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【完結】1年後には辺境伯に嫁ぐ予定の令嬢ですが、好きな騎士は3年間の巡行へ行ってしまいました  作者: 福嶋莉佳


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第5話

その噂を耳にするようになったのは、巡行団が王都を発って半年ほど経った頃だった。


「聖女様と護衛の騎士様、ずいぶん親しいらしいよ」


「巡行先でも、いつもお側にいるんですって」


「美男美女で、とても絵になるらしいわ。それってもしかして――」


王立図書館へ向かう途中、騎士団の訓練場を眺めていた若い女性たちが、楽しそうにそんな話をしていた。


「……嫌だな」


小さく呟いて、その横を通り過ぎる。


以前は新聞の一面に、聖女様がどこの神殿へ到着したとか、祝福を受けた人々の言葉だとか、そんな記事がよく載っていた。


最近ではそれも少なくなり、代わりに耳へ入ってくるのは、こんな噂ばかりだ。


みんな、こういう話が好きなのね……。


ところが、それからしばらくすると、噂は妙に具体的になっていった。


『ルーヴェン大神殿で、聖女様と護衛騎士が二人で手を繋いでいた』


『その騎士は、黒髪で背の高い男だった』


黒髪。背が高い。


その言葉を聞くたび、胸の奥がぎゅっと苦しくなる。


――でも、黒髪で背の高い騎士なんて、ほかにもいたはず。


そう言い聞かせていたのに。


「それって、ディーン・レイモンド様じゃない?」


「えっ、嘘!? ディーン様なの!?」


「そうそう。巡行に同行している騎士で当てはまるの、あの方くらいでしょう?」


そんな声が背後から聞こえてきて、思わず足が止まりそうになった。


「……違う。ディーン様じゃない……」


誰に聞かせるでもなく呟いて、その場を離れた。


ただでさえ、数日前には婚約者が我が家を訪ねてきたばかりで、気が滅入っていた。


婚約者は王都へ用事があり、そのついでに立ち寄ったという。顔を合わせるのは、その日が初めてだった。


『王宮の夜会へ出た経験は?』


『……ございません』


『そうか。それは困るな』


そのあとも、どんな勉強をしているのか、礼儀作法はどこまで身についているのかと、次々に尋ねられた。


私なりに答えると、辺境伯はしばらく考えたあと、


『まあ、許容範囲だな』


そう言った。


それから私の身体を上から下まで眺め、


『しかし、もう少し太った方がいい。跡継ぎを産むのだから、もう少し健康的でなければ困る』


とも言われた。


思い出すだけで、また気持ちが沈んだ。


「……もう嫌……」


その夜、私は布団にくるまりながら呻いた。


婚約者には品定めをされ、そのうえ、ディーン様には聖女様との噂まである。


胸が痛くて仕方がなかった。


「こういう時は……」


嫌なことがあると、私はよくディーン様のことを思い出した。


勉強を教えていただくようになって、しばらくした頃のことだ。


図書館へ向かう途中、訓練場の前でディーン様が一人の令嬢に呼び止められているのを見かけた。


『ディーン様、三日後は空いていらっしゃいますか?』


その日は、いつも図書館で勉強を教えていただいている日だった。


胸がざわついて、私は二人の横を足早に通り過ぎた。


そして当日、いつものように図書館へやってきたディーン様に、私はできるだけ何でもないことのように尋ねた。


『あの……もしご予定があるのでしたら、そちらを優先してくださいね』


『? 予定?』


ディーン様は不思議そうな顔をした。


結局その日も、いつもと同じように閉館近くまで勉強を教えてくれた。


「……うん」


思い出すと、少しだけ胸の苦しさが和らいだ。


「……それにしても」


こんな噂を、放っておいてよいのだろうか。


聖女様は国を代表して巡行している。


ディーン様だって、騎士団を代表してその護衛に選ばれたはずだ。


そんな二人が、巡行先で恋愛沙汰を起こしているように噂されている。


「……騎士団としても、不名誉な噂なのでは?」


私はむくりと起き上がった。


本当なら、騎士団から何か説明があってもいいのではないだろうか。


「……明日、行ってみよう」


◆


翌日、私は王都騎士団の本部を訪ねた。


訓練場の前なら何度も通ったことがあるけれど、中へ入るのは初めてだ。


緊張しながら受付へ向かう。


「あの……騎士団長様にお話があるのですが」


受付にいた騎士が顔を上げた。


「団長に? どういった用件で?」


「今、市井で広がっている……聖女様と、巡行に同行している騎士様についての噂のことで」


「ああー……」


騎士は、またかというように肩を落とした。


「その話ね」


「ご存じなのですか?」


「そりゃあ知ってるよ。最近、それを聞きに来る人が多くてさ」


困ったように頭を掻く。


「特にレイモンドのことを聞きたがる女性が多いんだ。『本当に聖女様と付き合っているんですか』とか、『帰ってきたら結婚するんですか』とか」


「い、いえ、そういうことを聞きたいのではなくて……」


慌てて首を振る。


「このような噂を、騎士団として放置していてよいのでしょうか」


騎士が一瞬、意外そうな顔をした。


「よくはないよ。でも、仕方ないだろ?」


「……え?」


「噂されるようなことをしてるんだから」


胸の奥が冷たくなった。


「そ、そんな……どうして、そう言い切れるのですか」


騎士は少し言いにくそうにしたあと、あっさり答えた。


「そもそも、今回の巡行護衛に名乗り出たの、レイモンド本人だしな」


「……え?」


頭の中が、一瞬真っ白になった。


「ディーン様が……自分から?」


「ああ。聖女様の護衛に自分から志願して、実際に選ばれた。そのうえ巡行先でもずっとお側にいるんだ。そりゃあ、噂されても仕方ないだろ?」


◆


家に帰ってからも、その言葉が頭から離れなかった。


――ディーン様が、自ら志願した。


「……そうよ」


ディーン様は高潔な方だ。


聖女様の巡行を守るため、自分から護衛を望むことだって、何もおかしくない。


それなのに私は、何を考えているの……。


「――だ。聞いているのか、アリア!」


「……っ!」


はっとして顔を上げると、机の向こうに座る父が眉間に皺を寄せていた。


「申し訳ありません……」


「まったく。王太子殿下主催の夜会がある。お前も出席しろ」


「私が、ですか?」


「ああ。ちょうどいい機会だ。辺境伯へ嫁ぐ前に、少しは王宮の夜会にも慣れておけ」


「……分かりました。あの、お父様は?」


「私は行かん」


父は興味を失ったように書類へ目を落とした。


「あの……夜会となると、ドレスが……」


「ジゼルのものがいくらでもあるだろう。適当に直して着ろ」


「……はい」


それ以上何も言えず、私は父の執務室を出た。


自室へ戻ろうと廊下を歩いていると、姉の部屋から楽しそうな声が聞こえてきた。


「ねえ、見て。この指輪、素敵でしょう? あの方が贈ってくださったの」


嬉しそうに笑う姉の声。


「……いいなぁ」


思わず、そんな言葉が漏れた。


普段なら、姉がどれだけ着飾っていても、何を贈られていても、羨ましいなんて思わないのに。


今日だけは、どうしても駄目だった。


自分の部屋へ戻ると、扉を閉め、その場にしゃがみ込んだ。


涙がぽろぽろと落ちていく。


もし、私が長女だったら。


もっと美しかったら。


あるいは――聖女様のような、誰からも敬われる女性だったら。


ディーン様の隣に、堂々と立つことができたのだろうか。


「……っ」


仕事は、まだ見つかっていない。


この小さな部屋からも、この家からも出られない。


婚約の日取りは、少しずつ近づいている。


このまま何も変わらなければ、半年後には私はもう王都にはいないだろう。


その事実が、急に恐ろしくなった。

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