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◇◆◇



 ――あまり派手に動くと、衛兵とか王宮騎士団に見つかるかもしれない。

 空中散歩を楽しんでいたが、ふとよぎった可能性に、私はふわりと地面に降り立った。


 あまり長い時間だったとは言えないけれど、ヴィオレットは満足してくれたようだったので幸いだろう。


 それどころか、私は随分と気に入られてしまったらしい。


『お空を飛ぶ感覚は、どきどきしますのね……! 怖いとは不思議と思いませんでしたわ、むしろとても楽しくて、普段歩いている街並みが眼下に広がる光景は素晴らしいものでした。素敵な体験をさせてくれてありがとうございます、ミオ様』


 降り立つなり、興奮気味にがっしりと両手を掴まれ、きらきらした目でいかに楽しかったか語ってくれたし、お礼も何度も述べられた。


『それで、あの、よろしかったら我が家にいらっしゃいませんか? 我が家と言っても別宅になるので、少々手狭ではありますが……その、お礼もきちんとしたいので』


 気持ちは有難いが、さすがにこの提案に関してはお断りしようと思った。

 しかし、断る空気を察したのか、懇願するようなうるうるした目に変わっていく様子に「遠慮します」とは言えるはずもなく――私は是非と答えていた。


 美少女の全力の懇願する表情……これを向けられて断る勇気のある人いるのかしら……? 頷いてから、若干遠い目になりつつひっそりと心の中で呟いた。


 ――……こうして私は、ヴィオレットの別宅とやらにお邪魔することになったのだが、


「……手狭?」


 どこが? と思わずにはいられないほど、彼女の別宅は大きくて豪華であった。


「我がスラフィカロナ公爵家が所有しております別宅のひとつですの。ここは王都なので、あまり広い土地が取れずに少々造りが控えめなのですが、設備は最先端ですのよ」


 身なりや所作からして、貴族のご令嬢なんだろうなー、とは思っていたが、公爵でしたか。

 爵位は詳しくはないが、公爵という立場がかなり上に位置することくらいは知っている。もしかしなくても……とんでもない人とお知り合いになってしまったんじゃ……?。


「今はわたくしと数人の侍女しかおりませんので、どうか気を楽にしてお過ごしくださいな」

「え、ええ」


 気を楽に、か……ちょっと難しいかもしれない。案内されたこれまた豪華過ぎる玄関を見て、私は思った。





「……どうしてこうなったのか」

 

 そして現在、私はヴィオレットのお付きの侍女2人に広い風呂場へ連れてこられている。


 彼女の言うお礼を受け取ったら宿に帰って休もう……そう思っていたのに、あれよあれよといつの間にかお泊りする約束を取り付けられていた。

 断るため咄嗟に思いついた「着替えがないから」と言う言葉も、「お貸しいたしますわ!」と即座に返され早々に諦めた。他に言い訳が思いつかなかったからね。


 私は流されやすいのか……いや、決してそんなことないはず……。


 案内された広い脱衣所は、ここが脱衣所だと言われなければ、豪華な一室だなぁと思う場所だった。


 この先にある扉の向こうが浴室か。

 取り敢えず、いつまでも突っ立っているままではだめだろう。「入るか……」と諦めて呟く。


「では、まずは服を脱ぎましょうか」

「え?」

 

 独り言に返答があるとは思わなかった。

 入ってきた扉の方を振り向くと、にこにこと笑みを浮かべる侍女が2人。ここまで案内してくれた侍女たちだ。

 あれ? どうしてまだ残っているの?

 てっきり出て行っているものと思っていたのに。

 

「え、えっと? ……脱ぐ?」

「ええ、手早く致しましょう。せっかくのお湯が冷めてしまいますので!」

「あの、私自分で、」

「お嬢様より仰せつかっておりますゆえ、僭越ながらお手伝いさせていただきますわ!」

「さぁさぁご遠慮なさらずに!」


 何、貴族の人たちって1人で入浴しないの!? この人たち脱衣を手伝うだけじゃなく、浴室にまでついてきそうなんだけど!

 じりじり後退する私を笑顔で追い詰めながら「さあ! さあ!」と手を伸ばしてくる。

 その勢いと迫力たるや……ごめんなさい、正直怖いです。


 さっと避けたつもりだが1人に捕まってしまい、抑えられている隙にもう1人がそれはもう素早い動きで服を剥いた。脱がされた、ではなく、剥かれた。


「ひゃあっ」


 どんな早業だ!? と思わず漏れてしまった悲鳴に、2人の驚いた声が続く。


「あらあらあら?」

「まぁ!」


 私を見て目を見開いた2人が、緑色の布を手にしているのを見てはっとする。ついでに、足元に栗色の毛が落ちているのも見えてしまった。


 私は、思わずへらりと情けない笑みを浮かべた――そう言えば私、変装していたんだ、と。

 とんでもなく重要な事実を今の今まで忘れていたことに、我ながら何とも間抜けなことをしでかしたと嘆いた。



 ――――……



 入浴ってこんなに手間をかけるものなの?

 基本、さっさとシャワーで済ます派の私は、長い時間拘束されへとへとに疲れていた。


 全身丁寧に洗われた。頭ならまだわかる。しかしこの歳になって体を他人に洗われるとは……精神的にも疲れた。

 全身をごしごし磨かれた後は、いい匂いのするオイルをマッサージと共に塗り込められた。この時はもう抵抗する力も残っておらず、されるがままだった。髪も何か塗られていたような気がする。

 広い湯船にも浸かったが、あまり記憶にない。逆上せているわけではないから、恐らく短い時間だったのだろう。


「ふふふ、お嬢様驚かれますわよ」

「腕がなりましたわね、ほほほ」


 ぐったりした私とは裏腹に、入浴を(無理やり)手伝ってくれた2人は忙しかっただろうに、何故かつやつやしているような気がする。謎だ。


 お風呂に入っただけなのに、この疲労感。おかしいな、お風呂って疲れを癒すものじゃなかったっけ?


「お召し物もよくお似合いですわ」


 入浴もそうだが、その後もなかなか大変だった。

 いつのまにか用意されていた色とりどりのドレスを、あーでもないこーでもないと着せ替えられたのだから……私は着せ替えのお人形じゃないっての。


 選ばれたやたらヒラヒラしたドレスは可愛いのだが、動きづらかった。

 お風呂での疲労もあって、のたのた歩く私を先導する2人が、やがて大きな扉の前で足を止める。


 目的地かな。


「お嬢様、お連れ致しました」

「入って頂いて」


 こんこんと扉をノックすれば、ヴィオレットの明るい声が返ってくる。

 2人は私を振り向いて「どうぞ」とにっこり笑顔を浮かべた。


「入りますよー」


 呟きつつ、扉に手を掛けようとしたところで何やら話し声が聞こえてきた。来客中か?


「どうぞ、お入りください」


 戸惑っていると、再度入室を促される。ええい、許可は貰ったんだから開けちゃえ。

 かちゃ、と音を立てて扉を開く。

 部屋は、最初に通されたところとは違うようだ。ちらっと内装を確認して、中にいる人物へ視線を向ける。


 ヴィオレットと、知らない青年が2人。

 ソファーに腰掛けていた全員の目が、入口にいる私へ向けられた。


「ミオ様! お待ちして……」


 たぶん「お待ちしておりました」って言いたかったのだと思うけれど、変に途切れた言葉に首を傾げたが、佇まいを直して頭を下げる。


「お風呂ありがとうございました」

「え、ええ……」


 顔を上げると、驚いた表情で私の方へ歩いてくるヴィオレットが目に入った。

 すぐ目の前に立って、じっと私を見つめる。


「ミオ様……あの、触れてもよろしくて?」

「? どうぞ」


 何に触るのだろう? 待っていると、白い指先が私の髪をひと房掬った。

 元々さらりとした髪質だったけど、お風呂の後塗られたオイルのおかげかキューティクルがすごい。

 まじまじと髪を見つめるヴィオレットの視線が、私の顔に移る。


 私の方が背が高いから自然と上目遣いだ。こてん、と小首を傾げた姿はとても可愛いらしい。


「ミオ様……貴女、黒髪だったのですか……?」

「あ、」


 疲れのあまり、またもや完全に頭から抜けていた。

 ヴィオレットにはまだ髪のこと知られていなかったのだ。


「それに……」


 髪から離れた白い手が私の顔へ伸びてきて――


「ああ、何て愛らしいのでしょう!」


 ――頬をふわりと両手で包まれた。


「前髪とメガネで隠れていたけれど、きっと美人なのだろうと思っていましたのよ! ああ、でも想像以上でしたわ……! 何て愛らしいお顔なのでしょう!」

「? え? ええ?」

「黒髪も、まるで極上の絹糸のようですわ! さらさらで……こんなに美しいのにどうして隠していらっしゃたのです? 勿体ないですわ」

「ええと、まあ、いろいろあって?」


 そう、いろいろあったのだ。そのため、変装というスタイルに落ち着いたのだけど。


「いろいろあったんですの?」

「そう、いろいろ……」

「でも、本当に勿体ないですわ……お顔も、黒髪もとても美しいのに隠してしまうだなんて」


 とても残念そうに告げられて、返答に困ってしまう。

 まだまだ褒めたりない! と言わんばかりに褒め言葉を述べられ、本格的に困り果てていると「コホン」と咳払いの音が聞こえた。


「あら」


 ヴィオレットはぱちりと目を瞬き、咳払いの方へ視線を向ける。


「ヴィオレット、盛り上がっているところ悪いけれど、そろそろその麗しいご令嬢のご紹介をしてくれないかな?」


 にっこりと笑みを浮かべた青年に、ヴィオレットは「まぁ、わたくしったら」と恥ずかしそうに頬に両手を当てた。


 え、何、流れ的に自己紹介でも始まるの……? こちらに近づいてくる青年たちに、口元が引き攣りそうになる。


 待って、別にお知り合いになりたいわけじゃないんですけれど。

 にこにこ笑みを浮かべる青年も、その隣で私をじっと見ている青年も、どちらも絶対貴族だろう。


 しかし、この流れを回避するのはどうも難しそうだ。


「先ほど少し聞いたんだ。私の婚約者が危なかったところを助けて頂いたみたいだね。私からもお礼を言わせてほしい」


 なんと、先ほどヴィオレットに声をかけた青年は、彼女の婚約者だったようだ。


「ヴィオレットを助けてくれてありがとう。私は、エドゥアルト・ハント・グロスウォートという。これも何かの縁だ。仲良くしてくれると嬉しいよ」

「いえ、とんでもないです……えっと、ミオ・レイゼイといいます」


 にこやかに挨拶されるも、貴族に対する礼儀作法がわからないんだってば。

 内心ドキドキしながら、取り敢えずドレスの裾をちょん、と摘んで軽くお辞儀した。


「レイゼイ……? 変わった名前だね」


 私の礼儀作法は突っ込まれなかったが、名前に引っかかったらしい。まぁ……響きは珍しいだろうね。何せ、日本人の名前だし……。


 興味深そうな視線を向けられるが、ここはしっかり誤魔化しておかないと。


「そうでしょうか?」

「うん。少なくとも、私は初めて耳にしたよ」


 にっこり、また笑みを向けられる。

 わぁ、女子にきゃーきゃー言われそうな顔ね。


「先ほどの会話が聞こえたんだけど、君は髪と顔を隠して過ごしていたのかい?」

「……ええ、まぁ。少し事情がありまして」

「へぇ、せっかく美しいのに、勿体無いことだね」

「そんな……」


 やけに馴れ馴れしいというか、つい今名前を教えあったばかりなのに、人の事情に遠慮なく突っ込んでくるなこの人。

 それに、この向けられている笑みも何だか作り物めいているような気がする。

 何となく警戒していると、エドゥアルトの笑みが少し種類を変えた。


「ひとつ聞きたいのだけど――君は、昨日赤石の街(ルータストーノ)の騒ぎを目にしたかい?」

「……赤石の街(ルータストーノ)の騒ぎ、ですか?」

「そう。かなり強力な魔物が襲撃してきたと聞いてね。もし、あの場にいたのなら余程怖い思いをしたのではないかと」


 聞きたいにしても、会話の流れ的に突拍子もない質問だと思う。

 けれど、何だろう……向けられている笑顔が、何というか……、


 ――怪しまれている……?


「行こうとは思っていましたが、その前に襲撃があったので……規制もありましたし行くのはやめました。ただ、襲撃の話には聞いていましたので、とても恐ろしいと……」


 眉を下げ、しおらしい雰囲気を意識しながら、さらりと嘘を吐いた。

 何を怪しまれているのかわからないが、私の直感が「取り敢えず面倒なことになりそう」と告げている。


「確かに、人的被害はなかったとはいえ、恐ろしいことだよね」

「はい」


 私の意見に同意するよう、にっこり笑顔を向けられるが、その意味ありげな笑顔が怖いんだってば。


「それじゃあ、仮面の少女は見ていないんだね」


 ――そういうことか。


 何となく、読めてきたぞ。

 もし私の読み通りなら、「怪しまれている」という考えは「疑われている」という考えに置き換えられる――エドゥアルトは、私を「仮面の少女」だと思っているのだろう。


 何故エドゥアルトが探りを入れてきているのかわからないが……今の私は、長い黒髪の少女だ。そして、ヴィオレットの発言から、意図して姿を偽っていたことも既に知られている。


 どう誤魔化そうか……すっと目を細めた時だった。




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