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Company ―龍馬が死んだあと―  作者: 八雲 海


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第十三話 澄の理由

 夜明け前、惣介は船着き場に向かった。




 長崎の夜はまだ暗かった。波止場に灯りが点っていた。荷役の男たちが早朝から動いていた。




 澄はすでに来ていた。




 小さな荷物を持っていた。帳簿と書類は、着物の内側に収めているようだった。




 「早いですね」惣介は言った。




 「眠れませんでした」澄は言った。




 二人は船を待った。




――――――




 船は小さかった。




 函館行きの定期便ではなく、荷物を運ぶ商船だった。澄が手配した。目立たない船を選んだと言った。




 乗り込むと、船頭が二人と、商人が数人いた。誰も惣介たちに興味を持たなかった。




 船が動き出した。




 長崎港が遠ざかった。




 惣介は甲板に立ち、港を見た。




 汐の店が見えた。




 小さな店だった。霧の中に溶けていった。




――――――




 沖に出ると、風が出てきた。




 冬の海は冷たかった。惣介は甲板に立ち続けた。




 澄が隣に来た。




 「神谷は乗っていません」澄は言った。「確認しました」




 「撒けましたか」




 「今のところは」澄は言った。「でも函館には、先に来ているかもしれません。情報が速い男だから」




 惣介は頷いた。




 しばらく二人は黙って海を見た。




――――――




 「澄さん」惣介は言った。「一つ聞いていいですか」




 「なんですか」




 「なぜ、龍馬さんの頼みを引き受けたんですか」




 澄は少し間を置いた。




 「どういう意味ですか」




 「通詞の仕事をしていれば、危ない荷物は持たない方がいい」惣介は言った。「覚書も帳簿も、持っているだけで命が危ない。それでも引き受けた。なぜですか」




 澄はしばらく黙った。




 海を見た。




 それから、静かに話し始めた。




――――――




 「私は長崎で生まれました」澄は言った。「父は通詞でした。母は早くに亡くなりました。父に英語と中国語を教わって、同じ仕事をするようになった」




 惣介は黙って聞いた。




 「通詞の仕事は、言葉を繋ぐ仕事です」澄は続けた。「でも実際は、言葉だけではない。情報が通る。秘密が通る。お金が動く。全部、通詞の耳と口を通って動く」




 「だから危ない」




 「だから危ない」澄は繰り返した。「父はそれで、死にました」




 惣介は止まった。




 「どういうことですか」




 「英国商館の秘密を知りすぎた」澄は静かに言った。「ある取引の通訳をして、知ってはいけないことを知った。それだけです」




 「それが」




 「十年前のことです」澄は海を見た。「父が死んで、私は一人で仕事を続けました。同じ英国商館で。父を殺した人間たちと、同じ場所で」




 惣介は澄を見た。




 「なぜ続けたんですか」




 「証拠を集めるためです」澄は静かに言った。「父を殺した人間の証拠を」




――――――




 「集まりましたか」惣介は聞いた。




 「集まりました」澄は言った。「でも使えなかった」




 「なぜですか」




 「証拠を持って行く先がなかった」澄は静かに言った。「幕府は動かない。新政府はまだなかった。誰も、外国商社を裁く力を持っていなかった」




 「だから、龍馬さんに」




 「龍馬さんに会った時、初めて思いました」澄は言った。「この人なら、仕組みを変えられるかもしれないと」




 「仕組みを変えれば、証拠が使える」




 「そうです」澄は静かに言った。「龍馬さんの設計図が完成すれば、外国商社を裁く仕組みができる。父の死が、意味を持つ」




 惣介は澄を見た。




 この女が龍馬の頼みを引き受けた理由は、忠義でも義理でもなかった。




 自分の目的があった。




 父の死に、意味を持たせるために。




――――――




 「龍馬さんは、澄さんの事情を知っていましたか」惣介は聞いた。




 「知っていました」澄は言った。「だから頼んだのだと思います」




 「同じ目的を持つ人間として」




 「ええ」澄は海を見た。「龍馬さんは言いました。『あんたの父親の死を、無駄にするつもりはない』と」




 惣介は黙った。




 龍馬はそういう男だった。




 人の痛みを、力に変える男だった。




 「だから燃やしてほしくないんですね」惣介は言った。「別冊を」




 「ええ」澄は静かに言った。「別冊が完成すれば、龍馬さんの設計図が残る。設計図が残れば、いつか仕組みが変わる。仕組みが変われば、父の死に意味が生まれる」




 「長い話ですね」




 「長い話です」澄は言った。「でも、それしかない」




――――――




 しばらく、二人は黙って海を見た。




 波が来て、引いた。




 繰り返していた。




 「惣介さん」澄が言った。




 「なんですか」




 「あなたは、なぜ動いているんですか」




 惣介は少し考えた。




 「最初は、龍馬さんが何を見ていたのか知りたかった」惣介は言った。「帳簿係として二年間傍にいたのに、本当のことを何も知らなかったから」




 「今は」




 惣介は海を見た。




 「今は」惣介は言った。「龍馬さんが残したものを、受け取らなければいけない気がしています」




 「受け取って、どうするんですか」




 「まだ分かりません」惣介は正直に言った。「でも、受け取ってから考えます」




 澄は惣介を見た。




 少し間を置いて、言った。




 「龍馬さんと、少し似ています」




 「何がですか」




 「動きながら考える」澄は静かに言った。「考えてから動く人間より、ずっと遠くまで行ける」




 惣介は澄を見た。




 この女は褒め方が上手かった。




 それとも本心だったのか。




 どちらか、惣介には分からなかった。




――――――




 夕暮れ時、船が玄界灘げんかいなだに入った。




 波が少し高くなった。




 惣介は船室に入った。




 横になったが、眠れなかった。




 澄の話を思い出した。




 父を殺した人間の証拠を集めるために、十年間、同じ場所で働いた。




 汐は父の死を、黙って受け入れた。




 二人とも、龍馬に何かを預けた。




 そして龍馬は死んだ。




 今、それを引き継ごうとしているのが、帳簿係の惣介だった。




 果たして自分に、それができるのか。




 まだ分からなかった。




 ただ、船は北へ向かっていた。




 止まらなかった。



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