第66話「商会の荷」
朝の商会の前に荷馬車が三台並んでいた。
二日動かなかった二台に人がついて、縄を締め直している。
増えた一台には樽が積んであった。
「あの荷、やっと動くんだね」
「そうかもしれない。縄の掛け方が旅向きになってる」
セナと話してるうちにマルセルは先に店へ入った。
帳場のルカさんは僕らを見るとペンを置いた。
支配人に一言残して格子の外まで出てくる。手には紙が一枚。
「リクさん。兄さんも。荷の件です」
ルカさんは紙を渡す前にまず口で言った。
「表の三台を東の中継ぎの町へ出します。荷が本宅の前の街道を通ります。……兄さんの組に、依頼の形で」
「ギルドを通したのか」
「はい、昨日のうちに。既に判もいただいてあります」
マルセルの目が紙へ落ちた。手は出ない。
「身内の荷だろうが」
「商会は身内にも金を払います。流儀ですから」
マルセルの問いにルカさんは淡々と答える。
その声は帳場での読み上げと同じ速さだった。
「報酬は相場の通りです。まけも、足しも、していません。他の人員の分も頭数に入れてあります」
少しの沈黙の後、マルセルはルカさんから紙を受け取った。
中身を確認して、判の朱に指を当てた。乾いた判だった。
「一つ、申し上げておきます」
ルカさんが半歩寄って声を落とした。
「この荷は以前から狙われています。ふた月で二度、荷抜きが出ました。護衛の形なら対応できるかと」
「……仕事なら受ける」
「はい。仕事です」
紙が折られてマルセルの懐に入った。
説明するルカさんも、話を受けるマルセルも、いつもの声の速さに戻っていた。
僕は横から訊いた。
「明日は僕らは定期で受けている巡回の依頼が入っているのですが、積みは明後日で大丈夫ですか」
「はい。問題ないです」
日程を合わせてくれたのはありがたい。
明日の依頼はこの街で初めて指名をもらった荷主からだ。
信頼を積み上げるためにも、しばらくはこなし続けたい。
「ありがとうございます。それでは、今日の昼に道を見てきてもいいですか」
「お願いします。道筋は支配人に説明させます。出るのは明後日の夜明けです」
表へ出るとマルセルは三台を端から順に見て回った。
車輪を蹴って軸の音を聞いている。
「出る日は俺が先頭だ」
言い残して宿の方へ歩き出した。
セナが荷馬車をもう一度振り返った。
「受けると思ってた?」
「判を見てからは。仕事なら断る理由がないんだ」
三台の向こうで御者たちが縄の最後の結びを確かめていた。
荷が動くまで、あと二日ある。
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昼から道を見に行った。
中継ぎの町までは荷馬車で丸一日。
人の足で往復できるのは前半分で、その先は支配人の図で覚えるしかない。
セナが横に並んだ。
「リク、何を見るの?」
「道が細くなるところ。図だと二箇所ある」
店を出て、街を東西に貫く街道筋を東の門へ歩く。
支配人借りた街の地図には門の手前に『本宅』の印がある。
商会の看板のない、長い塀の屋敷がそれだった。
門を出ると、道はしばらく畑の間を行く。
一箇所目は畑を超えた先の坂下。
両側から石積みが迫って、荷馬車がすれ違えない幅になる。
石積みの上からは道の前後が遠くまで見えた。人が隠れる場所はない。
「ここは平気そうだね」
「うん。狙うなら隠れる場所があるほうだと思う」
二箇所目は林の中。
道が下りながら細くなって、右手が枯れ草の窪地に落ち込んでいる。
窪地へ降りると底は固く、荷馬車が二台入って馬を落ち着かせられる広さがある。
入り口の枯れ枝をどけて、出入りの筋を一本通した。
「ここ、使うの?」
「決めるだけ決めておくんだ。使わずに済めばそれでいい」
セナも降りてきて筋の登り口を足で確かめた。
土を靴の先で二度蹴って、崩れないのを見ている。
「荷馬車って、ここ曲がれるの?」
「後ろの一台なら曲がれる。長い二台は無理だね」
曲がる手前の木に腰の高さで小枝を一本挿した。目印だ。
戻りの道は細い場所から窪地までの歩数を数えながら歩いた。
戻ってから支配人と荷割りをした。
布と書付の荷は前の二台へ。樽は全部、後ろの一台に寄せる。
「襲われた時は、前の二台は止まらずそのまま走らせてください。
守りが要るのは樽の一台だけ。守る荷を一台に絞ります。
走らせた二台は、図にある休み場で待たせてください」
支配人が復唱して帳面に付けた。
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翌朝は定期の巡回に出た。
低地の道は霜が固く、荷のない足は軽かった。
道の異状はなし。水際の跡も古いまま。
今回は過去の二回よりも早く終え、昼過ぎには街に戻ることができた。
ギルドの窓口でミラさんに依頼報告を行う。
「明日から東へ出るので数日空けます」
「伺っています。次の巡回は七日後で通します」
月々の村への送りの為替は、戻ってからにしたいと頼んだ。
ミラさんが帳面に一行付けて、それで済んだ。
夕方には宿の一階で図を広げた。
エマとユルが弓と革帯を検めながら覗き込む。
「ふうん。今度は依頼書があるんだ」
「あります。頭数にも入ってます」
「なら文句ないよ。留守番はもう飽きた」
二人は南の村の行商を先に済ませている。
戻ってからは掲示の紙を待つだけの日が続いていた。
「狙われるなら林の細い場所です。隠れられて、荷の足が落ちる場所なので」
「籠るのはこの窪地?」
「荷と人はそこへ。道は樽で塞げます」
エマは図の窪地を二度叩いて、それ以上は訊かなかった。
セナは細い場所の印の上に小石を二つ置いた。
マルセルは図を一度だけ見て酒の椀を置いた。
「合図はリクが出せ。俺は前をやる」
ユルが杖の石突きで床を軽く突いた。
「明日は早いです。荷より先に寝ましょうね」
図を畳んで荷袋の一番上に入れた。
窓の外を夜番の足音が過ぎて、宿の灯りが一つずつ落ちていった。
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夜明け前に店前へ集まった。
御者が三人、提灯を消して手綱を取る。
霜が荷台の縁で白く、馬の息が首のあたりで割れた。
マルセルが徒歩で先頭に立つ。前の二台は御者だけ。
エマは後ろの一台の荷台に上がり、僕とセナが荷の左右、ユルが殿だ。
本宅の前を通る時、表の窓に灯りが一つ点いていた。
格子の内側で影が動いた。誰かまでは見えなかった。
マルセルは窓を見なかった。
歩幅も変わらない。
開いたばかりの東門を抜けると、道は畑の間になった。
坂下の一箇所目は朝のうちに抜けた。
石積みの上には誰もいない。
鳥が二羽、石の間で餌をつついていた。
途中の水場で一度だけ馬を休ませた。
御者たちが交代で水を汲み、荷紐を確かめる。
誰も長話をしなかった。
車輪の音が単調に続く。
御者が時々、意味もなく手綱を持ち替えるのが見えた。
昼が近づいて林が濃くなった。
エマが荷台の上で立ったのはその頃だ。
弓はまだ取らない。目だけが林の奥を追っている。
「……妙だね」
「何か見えましたか」
「鳥だよ。あの飛び方は人に追われた飛び方だ。獣相手なら鳴いてから飛ぶ」
エマの目の先で、梢からもうひとかたまり、声もなく散った。
僕はノートを開いた。
道の欄。荷の欄。刻限の欄。
書く場所を探して、見つからないまま閉じた。
前へ歩いてマルセルに小声で伝えた。
「エマが鳥を見ました。人に追われた飛び方だそうです」
「二箇所目までは」
「歩きで半刻です。窪地の入り口は右側、枯れ枝はどけてあります」
「……わかった」
隊の速さは変えなかった。
御者に順に声を掛けて回る。
「合図があったら、前の二台は止まらずに走ってください。休み場までです」
復唱は求めない。頷きだけ確かめて次へ移った。
セナが横に並んだ。
剣の柄の革紐をほどいて、手の中で握り直している。
「リク、来ると思う?」
「たぶん。来るとしたら道が細くなるところだ」
「昨日見たとこだね」
「うん。だから見たんだ」
林の道が下りに入って細くなった。
右手の下に窪地の枯れ草が見えてくる。
鳥の声はもうどこにもなかった。
先頭の馬が首を大きく振った。
道の先に木が倒れていた。
昨日はなかった木だ。切り口が白い。
左半分を塞いで、右に馬車一台分の隙間だけが残っている。
後ろで馬のいななきが重なった。
振り向くと、通って来た道から男たちが現れる。
四人。林の中にはまだ影がある。
前と後ろ。挟まれた。
御者の一人が声にならない声を出した。
僕は道の真ん中に出た。
「前の二台は走らせて、後ろは窪地へ!」
声と同時に前で鞭が鳴った。
倒れ木の陰から男が一人立って、隙間の真ん中で剣を構えた。
そこへ荷馬車より先にマルセルが着いた。
初太刀の音が林に響く。木を割るような重い音だった。
男は退がらない。受けて返してくる。腕の立つ男だ。
斬り合いながら、男の目だけが荷馬車の列を数えていた。
二合目で刃がマルセルの肩口へ伸びた。
受けた剣が鳴って、踵が倒れ木の枝を踏む。
三合目でマルセルが押し返した。男の足が半歩引いた。
一台目がその脇を駆け抜けた。二台目が続く。
車輪が倒れ木の枝を踏んで跳ねて、それでも止まらなかった。
荷紐が鳴って、積み荷が一度だけ大きく傾いた。
後ろの一台は窪地へ入っていく。
「奥へ。馬の頭を林に向けて、御者さんは荷の陰に伏せてください」
言いながら僕は道の縁に残った。
来た道の四人が駆け出した。
土埃が道の高さで流れてくる。
ユルが筋の入り口に立って杖を横に構える。
先頭の男の足首にセナの光の輪がかかった。
つんのめった男の上を次の男が跳び越えてくる。
その手の甲をエマの矢が抜いた。
弦の音は一度だった。
男の手から山刀が落ちて、道の上で跳ねた。
輪が出て、マルセルが踏み込む。それがいつもの形だ。
今日はその形が前と後ろに割れている。
林の斜面から別の二人が出た。
狙いは荷でも御者でもない。輪を保っているセナの背中だ。
刃が上がった。
「セナ!」
自分の声が一段硬かった。
確かめる間はなかった。
僕が叫んだ時には、マルセルはもう相手に背を向けていた。
割り込んだ肩が振り下ろされる刃の内側に入る。
セナを突き飛ばして、二人分の体が半回転した。
刃の先がマルセルの左腕を浅く裂いた。
返す柄頭が男の顎を打つ。男は膝から落ちた。
もう一人はセナが地面に手をついたまま輪を返した。
足首を締められて、悲鳴と一緒に転がる。
「ありがと、助かった!」
セナはもう前を向いていた。
僕は息を一つ入れて、次の声を出した。
「窪地の入り口を締めてください。次は固まって来ます」
声はもういつもの高さに戻っていた。
マルセルは答えなかった。
左腕を一度振って血を散らし、倒れ木の方を見た。
頭目格の男は隙間の陰から動いていない。
来た道から残りの影がまとまって出てきた。
六人。窪地の筋は一本しかない。
僕は剣の柄から手を離した。
代わりに腰の小刀を抜く。父さんの打った刃だ。
窪地の縁に樽の荷が尻を道へ向けて止まっている。
荷台に上がって荷締めの縄に刃を当てた。
麻の綱は一引きで切れた。二本目で荷が鳴った。
樽が荷台の尻から道へ転がり落ちる。
弾みながら、道の真ん中に散らばって止まった。
道の幅が樽の分だけ狭くなる。
走ってくる足が乱れた。
樽の手前で先頭が足を止めて、後ろの男とぶつかった。
列がばらけて、樽と樽の間を一人ずつ抜けるしかなくなる。
一人目の腿をエマの矢がかすめて止めた。
二人目の足にはセナの輪が二重にかかった。
三人目の打ち込みはユルの杖が受けて押し返した。
四人目は来なかった。
樽の陰で足の位置だけ変えて、前に出てこない。
窪地の馬が一度高く鳴いて、御者の手で静まった。
短い笛が二度鳴った。
男たちが樽の向こうへ退いていく。
倒れた仲間を肩に担いで、林の斜面へ散った。
頭目格の男は最後まで顔をこちらへ向けたまま、後ろ向きに消えた。
消える間際、その目は樽でも荷でもなく、僕の上で一度止まった。どこかで見た種類の目だった。
道に残ったのは散らばった樽と、輪を二重に巻かれた男が一人。
エマは矢をつがえたまま、長いこと林から目を離さなかった。
脅威が離れていったことを確認して、僕は小刀を鞘に戻した。
マルセルの左腕から肘へ、細い血の線が伸びていた。
セナが道の砂を払って立った。膝に擦り傷一つない。
その目がマルセルの腕の血の線で止まった。
「マルセル、腕——」
「浅い。騒ぐことじゃねえ」
マルセルはそれだけ言って、ユルの方へ歩いていった。
「ユル、手当を。膿むと面倒だ」
さらしを巻くユルの手つきは荷紐を締める時より柔らかかった。
巻き終わりを二重に折って、端を内側に入れる。
マルセルの治療の間に、僕とセナとエマで樽を確かめて荷台へ積み直した。
後からマルセルとユルも加わって、それでも半刻かかった。
凹んだ樽はあったが、口の割れた樽は一つもなかった。
輪が消える前に、残った男を縄で縛り直した。
セナが結び目を確かめて荷台の端に転がす。
御者が荷の陰から出てきて、両手でまだ手綱を握り込んでいた。
「……もう、出せます。馬も落ち着いてます」
聞かれる前に御者が言った。声はまだ上ずっていた。
隊列を整えて道へ戻ると、休み場では前の二台が待っていた。
御者が二人立ち上がって、こちらの荷を目で数えるのが見えた。
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中継ぎの町へ入る頃、日は屋根の高さまで落ちていた。
商会の出先は門から二筋目にあった。
事務員が帳面を抱えて出てきて、荷札と樽の口を順に検めていく。
「昨日のうちに、若旦那様から先触れをいただいております。
荷の中身から道筋まで、それは細かく」
指が樽の頭を数えて、止まって、二度目を数え直した。
「……一つも、落ちてない」
事務員は誰にともなく言って、それから帳面に判を押した。
「途中で襲われたと、伺いましたが」
「荷は数えた通りです。凹んだ樽が三つありますが、中身は無事です」
「凹みの分はこちらで書き添えます。護衛の落ち度ではありませんので」
事務員はもう一度樽の列を見た。
それ以上は何も訊かずに受け取りの紙を切った。
蔵の戸が開いて、人足が樽を順に担ぎ込んでいく。
「この錠、山向こうのドワーフの仕事でね。賊がどう捻ろうと開きゃしない」
事務員が戸の錠を指で弾いた。鈍い音が蔵の中に落ちた。
ドワーフ。村の昔話でしか聞いたことのない名前だ。
村でもテルナでも見たことがない。物語の中の住人かと思っていた。
それの存在がいま、目の前で蔵の戸を守っている。
縛った男は町の詰め所へ渡した。
男は日雇いの形をしていた。
手の豆が鍬の場所にできている。
詰め所の床板の上で、男は顔を伏せたまま同じ答えを繰り返した。
「雇い主は知らねえ。酒場で一人で飲んでたら声を掛けられた。
いい銭になる仕事があるって、それだけだ」
「一緒に襲った連中は」
「今日初めて会った。名前も知らねえ」
前金は宿の帳場越しに届いたと言っていた。
宿の名は言えた。人の顔は最後まで一つも出てこなかった。
マルセルは腕を組んで壁際で聞いていた。
「……嫌な感じだな」
それだけ言って外へ出た。
夕闇の通りに荷を下ろし終えた三台が並んでいる。
空の荷台は来た時の半分の音で軽く鳴った。
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宿は詰め所と同じ通りにあった。
二階の部屋を一つだけ借りた。
襲われた日の晩に部屋を分ける理由がない。
マルセルは壁際に座って窓の外を見ていた。
セナが毛布を抱えたまま、マルセルの前に膝をついた。
「ねえ、腕。ほんとに平気なの」
「浅いって言っただろ。騒ぐな」
「動く? 指」
マルセルが左手を一度握って、開いてみせた。
「まあまあ。あの浅さなら、三日もあれば塞がりますよ」
さらしの残りを畳みながらユルが言った。
セナは頷いて、それ以上は聞かなかった。
エマは弦を外した弓に、灯りの横で油を引いている。
「明日は荷台に乗りな」
「歩ける」
「ふうん」
安心した途端に眠気が来たらしい。
セナは毛布にくるまると、すぐに寝息を立て始めた。
昼のあいだに輪を何度も張っていた。
僕は戸口に近い場所で横になった。
体は重いのに頭の芯がなかなか眠らない。
目を閉じると、樽の転がる音がまだ耳の底に残っていた。
エマが油の布を置いて、蝋燭を一本だけ残して吹き消した。
寝返りの音も寝息も、部屋の中で揃っていった。
何度か浅いところまで浮いて、また沈む。
蝋燭の芯が短く鳴った。
最後に見えたのは、壁際でまだ起きているマルセルの影だった。




