第二巻 長崎の設計図 第九話 黒船商会の正体
澄の情報網は、惣介の想像より広かった。
翌日、澄は惣介を英国商館の近くにある茶屋に連れて行った。
表向きは普通の茶屋だった。だが奥の座敷に通されると、そこに二人の男が待っていた。
一人は中国人だった。五十がらみ。上海から来た貿易商だと澄が紹介した。
もう一人は日本人だった。三十前後。長崎の港で荷役の仕切りをしている男だと言った。
二人とも、澄の顔を見て頭を下げた。
この女は、長崎の情報網の中心にいる。
惣介はそれを静かに確認した。
――――――
「黒船商会について、話せることを話してください」澄は二人に言った。
中国人の貿易商が先に口を開いた。日本語が流暢だった。
「上海では、黒船商会は三年前から動いています」男は言った。「表向きは綿花と茶の輸入。でも本当の商売は、港の情報を集めることです」
「港の情報」惣介は聞いた。
「水深。石炭の補給能力。入港できる船の大きさ。そして港を管理している人間の名前と、その人間の借金の状況」男は静かに言った。「全部を揃えてから、動く」
「動く、とは」
「港を買う」男は言った。「直接ではない。まず保険の査定を変える。次に荷の流れを変える。そうすると港の収益が落ちる。借金が増える。最終的に、土地が手放される」
惣介は止まった。
長崎の波止場で、汐が言っていた言葉が戻ってきた。
——港を買うんじゃない。人が、そこしか選べなくなるようにするんです。
まったく同じ手口だった。
――――――
荷役の男が続けた。
「長崎でも、二年前から同じことが起きています」男は言った。「小さい港が三つ、外国商社の管理になりました。表向きは日本人の名前が残っていますが、実質は違う」
「黒船商会の傘下ですか」
「そうです」男は言った。「神戸でも横浜でも、同じことが進んでいます。ただ、長崎が一番早かった」
「なぜ長崎が」
「龍馬さんが、ここで気づいたからじゃないですか」男は静かに言った。「だから長崎が、一番の標的になった」
――――――
茶屋を出ると、惣介は澄と並んで歩いた。
「二人は、どういう人間ですか」惣介は聞いた。
「信頼できる人間です」澄は言った。「龍馬さんが繋いでくれた縁です」
「龍馬さんが」
「ええ」澄は歩きながら言った。「龍馬さんは、情報網を作っていました。帳簿だけではなく、生きた情報を集める人間のネットワークを」
惣介は黙って聞いた。
「そのネットワークが、今も動いています」澄は言った。「龍馬さんが死んでも、繋がりは残った」
「それが、設計図の一部ですか」
「そうだと思います」澄は静かに言った。「別冊には、このネットワークの設計も書かれているはずです」
――――――
宿に戻った惣介は、紙を出して整理した。
黒船商会の手口。
まず港の情報を集める。水深、石炭、入港能力、管理者の名前と借金。
次に保険の査定を変える。リスクが高いと判断して、保険料を上げる。
荷の流れを変える。別の港に誘導する。
収益が落ちる。借金が増える。
土地が手放される。
買う。
全部、数字で動く。悪意は見えない。合理性だけがある。
惣介は紙を見た。
これは帳簿の問題だ。
剣では止められない。銃でも届かない。
でも帳簿なら、追える。
惣介は初めて、自分が帳簿係であることの意味を感じた。
――――――
夜、惣介は澄に呼ばれた。
事務所に行くと、澄が地図を広げていた。日本の沿岸の地図だった。
「見てください」澄は言った。
地図に印が打たれていた。長崎近郊に三つ。神戸に二つ。横浜に一つ。
「全部、黒船商会が管理している港です」澄は言った。「この二年間で、ここまで広がった」
惣介は地図を見た。
印が、日本の主要な港を囲むように並んでいた。
「龍馬さんの設計図は」惣介は言った。「この印の外側に、別の線を引こうとしていたんですか」
澄は惣介を見た。
「そうです」澄は静かに言った。「黒船商会が握っていない港を繋ぐ。日本独自の航路を作る。そうすれば、黒船商会の線を迂回できる」
惣介は地図を見た。
印のない港が、まだあった。
小さかった。だがあった。
「函館は」惣介は聞いた。
澄は地図の北を指した。
函館には、印がなかった。
「まだ、手が届いていない」澄は言った。「だから別冊をそこに隠した。龍馬さんは、最後まで北を信じていた」
――――――
惣介は地図を見続けた。
黒船商会の印。龍馬が引こうとした線。そして印のない、北の港。
帳簿の数字が、地図の上で動き始めた気がした。
「澄さん」惣介は言った。「出発は三日後でしたね」
「ええ」
「それまでに、もう一つ確かめたいことがあります」
「何ですか」
「帳簿の空白の部分です」惣介は言った。「取引相手の欄が空白になっている記録が、いくつかあります。上海絡みの取引です。その相手が誰か、分かりますか」
澄は少し間を置いた。
「調べてみます」澄は言った。「ただ、答えが出たとして、覚悟はできていますか」
「どういうことですか」
「取引相手が、予想外の人間かもしれない」澄は静かに言った。「新政府の中の誰か、という可能性があります」
惣介は澄を見た。
「覚悟はできています」
澄は頷いた。
地図の印が、燭台の灯りに揺れていた。




