第5話「13歳の秋」
秋になると収穫での手伝いが増える。
芋掘り、豆の乾燥、木の実の選別。
村の子供も大人も、昼が短くなるのと競うように働く。
先日13歳になった僕も毎日どこかの手伝いに出ている。
その日は村の南側の畑だった。
芋を掘って、土を払って、大きさで分けて籠に入れる。
土の冷たさが指の付け根まで届く。芋は思っていたより重く、抜くたびに腕に張りが残った。
籠が一杯になると引きずって場所を変える。底が土を擦る音が畑のあちこちから聞こえていた。
カルとレムも来ていた。3人で1列ずつ受け持ち声をかけずに動いた。
カルの方が手が早い。レムの方が選別が丁寧だった。それぞれの得意がある。
僕は早くもなく遅くもない、ただ止まらないだけだった。
近くで大人たちが働いている。手の動きに迷いがない。何度も同じ作業をやってきた人の手だ。
スコップの入れ方、籠の傾け方、腰の使い方。1つ1つに、無駄がない。
僕の手はまだそこまで馴染んではいない。それでも昨日より早くなった気はした。
途中で水が回ってきた。
井戸から汲んだばかりの水でまだ少し冷たかった。
1口飲んでまた仕事に戻る。
「あと何列残ってる?」
カルが聞く。
「3列」
「もう少しだな」
それだけ言って、また手を動かした。
単純な作業だった。
単純だから、手を動かしながら別のことを考えられた。
いつもそうだった。
体が動いている間は頭が静かになる。
体と頭がそれぞれ別のことをしている感覚。
なぜか馴染んでいた。
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帰り道、セナが隣を歩いていた。
セナは今日は近くの家で収穫物の選別を手伝っていた。
少し早く終わったようだが、僕の終わり時間を待ってくれていたようだった。
日が傾いて畑の向こうが橙色になっていた。
秋の夕方は光の色が違う。夏のそれより少しだけ赤くて低かった。
畑には掘り終わった土が黒く広がっていて、籠を運ぶ大人たちの影が長く伸びている。
セナが何か言いそうにしていた。
気づいたのは、歩く速度が一定ではなくなったから。
何かを言うか言うまいか、迷っている時のセナの歩き方を僕は知っている。
普段より半歩遅くなる。視線が少し下に落ちる。指先が一度組まれてまた離れる。
「冬になったら街に行こうと思う。成人の準備で」
セナが言った。
前を向いたまま、でも僕に向けた声だった。
「成人の準備って」
「冒険者登録のこと、と魔力の正式測定。あとは武器の手配とか、住むところの下見とか」
セナは前から成人したら街で冒険者になると言っていた。
村の子が全員出るわけではないが、魔力適性が高い子は街に行って仕事を探したり、冒険者になることが多い。
現在14歳のセナは来年の春には15歳、成人を迎える。
冬に街に行くというのは、その準備として現実的な話だった。
「一緒に来る?」
セナが僕に顔を向け話す。僕は少し考えた。
「僕はいい」
セナが足を止める。
「……なんで?」
『一緒に行く』と答えると思ったのか、それとも答えて欲しかったのかもしれない。
「魔力ゼロで冒険者とか、無理だよ」
僕も足を止めて答える。
自虐ではなく事実として言ったつもりだった。
セナが言葉に詰まった。
反論しかけて、やめたようだった。
口が一度開いて、閉じた。
息がほんの少しだけ深く入った音がした。
「……そっか」
それだけ言うと僕たちはまた前を向いて歩き出す。
しばらくどちらも何も言わなかった。
ふと、僕は空を見る。
雲が流れていた。高いところにある薄い雲だった。
風が上の方で動いているのか速く流れていた。
村の中で立ち止まっている時には感じない風が、空ではいつも吹いている。
何か言わないといけない、とは思わなかった。
でも何かを伝えたい、とは思った。
言葉を探した。出てこなかった。
代わりに、別の言葉が出た。
「応援してるよ」
嘘ではなかった。
本当にそう思っていた。
セナが街に行くならうまくいってほしいと思っていた。
でも——全部でもなかった。
それが何の「全部じゃない」のかはうまく言えなかった。
セナが先に行ってしまうこと。自分は行けないこと。離れてしまう日が来ること。
たぶんそんなことだと感じたが、言葉にしてしまうと嘘っぽくなる気がした。
本当に思っていることが自分の中でもまだ形になっていない感じだった。
セナは何も言わなかった。
「うん」とも言わなかった。
ただ少しの間、歩くのが遅くなっていた。
歩幅も合わなくなった。
僕が前に出すぎないように歩き方を少し変えた。
それでも合わなかった。
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家に着く手前でセナと分かれた。
「じゃあね」
「うん」
セナが自分の家の方向に歩いていった。
背中が遠ざかっていく。髪が夕方の風で少しだけ揺れていた。
1度、振り返るかな、と思った。
でも、セナが振り返ることはなかった。
僕は家の扉の前に立ってそれを見ていた。
(来年の春、セナは先へ行く)
ずっとそうだった。
6歳の祭りの夜も。蝋燭が灯ったのはセナだった。
剣の型を覚えた時も。半日でやってのけたのはセナだった。
木に登った時や降りる時、僕はセナの踏んだ枝を選んでいた。
セナはいつも僕の先にいた。
(また、離れていく)
そう思ったのかどうかは自分でもよくわからなかった。
ただ、そんなことを考えていた。
胸の中の場所が、少しだけ重い。重い、というのも違う。何かの形がそこにある感覚に近い。
風が一度、強く吹いた。
落ち葉が足元を転がっていった。
村の家々から夕食の支度の音がかすかに聞こえる。鍋が当たる音、薪がはぜる音。
あちこちの煙突から細い煙が立っていて空に溶けていく。
扉に手をかける前にもう一度セナの方を見た。
もう、姿は見えなかった。
扉を開けると、夕食のにおいがした。
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夕食はスープと黒パンだった。
スープには根菜が入っていて、湯気がゆっくりと上がっている。
黒パンは少し固めに焼かれていた。父さんが千切る音がいつも通りの大きさで聞こえる。
「今日はどこの手伝いだったの」と母さんが聞いた。
「南の畑。芋掘り」
「たくさん採れた?」
「まあまあ」
父さんは黙って食べていた。
いつも通り、視線は皿に落ちていて噛む音が一定だった。
パンを千切る指が太い。爪のあいだに今日の畑仕事ではない、鍛冶仕事の煤が残っていた。
母さんが次の鍋を運んできた。
持ち上げる時、少しだけ手が止まった。
重そうだった。前は止まらなかった。
僕は何も言わなかった。父さんも何も言わなかった。
「セナちゃんはどうだった?」
母さんがまた聞いた。
何かを知っているのか、何も知らないのか、表情からはわからなかった。
ただ——いつもより少しだけ、聞くまでに間があった。
「普通」
僕はそう答えた。
本当のことを言えば街に行く話が出た。でも言わなかった。
言うほどのことでもなかった。
決まったわけじゃないしまだ冬も来ていない。
「そう」と母さんが言った。
母さんの手元を見ていた。
スプーンを持つ指が前より細くなっていた。
いつから細くなったかも思い出せなかった。
気づかないうちに少しずつ変わっていたのかもしれない。
去年の冬、母さんが薪を抱えて運んでいた時の手と今の手が頭の中で重なる。
あの時の指はもう少し丸かった。
体の何かが少しずつ目減りしている。
誰も口に出さないがたぶん父さんも気づいている。
スープの味はいつもと同じだった。
塩加減も、根菜の柔らかさも、いつも通り。
変わらないものもあるんだ。
変わるものと変わらないものが同じ食卓にあった。
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その夜、布団に入ってから考えた。
魔力ゼロで街で何ができるか。
紙に書き出せたらわかりやすいのだが、暗くて見えない。
頭の中で並べてみることにした。
冒険者——難しい。魔力がないのは武器にならない。
でも冒険者以外にも仕事はあるはずだ。
荷物の運搬。重いものを運ぶ仕事は力さえあればできる。
体力には自信があるし、腰の使い方も大人を見て覚えている。
商家の手伝い。数を数える、品物を並べる、客に応対する。
これは特別な才能はいらない。続けられるかは別だが、入り口は開いている。
警備の補助。剣は少しだけ習った。本格的ではないが、立っているだけの仕事ならやれそうだ。
ただし、立つだけの場所でも何かが起きた時に動けるかが問われるはずだ。
(——こういう並べ方、どこかでやった気がする)
どこでやったのかはわからなかった。
ただ、頭の中で項目を並べる感覚に馴染みがあった。
紙に書く前にまず頭で並べる。それから優先順位をつける。
できるものとできないもの、確実なものと不確実なものに分ける。
その手順をなぜか体は知っていた。
魔力がなくてもできることはいくつかある。
ただ、それで生計を立てられるかはわからない。
街の物価がどのくらいなのかも知らない。
村では銅貨1枚で何を買えるか、それくらいは知っている。でも街は違うはずだ。
家賃というものがあると聞いたことがある。村にはない概念だった。
食事も、水も、村のように畑から直接来るわけじゃない。
知らないことが多すぎた。
(知らないから行かない、ではない)
そう思った。
知らないなら知ればいい。
情報を集めて、整理して、判断する。
それなら僕にもできる。たぶん。
その「たぶん」がどこから来た自信なのかは自分でもよくわからなかった。
ただ——あった。
ただ今は、知る方法がなかった。
だから今は眠る。
答えが出ない時は寝るのが一番だと思っていた。
それも、どこから来た考えかはわからなかったが。
虫の声がしていた。
秋の虫の声は、夏より少しだけ細かった。
布団の中でしばらく目を開けていた。
月明かりが窓の角だけを白く照らしている。
セナが街に行く。
母さんの指が細くなっていた。
僕はゼロだった。
3つは別々のことだった。
でも——同じ夜の中にあった。
セナが街にいる景色を想像してみる。
知らない通り、知らない人たちの中でセナが歩いている。
うまくやっているはずだ。セナはそういう子だった。
たぶん、すぐに新しい知り合いもできる。
村にいた頃と同じように、誰かに頼られて、誰かを助けて、それなりに居場所を作る。
その隣に、自分はいない。
それが正しいのか、寂しいのか、ただの事実なのかはわからなかった。
そういう夜があっていい。
答えが出なくてもいい。
次の朝もいつも通りに来るはずだ。
目を閉じたらそのまま眠れた。




