第4話
振り返った私は、目を見開いた。
銀色の長い髪に、透き通るような白い肌。長い睫毛に縁取られた瞳まで淡い色をしていて、純白の聖衣を纏ったその姿は、まるで絵画から抜け出してきたようだった。
――綺麗な方。
あまりの美しさに、思わず見つめてしまう。
女性は私たちのそばまで来ると、ふわりと微笑んだ。
「わたくしが赴く巡行ですもの。神はきっと、最後まで正しくお導きくださいますわ」
その言葉を聞いて、ようやく気づいた。
この方が――聖女様。
急いで頭を下げようとすると、その前にディーン様が口を開いた。
「もちろん、聖女様のお力は信じております」
そう言ってから、手の中のスカーフへ目を落とす。
「ですが、無事を願ってくれる人がいるというのは、嬉しいものです」
「まあ。これから巡行護衛としてお仕えするというのに、ずいぶん人の願いを大切になさるのね」
「それとこれとは別です」
私は慌てて聖女様へ向き直った。
「あ、あの……聖女様。国のために長い巡行に赴いてくださり、本当にありがとうございます」
鞄を探り、もう一つ用意していた包を取り出した。
「よろしければ、こちらを……」
聖女様の象徴とされる白百合を刺繍した、白いハンカチを差し出す。
聖女様はそれを見ると、ぱちりと目を瞬かせた。
「あら。彼のついでに、わたくしの分を?」
「い、いえっ! そういうわけでは……!」
「冗談よ。頂くわ。人々から寄せられる祈りや願いを受け取るのも、聖女の務めですもの」
そう言って、私からハンカチを受け取った。
「聖女様、お時間です」
聖職者から声がかかった。
「もうそんな時間なのね」
聖女様はそう呟くと、ディーン様を見る。
「では、行きましょうか」
聖女様が先に歩き出す。
ディーン様もそのあとに続こうとして――ふと、足を止めた。
「アリア」
振り返ったディーン様と目が合う。
ディーン様は何か言いかけるように一度唇を開き、そのまま言葉を飲み込むように閉じた。
「……また、王都で会おう」
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられた。
三年後。
私がここにいるのかも分からない。
それでも私は、精いっぱい笑った。
「……はい。いってらっしゃいませ」
ディーン様も小さく笑う。
そして背を向けると、歩きながら手にしていたスカーフを首元へ巻いた。
「あ……」
銀色の礼装用の鎧に、深いワインレッドがよく映える。
本当によく似合っていて、それだけで胸がいっぱいになった。
やがて大聖堂の鐘が鳴り響いた。
正面へ戻ると、広場は先ほど以上の熱気に包まれていた。
大聖堂の大扉が開き、聖女様が姿を現した瞬間、歓声が上がる。
「聖女様!」
「どうかお気をつけて!」
「なんてお綺麗なの……!」
白い花びらが空へ舞い、道の両側に集まった人々が一斉に手を振る。
聖女様は白と金で飾られた屋根のない馬車へ乗り込み、柔らかな笑顔で人々に手を振っていた。その周囲を、巡行に同行する騎士たちが馬に乗って固めていく。
そして、その中に――。
「きゃあっ、あの騎士様、素敵!」
「本当! 格好いい!」
ディーン様がいた。
礼装姿のまま馬に跨がり、その首元には、私が渡したスカーフが見える。
「……」
大聖堂の鐘がもう一度鳴り、巡行団がゆっくりと動き始めた。
人々の歓声に包まれながら、聖女様を乗せた馬車と騎士たちが大通りを進んでいく。
ディーン様の姿が、少しずつ遠ざかっていった。
もう、訓練場で彼の姿を探すこともない。図書館へ行っても、あの席にディーン様はいない。帰り道を、一緒に歩くこともない。
「ディーン様……」
堪えきれず、涙が頬を伝った。
花びらが舞い、人々が笑顔で手を振る華やかな大通りの中で、私は巡行団の姿が見えなくなっても、しばらくその場を動くことができなかった。
◆
ディーン様がいなくなったあとも、私は変わらず王立図書館へ通い続けた。
最初の頃は、本を開いても文字がまったく頭に入ってこなかった。いつもディーン様が座っていた向かいの席を見るだけで胸が苦しくなり、気づけば涙が滲んでいることもあった。
それでも、毎週同じ時間に図書館へ行き、少しずつでも本を開いた。そうして何週間か経つ頃には、ようやく以前のように勉強へ集中できるようになっていた。
ディーン様に言われたとおり、王宮女官の募集にも応募したが、返事は来なかった。
やっぱり、駄目だったのだろう。
仕方がないと気持ちを切り替え、私はまた別の求人を探した。
ディーン様には、できるだけ王都で仕事を探すように言われていた。ただ、いつまでも王都の職業斡旋所へ通い続けていれば、いずれ両親に知られてしまうかもしれない。
そこで最近は、地方から寄せられた求人にも目を通すようになっていた。
「ローデン地方……」
求人票に書かれた地名を見て、思わず呟く。
巡行団がローデン地方へ到着するのは、順調に進んでも一年半ほど先だったはずだ。
「……まだまだ先ね」
今頃、ディーン様はどこにいるのだろう。
そう考えてしまい、慌てて求人票へ視線を戻した。
家の中にも、少し変化があった。
姉のジゼルが、グランヴィル伯爵家の三男を婿に迎えることが決まったのだ。
「さすがジゼルだ! やはりお前なら、あの縁談をまとめられると思っていたぞ」
談話室から、父の上機嫌な声が聞こえてくる。
グランヴィル伯爵家といえば、王都でも名の知られた家だ。
――お姉様、すごいな。
そんなことを思いながら廊下を歩いていると、ちょうど談話室から姉が出てきた。
「あら、いたの」
「お姉様、ご結婚が決まったそうで……おめでとうございま――」
「お願いだから、そんな辛気臭い顔でうろうろしないでよね」
姉は私の言葉を遮ると、淡々と言った。
「ただでさえ映えない顔なのだから」
そう言い残し、そのまま私の横を通り過ぎていく。
「……はい」
姉の結婚式まで、家はますます忙しくなるのだろう。そして、そのあとには私の結婚も待っている。
時間は、確実に減っていた。
ディーン様がいなくなってからも、ユフィル様はときどき図書館へ顔を出してくれた。
「お、ちゃんとやってるな」
そう言って、計算を見てくれたり、王宮で使われる書類の書き方を教えてくれたりする。
「一人だと分からないところもあるだろう?」
「はい。ありがたいですけど、お忙しいのでは……」
「いいって。俺も暇なときだけだから。あと、これ」
そう笑いながら、ユフィル様は持っていた新聞を机の上へ置いた。
その一面に、大きな見出しが載っていた。
『聖女一行、ルーヴェン大神殿へ到着』
「あ……」
思わず新聞へ手を伸ばす。
記事の下には、大神殿の前で人々に手を振る聖女様の姿が版画で描かれていた。その周囲には、巡行に同行する聖職者や騎士たちの姿もある。
決して細かな絵ではなく、顔まではほとんど分からないほど小さく描かれている。
それでも――。
「……ディーン様」
聖女様の後ろに控える騎士を見つけ、指先でそっと触れた。
「よく分かるな」
「なんとなくですけど……」
立ち姿で分かった。
記事には、巡行団が予定どおりルーヴェンへ到着したことや、聖女様が大神殿で人々から盛大な歓迎を受けたことが書かれていた。
私は記事を最初から最後まで、何度も読み返した。
「次に向かうのはヴァルドですよね」
「よく知ってるね」
「出発前に、ディーン様と巡行の道筋を地図で見ていたので」
そのあと、いくつかの神殿を巡って北へ進む。
それから私は、新聞に巡行の記事が載るたび、欠かさず読むようになった。




