第7話「テルナ町」
村を出てから7日目の朝。
日の出と共に眼が覚める。昨晩は野宿だった。
村を出てから初日と5日目は街道沿いの宿屋に泊まれたが、それ以外の日は宿に泊まることはなかった。
事前に野宿に適した場所を確認していたこともあり、人の通る道沿いにある古い廃屋や川沿いの開けた場所で野宿ができた。
火を焚いて、湯を沸かし、乾燥肉と固いパンをほぐして食べる。
火の番は交代でやった。最初の夜は2人とも眠れなかった。2日目には少し慣れた。3日目には焚き火の音だけで安心できるようになった。
体を起こして伸びをすると、見張りをしていたセナに「おはよう」と声をかける。
昨晩は前半は僕が、後半はセナが見張りを行った。
朝の空気は冷たい。
下草の先にうっすら霜が残っている。
僕は水筒の口を開けて湯気の立つ水を一口飲み、セナにも渡した。
「あと半日くらいだって」
セナが地図を畳む。
「うん」
足の裏に張りがあった。膝のあたりが重い。
それでも歩けた。1週間、毎日歩いてきた足はいつのまにかこの距離に慣れていた。
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丘を越えると町が見えてきた。
テルナ町だ。
家並みが広がっている。煙突から細い煙が何本も立ち、朝の光に薄く流れていた。
町の中央に背の高い鐘楼が建っている。鐘の音がこちらまで届いてきた。
正午の合図だろう。
ミルヴァ村とは規模が違う。
村の家は数えれば30軒くらい。ここは——目で追っても追いきれない。屋根の数が違う。
セナが足を止めた。
「……大きいね」
「うん」
それだけ言ってまた歩く。
歩いている間、セナの足音が時々ずれた。
緊張すると歩幅が変わるのは村の頃から知っていた。
風に乗って町の音が来た。
荷車の車輪の音。人の声。馬の蹄。鍛冶の音も遠くにある。
村で耳に馴染んでいた音と、初めて聞く音が混じる。
匂いも変わった。家畜、煙、それから——人の多い場所の匂い。
村にはなかった種類のものだ。
町の入り口に検問所があった。
木の柵で道が半分塞がれていて、係の男が1人、台帳を脇に抱え立っていた。
50歳くらいか。日に焼けた顔で、目だけは慣れた動きをしている。
僕たちの前に商人風の男が並んでいた。
北の方の訛りで何かを話している。語尾が長く伸びた。
係の男は「テルナでの逗留は5日まででいいか」と聞き返していた。
その後ろに僕たちが並ぶ。
「名前と出身地と目的」
「セナです。ミルヴァ村から来ました。冒険者ギルドに登録するためです」
「リクです。同じくミルヴァ村から」
「14歳と、13歳か。届け出は受ける。中で問題があれば自分で解決しろ」
「はい」
それだけだった。
台帳に何かを書き、係の男は次の客に目を移した。
僕たちの後ろに並んでいた2人組は南の港町から来た冒険者だった。
装備が革で、塩気を含んだ匂いがする。
「ヴァルディア王国は思っていたより広いね」とセナが小声で言った。
「うん」と返す。
検問を抜けて町に入った。
「呆気ないね」
「うん」
緊張していた分、肩の力が抜けていた。
肩を回すと骨が小さく鳴る。
宿を探す。
ギルドの方角は地図でわかっている。でも荷物を下ろせる場所を先に決めたかった。
1週間分の荷物を背負ったままギルドの受付に立つのは何かが違う気がする。
道沿いに3軒、安そうな宿を見つけた。
最初の1軒は表に値段が書いてあった。1部屋銅貨5枚。安い。
入り口で立ち止まって、数秒、扉の隙間に耳を寄せた。
中から人の声が聞こえる。
1階の話し声と2階の話し声が、両方同時に届いてきた。
声の大きさが違うだけで、別の部屋の話まで耳に入る。
「ここはやめよう」
「なんで?」
セナはきょとんとした顔で僕を見た。
「壁が薄い」
「聞こえるの?」
「扉の前だけで、2階の話まで聞こえた」
セナが眉を寄せた。
「リク、扉に耳当ててたの?」
「当ててない。立ってただけ」
「……そっか」
そっか、と言ったセナの声に笑いがほんの少し混じっていた。
2軒目は1部屋銅貨10枚。さっきの倍だが、表で立ち聞きをしても声は漏れてこない。
中に入って空気を確かめた。湿気の匂いがしない。木の床が乾いていた。
主人が出てきて2人と聞くと、部屋の数を数えるような顔をしてから「2段ベッドで良ければ」と言った。
「それでいい」
「先払いで、3泊から」
「はい」
セナが財布を出す。出した銅貨を主人が指で数えた。
慣れた指だった。
「明日の朝、追加するか出るか決めればいい。決めたら受付に来な」
「わかりました」
3軒目は見るまでもなかった。
2軒目で決めた。
通された部屋には2段ベッドが1つ、小さな机と椅子、東向きに小さな窓が1つ。
壁は土壁で、節のある板が補強に何枚か打たれていた。
狭い。でも、清潔だった。
荷物を棚の上に上げると、肩の重さがふっと抜けた。
1週間の重さが、肩から背中、腰へと、順番に逃げていくのがわかった。
セナが息を吐いてベッドの下段に腰を下ろした。
「やっと、着いた」
「うん」
「リクも座ったら?」
座らなかった。
座ったら立ち上がる気がしなくなりそうだった。
立ったままナイフを腰に差し直す。
父さんが村を出る前に研ぎ直してくれたものだ。
鞘の革が、汗で湿っていた。
セナがそれを見て立ち上がる。
「行く?」
「うん」
地図を持って扉を開けた。
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ギルドまでは宿から歩いて十数分。
道は石畳だった。石の角が丸くなっている。長く使われた道だ。
途中で屋台を1軒通り過ぎた。軒先に野菜が並んでいる。
店主は60歳くらいの女性で、客の老人と話していた。値段の話だ。
別の角で、子供3人が棒を持って走るのとすれ違う。
村の子供と同じ走り方だった。
「魔物ごっこ!」と1人が叫び、「俺がリーダー!」「俺先!」と他の2人が叫び返した。
村の祭りの夜に同じ言葉を聞いた。
違う場所でも、子供は同じことをするらしい。
セナが小さく笑った。
「同じだね」
「うん」
ギルドの建物が見えた。
木と石の混ざった3階建て。扉の上に剣と盾の彫り物がある。
扉の前で、足が止まった。
なぜ立ち止まったのか自分でもわからない。
ただ——息を整える時間が要った。
セナが先に扉に手をかける。
「入ろう」
「うん」
中は思ったより広かった。
1階の半分が受付と掲示板。残りの半分が食堂風の休憩スペース。
テーブルが7つほど。装備姿の冒険者が3組、食事をしている。
2階があるのか、階段を冒険者が何人か上り下りしていた。
天井が高い。声がよく響く。村の集会所より広い空間だった。
受付は3人。
2人は書類を捌き、1人が窓口に立っている。
窓口の女性が手を止めてこちらを見た。
30代くらい。栗色の短い髪、細めの目。慣れた顔。
間があった。
「……あんた、ガレンの子か?」
声をかけられた。
僕は数秒、その顔を見た。
父さんの顔のどこかに似ていた。目の細さ。鼻の角度。
名前が頭の中で結びついた。
「……叔母さん?」
セナが小さく息を吸う音がした。
受付の女性——ルナ叔母さんが片方の眉を上げる。
「マジか」
それだけ言うと、ルナは入り口付近のテーブル席を顎で示した。
「こっちに来な。話、聞く」
テーブルには2人がけの長椅子が向かい合って配置されている。
ルナは手前の椅子に座ると、僕たちにも座るよう手で示した。
「あんたが来るとは思わなかった」
「叔母さんがここにいるとも思わなかったです」
「父ちゃんから何も聞いてないのか」
「聞いてないです。父さんは話が短いから」
ルナが小さく笑った。
「あいつは昔からそう。話が短くて、書くのも嫌いで」
「叔母さんは——いつから?」
「テルナに来てから9年。ギルドの受付を始めて7年」
9年と言われると、僕が4歳の時だ。
だから記憶にない。
村にいた頃の叔母を思い出そうとしたが、顔の輪郭しか出てこなかった。
「父ちゃんは生きてるか?」
「生きてます」
「無口は治ったか」
「治ってないです」
ルナが声を出して笑った。
細めていた目が、もう細くなる。
「で、何しに来た。冒険者か」
「はい」
「年齢は」
「13です。セナは14」
「……だよな」
ルナが両肘をテーブルにつく。
姿勢が変わった。受付の人間の姿勢になる。
「規則では正式登録は15歳から。これは内側から変えられない。あたしが受付にいてもだ」
「……わかります」
「わかりますじゃないよ。解決策があるから話してる」
ルナが声を低くした。
「『見習い同行』っていう制度がある。Dランク以上の正式冒険者が推薦人になれば、Eランクまでの依頼に補助・雑用として動ける。報酬は同行先の判断で出る」
「推薦人が必要ですか」
「必須だ」
僕とセナは顔を見合わせる。
テルナ町に知り合いはルナだけ。今のところは。
そこへ、入り口の扉が開く音がした。
ルナの目がそちらに動く。
革の装備に汚れが残っている男が入ってきた。
背が高い。肩幅がある。20代半ば。
依頼帰りの動きで剣と荷物を肩から下ろした。重い装備を扱う手付きが慣れていた。
「ルナさん、報告——」
「マルセルか。ちょうどいい」
ルナが声をかける。男は途中で止まり、面倒そうな顔でこちらを向いた。
「受付の仕事サボって何やってるんすか。こいつらは?」
「ちょっと頼まれてくれ。こいつらの見習い同行、推薦人になってほしい」
「……は?俺が?」
男——マルセルは僕たちを見た。
特に何も言わない。
それからルナを見る。
「奢ってくださいよ、1杯」
「2杯奢ってやる」
マルセルが小さく笑った。
馬鹿にした笑いではない。慣れた笑い方だった。
「じゃあしょうがないっすね」
セナが僕の袖を引く。
(なんだこの人)という顔。
でも僕は、不思議と——警戒する気持ちが起きなかった。
(悪い人じゃない)
なぜそう感じたのかはうまく言えない。
ただ、目を見たときにそう思った。
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ルナが窓口に戻って書類を捌いている。
僕たちの対応の前に、マルセルの依頼処理を片付ける段取りだった。
マルセルは壁際の席で自分の装備を確かめていた。
時々こちらを見たが、視線は長くない。
ルナが声をかけると、マルセルが立ち上がって受付に向かう。
「それじゃあ、俺は一旦宿に帰ります」
「わかった。夜に一度こっちに寄ってくれ」
「へいへい。奢りの件、忘れないでくださいよ」
去り際にマルセルが1度だけ振り返った。
一瞬、僕たちを見て、何も言わずに扉の向こうへ消えた。
マルセルを見送ると、ルナが僕たちに声をかけた。
「さて、次はお前たちの番だ」
ルナが別の書類を出して、必要な情報を埋めていく。
暫くして、こちらに目を上げた。
「名前の綴り、年齢、ミルヴァ村出身は合ってるな」
「はい」
「よし、残りの準備はこっちでやっておく。今日はもう帰れ。明日の朝、もう一度来な」
「わかりました」
ギルドを出ると、夕方の光が石畳の上を斜めに走っていた。
午前中に来た時より街の人の数が増えている。仕事帰りの人たちだろう。
屋台の店主は野菜の上に布をかぶせ始めていた。
子供達はもういない。
「叔母さん、いてくれてよかったね」
「うん」
それだけ言って宿への道を歩き始めた。
セナの歩幅と僕の歩幅は、いつのまにか合っている。
1週間の旅で合うようになったのだと思う。
歩きながら考えた。
叔母さんがいなかったら、推薦人を見つけるのに何日かかっただろう。
何日かかっても見つからなかったかもしれない。
そうなれば宿代だけが減っていき、母さんの薬の話まで進めなかった。
「もし」を並べていくと、運が良かったとしか言えなかった。
セナが空を見上げた。
「テルナ、なんか思ってたのと違う」
「どう違うの?」
「もっと、知らない場所だと思ってた」
「……うん」
「叔母さんがいるからかな」
「それもあると思う」
それだけじゃない。
——慣れてる気がする。
町に入った時から、ずっとその感覚があった。
石畳の歩き方。屋台の見方。ギルドの扉の前で息を整える間。知らない人の中で名前を呼ばれて振り向く動き。
なぜか、初めてではない感じ。
どこから来た「慣れ」なのかは思い出せない。
ただ——あった。
セナには言わなかった。
言葉にすると違うものになりそうだった。
宿の灯りが見えてきた。
東向きの窓に夕方の光が映っている。
背の高い鐘楼の鐘が、また鳴った。3回。午後の時報だ。
明日から雑用の仕事が始まる。
母さんは今頃どうしているだろう。
父さんは黙って粥を啜っているだろうか。
——その答えは薬を持って帰る日まで分からない。




