扱われていた闇オークション。
じっと見てくるベルンハルトの碧い瞳を見返して――あ、と口を開く。
「殴った人……?」
碧い瞳には、なんとなく見覚えがあった。
しかし、思い当たったことを心の中で留めておくつもりが、声に出してしまったことに気づき、慌てて口を抑える。
後ろで、エドゥアルトが噴き出すのが見えた。
ついでに唇の端をヒクつかせたベルンハルトの顔もばっちり目に入った。
慌てて口を抑えたけど、まぁ当然手遅れってわけですよね。
「やっぱり、そうか」
絞り出すように言われた。
人違いです、とは到底言い出せない雰囲気に、私はふいっとあらぬ方向に目を向ける。
「べっ、ベルの顔を、し、強かに拳で殴ったっていう、例の少女か……っ」
「エド、お望みなら殴ってやるぞ?」
ツボに入ったのか……腹を抱えてつっかえながら言うエドゥアルトに、ベルンハルトは低い声で告げた。
「まぁ……ベルンハルト様のご尊顔に傷を付けたのは、ミオ様でしたの……?」
先ほどまで、むっとしていたヴィオレットだったが、こちらの話題に気がそれてしまったらしい。
大きな目を丸くして、私とベルンハルトの顔を交互に見る。
「ご令嬢たちが嘆いておりましたのよ。何せお顔でしたから……しばらく湿布を貼ってお過ごしされていましたし」
顔に湿布……と、逸らしていた視線を再び戻すと、苦々しい表情をしたベルンハルトが見えた。
殴られた痕はもちろん残っていないが、なるほど、あの顔に湿布か。ご令嬢たちが嘆くのも納得だ。
私、とんでもないことしてしまったのでは?
「ヴィオ、頼むから少し口を閉じていてくれないか」
思い出したくないのだろう、ベルンハルトはヴィオレットに肩をすくめながら頼んでいる。
そのやりとりでさらに笑いをこじらせたエドゥアルトは、先ほどの宣言通り、ベルンハルトから腹に重そうな一発をくらっていた。
「――さて、君があの場にいたことは間違いないようだ」
こほん、とひとつ咳払いをして、こちらに向き直ったベルンハルトに、自然と背筋が伸びる。
冷気でも纏っているんじゃないかという程低い声で告げられ、私は今すぐにでも逃げ出したい衝動に駆られた。
明らかにご立腹だ。……半分は、青い顔をしてソファーに沈んだエドゥアルトのせいだろうけれど。
姿勢は良くなったが、目は逸らす。
どうしたものか……視線を逸らし続けていると、ふっと影がかかる。いつの間にか、開けていた距離を縮められていた。
続いて、またもや頤を掴まれぐいっと強引に目を合わせられた。
「異論があるなら聞くが?」
本当に聞く気あるのかよ。そう思わずにいられない態度だ。
確かに――あの時は、とにかくあの状況から逃げることに必死になっていたことは認めよう。冷静な判断ができていなかったことも同様に認める。
「あの場で、明らかに不名誉な扱いを受けていた君に、救いの手を差し伸べたつもりだったんだがな」
会場の騒ぎの原因になった兵士たち、彼らは乗り込んできたのだ……恐らく、違法だと思われるオークション会場を取り締まるために。
「救いの手を差し伸べたつもり」と言ったベルンハルトも同じ兵士の格好をしていたし、私が商品として扱われていたのを知って保護しようとしたんだろう。
――そうとも知らず、当時余裕のなかった私は、むしろ逃げるのを邪魔する輩と判断し、彼の綺麗な顔を渾身の力で殴ってしまったのか。
「……ソノセツハ、ドウモスミマセンデシタ」
「ははは、これ程誠意が感じられない謝罪も初めて受けたよ」
謝罪“も”って何だ。まさか顔を殴られたのは初めてだった、とでも言いたいのか。
「あの、本当にすみませんでした。……だから、その……手を、」
頤を掴まれたままなので「手を離してください」と言うつもりだったのに、
「じゃあ、一緒に来てもらおうか」
と、遮られたあげく告げられた言葉に眉を寄せた。
「は?」
「君はあの場にいた。となれば、詳しく当時の話を聞かせてもらわないといけない」
「……どういうことよ」
思わず敬語が外れたが、ベルンハルトは咎めなかった。
「あのオークションの件は私が指揮を取っていたからな。あの件に関わっていた者から調書を取らねばならない」
調書、つまり取り調べでもされるってことか。
「拒否は……できなさそうですね」
「君は加害者ではなさそうだからね。穏便に済ませたかったら、素直に応じた方がいいと思うよ」
脅しとも取れる言い方に顔をしかめた私に対し、ベルンハルトは口の端を持ち上げてニヒルな笑みを浮かべた。
わー、嫌な笑い方ね。
「そう言えば、まだ名乗っていなかったな」
「……今更ですね……いえ、ナンデモアリマセン」
自己紹介なんか正直どうでもいい……そんなことよりいい加減離して欲しいし、離れて欲しいのよ、私は。
そんな私の思いは虚しくも伝わらず――いや、気づいていて敢えて気づいていないフリをしているのか――ベルンハルトは私の頤を掴んだまま自己紹介を始めた。
「私の名前は、ベルンハルト・フィロ・サフィールだ」
――……サフィール?
ぽかんとした私の表情に気を良くしたのか、ベルンハルトは笑みを浮かべた。
対する私は、冷や汗が流れるのを感じていた。
「ああ、やっぱり知らなかったみたいだね」
こくり、喉が鳴る。
「……サフィールって、……もしかして、貴方、」
サフィランダ国の王都と同じ名前って、それって、つまり――。
「サフィランダ国第二王子ベルンハルト・フィロ・サフィールだ。とは言っても、王位継承権は放棄している立場ではあるけれどね――名乗る時は“王宮騎士団第四部隊隊長”としての方が多い」
ぱちり、目を瞬いた――おかしい……今、さらに聞きたくない言葉が聞こえた気がするんだけど。
「あ、ベルがそっちで名乗るなら」
エドゥアルトが意気揚々と会話に割り込んできた――残念ながら、その行為は私にとって追い打ちに等しかった。
「“王宮騎士団第四部隊副隊長”エドゥアルト・ハント・グロスウォートだよ。改めてよろしくね、ミオちゃん」
――聞きたくなかった……っ!
頭を抱えたくなるのを何とか我慢した。
よりによって、王宮騎士団の、それも隊長と副隊長だって!?
ベルンハルトもエドゥアルトも貴族らしい豪華な衣服だったから、名乗られるまでまったくその事実に気付けなかった。
どうりで、仮面の少女について聞いてくるわけだ……。
衝撃を受け、恐らく間抜けな顔をしているだろう私に、静かにベルンハルトは言った。
「調書は王宮騎士団第四部隊の駐屯地で行いたいから一緒に来てもらうよ」
拒否など有り得ない。優しげな声音ながら、有無を言わさぬ妙な迫力がある。
「て、ことでヴィオレット。悪いけれど、ミオちゃん借りていくね?」
何か言いたそうなヴィオレットだったが、結局何も口にすることはなかった。
ただ心配そうな表情で私を見つめている。
そんなヴィオレットに「助けてくれ」――そう縋りたくなった私だったが、無理やり引きつった笑みを向けるしかできなかった……何この急展開。




