第9話
それから数週間後、私は公爵様の書斎へ呼ばれた。そこにはユフィル様もいた。
公爵様は机の上に置かれた書類へ一度目を落とし、それから私を見る。
「調査が終わった。やはり、君の考えたとおりだったよ」
「……!」
「聖女様とレイモンドについて広がっていた噂。その大半は、意図的に作られたものだった」
「そう、でしたか……」
胸の奥に張りつめていたものが、ようやくほどけた。
「問題は、誰が噂を広めたのかだが……発端はテオバルト殿下だった」
「……え?」
調査によれば、巡行へ出る前、テオバルト殿下は聖女様へ想いを告げていたらしい。けれど、聖女様はそれを受け入れなかった。
「殿下にとって、自分が拒まれたという話が広がるのは面白くなかったのだろうな」
公爵様が呆れたように息を吐く。
「そこで、『聖女にはすでに想い人がいる』という話を流した。その相手にされたのが、巡行護衛の騎士だった」
「そんな……」
「そして、その話に便乗したのがヴァルモン騎士団長だ」
以前から次期騎士団長候補として名前が挙がっていたディーン様の存在は、現団長であるヴァルモン様にとって面白いものではなかったらしい。
聖女様との不適切な関係が噂になれば、ディーン様を次期団長候補から外す理由になる。テオバルト殿下とヴァルモン騎士団長の思惑は、そこで一致した。
さらにその下では、ディーン様への妬みや団長への追従、自分の出世を望む思惑から、何人もの騎士が噂を広める側に回っていた。
彼らは過去の巡行経路をもとに噂を作っていたため、崖崩れによる迂回までは把握していなかったのだという。
「その中には、君の姉の婚約者もいた」
「……グランヴィル様が?」
あの日、騎士団本部を訪ねた私に、気さくに話を聞いてくれた人。
『噂されるようなことをしてるんだから』
そう言われたときは、騎士団の人までそう思っているのだとしか考えなかった。まさか、本人が噂を広める側だったなんて。
「グランヴィルは、自分が話を広める側だったからこそ、ああいう言い方をしたのだろうな」
「……」
何も知らず、あの言葉を信じかけていた自分を思い出し、ぞっとした。
そして今回の調査を受け、テオバルト殿下は王太子位を退くことになった。
聖女巡行という国の重要な務めを自分の感情のために利用し、虚偽の噂を広め、さらにはその調査まで止めようとしたことが問題視されたのだという。今後は王都を離れ、地方で暮らすことになるらしい。
新たな王太子には、第二王子殿下が立たれる予定だ。
ヴァルモン騎士団長も団長職を解かれ、そのまま騎士団を追われた。ほかの騎士たちにも、関与の程度に応じて降格や除籍などの処分が下され、姉の婚約者であるグランヴィル様も例外ではなかった。
その結果、姉との婚約も白紙になったという。
「こんなことになるなんて……」
あまりに大きな話になってしまい、何を言えばいいのか分からない。
すると、公爵様が急に笑った。
「いやあ、それにしても君には助けられたよ」
「……ど、どうしてですか?」
「どうしてって。君のおかげで、ようやくテオバルト殿下を王太子の座から降ろすだけの理由ができたんだから」
「……ええっ?」
思わず声が裏返った。
「実を言えば、私は以前から、第二王子殿下の方が次代の王にふさわしいと考えていてね」
「は、はあ……」
「同じ考えの者はそれなりにいた。だが、すでに立太子されている方を退けるとなれば、当然それ相応の理由が必要になる。しかし、テオバルト殿下はこれまで、大きな失態らしい失態を見せなかったからね」
公爵様が机の上の書類を指先で軽く叩く。
「今回の件が、その決定打になったというわけだ」
さらりと、とんでもないことを言われた。
そんな話を私にしてしまっていいのだろうか。
「それに、閣下が第二王子殿下を支持すると明確になったことで、これまで様子を見ていた方々もまとまりましたしね」
ユフィル様が何でもないことのように言う。
「ああ。結果としては、ずいぶん話が早く進んだ」
楽しそうに話す二人を、私は戸惑いながら見比べた。
すると、公爵様は何事もなかったかのように話を変えた。
「ところで君、うちで働かないか?」
「……え? うちって……公爵家ですか?」
「そうだ。王太子を前にしても自分の意見を引っ込めず、しかも根拠まで揃えて話した。提出してもらった資料も、要点がよくまとまっていた」
公爵様が楽しそうに笑う。
「なかなか面白い人材だ」
「公爵閣下。王宮女官に決まったばかりの子を引き抜かないでくださいよ」
ユフィル様が呆れたように口を挟んだ。
「ははは。冗談だよ。半分くらいは」
「半分は本気なんですね……」
まさか、公爵様から働かないかと誘われる日が来るなんて。少し前までの私なら、想像することさえできなかった。
「どうかね? 妻もソフィアも、君がこのまま屋敷にいてくれたら喜ぶと思うが」
「閣下、それはもうほとんど本気ではないですか……」
「……ありがとうございます。とても嬉しいです」
私は頭を下げた。それから少し考えて、顔を上げる。
「ですが、私は王宮女官として働かせていただきたいと思っています」
その瞬間、隣にいたユフィル様が目に見えてほっとした。けれど、すぐに小さな声で言う。
「こんな機会、めったにないぞ。ディーンに気を遣う必要はないから、ちゃんと考えろよ」
その言葉に目を瞬かせ、それから私は小さく笑った。
以前、仕事についてディーン様とユフィル様に相談したときのことを思い出す。
『王宮のような国の機関なら、今勉強していることを幅広く使えるだろうな』
ディーン様はそう言った。
『貴族家で働くのも悪くないけどね。その家次第ではあるけど、合った仕事を任せてもらえるし、何かあったときには家そのものが後ろ盾にもなるから』
ユフィル様が続ける。
『王宮なら、部署を移ることもあるだろうし、働きを認められれば昇進する道もある』
『もし頑張ったら……ディーン様みたいに、上へ行くこともできるのでしょうか?』
そう尋ねると、ユフィル様が笑った。
『かもね』
『私だって、まだ上へ行けるかは分からないぞ』
ディーン様まで笑っていた。
「王宮で、私がどこまでできるかは分かりません。でも……頑張ってみたいんです」
「そうか」
公爵様は少し残念そうにしながらも、すぐに笑った。
「本人がそう言うなら仕方ないな」
「申し訳ございません」
「謝ることではないさ。それに――」
公爵様は口元を上げる。
「王宮の中に、君のようにおかしいと思ったことを口にできる者がいるのも悪くない」
その言葉に、私も少しだけ笑った。
◆
調査が終わったあとも、私は実家へ戻ることはなかった。
王宮女官として正式に採用されたことで、今後は王宮が私の身元を保証してくれることになった。
さらに公爵様が間に入り、王家の承認のもと、私はベルフォード伯爵家とは財産上も切り離されることになった。家の財産を受け継ぐ権利を失う代わりに、今後、家がどれだけ困窮しても、その負債を私が背負うことはない。
辺境伯との婚約についても王家が間に入ってくれたが、具体的に婚約解消へ向けた話し合いを引き受けてくださったのは、公爵様だった。
『これくらいはさせてくれ』
そう笑っていたけれど、父はかなり抵抗したらしい。
『もう縁談は進んでいるんですよ。今さら取りやめになどできません!』
『本人が望まない婚姻を、家の都合だけで押し通すおつもりですかな』
『そうしなければ我が家が困るのです。ようやく繋いだ縁なのですよ』
それに対し、公爵様はこう返したという。
『家のために縁を結ぶこと自体を否定するつもりはありません。だが、それはまず家の基盤があっての話でしょう』
そして、続けた。
『一人の娘に、家の延命そのものを背負わせるのは違うのではありませんかな』
父は、それ以上何も言えなかったらしい。
辺境伯側も事情を知ると婚約解消に応じ、私の婚約は正式に白紙となった。
その話を聞いた瞬間、肩から力が抜けた。
本当に、終わったのだ。
もう、辺境伯へ嫁がなくていい。
あの家へ帰らなくてもいい。
そして私は、王宮女官として働き始めることになった。




