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Company ―龍馬が死んだあと―  作者: 八雲 海


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20/24

第二十話 決断

翌朝、神谷から文が届いた。


 短かった。


 依頼人が動いた。別の人間を函館に送った。早ければ三日後に着く。


 惣介は文を澄に見せた。


 「三日」澄は言った。「写しを作って、動く時間はあります」


 「今日中に作ります」惣介は言った。


――――――


 惣介は設計図の写しを作り始めた。


 三冊分。


 一冊目は坂井に戻す。


 二冊目は澄が持つ。


 三冊目は汐に渡す。


 丁寧に書いた。龍馬の字をそのまま写した。数字も、図も、全部。


 最後の一行も写した。


 「これは、誰かのものではない。日本のものだ」


 龍馬の字ではなく、惣介の字になった。


 でも内容は同じだった。


――――――


 昼過ぎ、澄が部屋に来た。


 「惣介さん」澄は言った。「一つ、話があります」


 「なんですか」


 澄は座った。


 「覚書おぼえがきのことです」澄は言った。「設計図とは別に、覚書をどうするか決めなければなりません」


 惣介は筆を置いた。


 「覚書は、設計図より危ない」惣介は言った。「署名者の名前が入っている。公開すれば、新政府が揺らぐ」


 「ええ」澄は言った。「だから龍馬さんは、使い方を決めていなかった」


 「今、使う時期だと思いますか」惣介は聞いた。


 澄はしばらく黙った。


 「思いません」澄は静かに言った。「日本はまだ、不安定です。新政府が揺らぐと、外国につけ込まれる。龍馬さんが一番恐れていたことが起きる」


 「だから今は使わない」


 「ただし」澄は言った。「燃やしません。いつか時期が来た時のために、残します」


 惣介は頷いた。


 「どこに置きますか」


 「私が持ちます」澄は静かに言った。「設計図は複数に分けた。でも覚書は一冊でいい。そして一番信頼できる場所に置く」


 「澄さんが持つということですか」


 「ええ」澄は言った。「父の死と繋がっている書類です。私が持つのが筋だと思います」


 惣介は澄を見た。


 この女の覚悟は、最初から変わっていなかった。


――――――


 夕方、惣介は写しを三冊書き終えた。


 原本と合わせて、四冊になった。


 惣介は四冊を並べて見た。


 龍馬が一人で書いたものが、今、四冊になっていた。


 バラバラに置けば、全部を燃やすことはできない。


 それだけで、龍馬の設計図は生き続ける。


――――――


 「澄さん」惣介は言った。「一つ、正直に聞いていいですか」


 「なんですか」


 「設計図が残ったとして、誰が実行するんですか」惣介は言った。「龍馬さんがいなくなった今、誰がこの設計を動かすんですか」


 澄は少し間を置いた。


 「分かりません」澄は正直に言った。「今すぐ動かせる人間は、いないかもしれません」


 「では、残す意味は」


 「時期が来た時に、動ける人間が現れる」澄は静かに言った。「その時のために残す。龍馬さんが、時期尚早じきしょうそうだと言いながら書いたのと、同じ理由です」


 惣介は設計図を見た。


 「惣介さん」澄は続けた。「あなたが動かすかもしれません」


 「儂が」


 「帳簿係として二年間、龍馬さんの傍にいた」澄は言った。「設計図を読んで、理解した。写しを三冊書いた。龍馬さんが繋いだものを、一つに集めた。それだけのことをした人間は、あなただけです」


 惣介は黙った。


 自分が設計図を動かす。


 その言葉が、重かった。


 でも、逃げられない言葉だった。


――――――


 夜、惣介は一人で考えた。


 設計図を実行するとは、どういうことか。


 海援隊はまだある。龍馬が死んでも、組織は残っていた。


 陸奥宗光がいる。新政府に近い場所にいる。


 長崎に汐がいる。情報を持っている。


 澄がいる。英語と中国語が話せる。情報網を持っている。


 神谷がいる。今夜から、別の動き方をしようとしている。


 坂井がいる。函館に根を張っている。


 全部を繋げれば——


 惣介は紙を出した。


 書き始めた。


 設計図の実行計画ではなかった。


 まず何をするかの、最初の一歩を。


 長崎に帰る。


 汐に設計図の写しを渡す。


 陸奥に会う。設計図の内容を話す。


 海援隊を動かす。龍馬が設計した航路の、最初の一本だけでも引く。


 それだけでいい。


 最初の一本が引ければ、次が繋がる。


 龍馬はそうやって動いていたはずだった。


――――――


 書き終えて、惣介は紙を見た。


 龍馬の設計図ほど緻密ちみつではなかった。


 でも、動ける計画だった。


 惣介は設計図を手に取った。


 「これは、誰かのものではない。日本のものだ」


 龍馬の最後の一行を読んだ。


 惣介は思った。


 日本のものなら、惣介が動かしていい。


 帳簿係の惣介が動かしていい。


 剣もない。弁舌もない。家柄もない。


 数字が読める。それだけで十分だ。


 龍馬はそう言っていた。


 惣介はその言葉を、今初めて、本当の意味で受け取った気がした。


――――――


 真夜中、澄が部屋に来た。


 「眠れませんか」澄は言った。


 「考えていました」惣介は言った。


 「何を」


 「帰ったら、何をするか」


 澄は惣介を見た。


 「決まりましたか」


 「決まりました」惣介は言った。「長崎に帰ります。汐さんに会います。陸奥さんに会います。そして設計図の、最初の一本を動かします」


 「最初の一本」


 「航路です」惣介は言った。「龍馬さんが設計した長崎から神戸への航路。まずそこだけ動かします。それが動けば、次が見えてくる」


 澄は惣介を見た。


 しばらく黙っていた。


 それから、静かに言った。


 「龍馬さんが聞いたら、喜ぶと思います」


 「そうですか」


 「ええ」澄は言った。「龍馬さんは、自分が動かすより、誰かに動かしてほしかった。設計図を残したのは、そういうことだと思います」


 惣介は設計図を見た。


 「澄さんも、一緒に来てくれますか」惣介は言った。「長崎に」


 澄は少し間を置いた。


 「行きます」澄は静かに言った。「私にも、やることがあります」


 「父の死の証拠ですか」


 「ええ」澄は言った。「いつか時期が来た時に、使えるように。それまでは持ち続けます」


 惣介は頷いた。


 「神谷さんはどうしますか」


 「函館に残ると言っていました」澄は言った。「しばらくは、ここで生きると」


 「また会えますか」


 「会えると思います」澄は静かに言った。「神谷さんは、今夜から違う人間になった。そういう人間は、また動き始めます」


――――――


 夜明け前、惣介は窓を開けた。


 函館の港が見えた。


 霧が出ていた。


 軍艦が霧の中に浮かんでいた。


 榎本武揚の船だった。


 この街は、まだ戦の前夜にあった。


 だが港の商人は今日も動いていた。


 荷が動いていた。


 船が動いていた。


 戦があっても、商いは止まらなかった。


 龍馬はそれを知っていた。


 だから港を繋ごうとした。


 戦ではなく、商いで日本を守ろうとした。


 惣介はその考えを、今、引き継いでいた。


 帳簿係の惣介が。


 それで十分だった。


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