第60話「六日分の差」
荷主の使いから依頼の話を貰った夜、マルセルは宿の広間にいた。
表の通りはもう静かで、火だけが低く鳴っていた。
マルセルは大竈の前で革帯を繕っている。
僕は夕方の話をそのまま伝えた。
東の外れの集落まで荷を出す。行って戻って六日、荷車は四台。
道の悪いのが二日分と、間に谷を一つ。
パーティで受ける形なら通ると、使いには伝えてある。返事は明日の朝。
「六日で四台、谷持ちか」
マルセルは針の手を止めずに聞いてくる。
「で、ガキ。お前はどう運ぶ気だ」
「荷は重さを量って四台に割ります。谷は三日目の昼に通します。朝は霜で下りが滑るので。
板を四枚と予備の軸を一本、積ませてもらいます。悪い道で欠けるのは輪と軸です」
「谷を荷車で越えたことは」
「ありません。明日、越えたことのある人を探して聞きます。日割りはそれで直します」
「人の割りは」
「マルセルが先頭、エマが最後尾。ユルは真ん中の台に。僕は持ち場を決めずに回ります」
針が革を抜ける音が一つした。
「……分かった。段取りはお前に任せる。持ってきたのはお前の話だ」
「ふうん、六日ねえ。来たばっかで大きく出たじゃないか。ま、気張んな」
「冬の谷なら私の出番もありそうですし、いいんじゃないですか」
ユルはそう言って先に自分の部屋へ上がっていった。
翌日、使いに依頼を受けることを伝えて、そのまま荷主の倉に入った。
荷は塩の俵と油の甕、鉄物の箱に反物だった。木箱を量って四つの山に分ける。
軸の細い一台には軽い山を回した。甕は真ん中の台に集める。
「ユル、甕の台をお願いします。四台でいちばん跳ねない台なので」
「ですね。割れ物と治し屋で釣り合いが取れます」
板と軸と縄は最後の台に積んだ。使いは何も聞かずに主人へ話を通してくれた。
市場では東の道を運んだことのある荷方を二人探した。
谷の下りは車で半刻、曲がりは二つ。水は谷底の川で足せる。聞いた分で日割りを引き直す。
セナが四台分の荷縄を一度ほどいて全部結び直した。
「縄は私の持ち場だからね。緩んでも私より先に触らないでよ」
「分かった。頼むよ」
出発の朝、ギルドの窓口に母さんへの手紙を預けた。
西回りの便は今日の昼に発つ。僕らは東へ発つ。
ノートの便のページに線を一本引いて、街道口の荷だまりへ走った。
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霜の残る街道を東に向け、四台の荷車が走り出す。
マルセルが先頭を歩き、エマが最後尾。手綱持ちは使いを入れて四人。
僕は列の脇を前から後ろへ歩いて、車輪の音を一台ずつ聞いて回る。
「後ろの二台は私が見るね」
セナが三台目の脇に立って言った。
「リクは前と道だけ見てて。輪が鳴いても、後ろの私の方が先に聞こえるから」
「そうする。鳴いたら止めていい。止める方が早い」
初日の道は乾いていた。休みは短くして数を増やす。
止まるたびに縄と輪を見る。馬に水をやってすぐ出る。
長く座ると足は逆に重くなる。
初日の夜は街道沿いの荒れた小屋を使った。
囲いの半分が落ちているが風は防げる。
馬は足を湯で拭いてから寝かせた。
二日目から紙にあった悪い道になった。
低地に轍が続いて石が浮いている。
深い轍には板を渡した。
端を踵で二度踏んで沈めるやり方は前の依頼と同じだ。
四台がそのたびに詰まって、抜けるとまた伸びる。
昼を回る頃には手綱持ちが板の場所を先に読むようになっていた。
その日の夕方、水場のそばに先客がいた。
運び屋が二人と荷車が一台。
焚火を分けて隣り合った。
「あんたらも谷越えか」
年かさの方が僕らの四台を眺めて言った。
「谷は朝いちに限るぜ。風の出る前に抜けるもんだ」
「僕らは昼に通します。この時期の朝は霜で下りが滑るので」
「霜なんぞ歩きゃ分かる。四台連れて昼通しじゃ日が暮れるぞ」
マルセルは火の向こうで湯を啜って、何も言わなかった。
見張りは五人で短く回した。
同じ番を二晩続けない割りにしてある。
夜半、遠くで獣の声がした。
「狼だ。荷には寄らないよ。気にしないで寝な」
エマが弓を膝に置いたまま言った。
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三日目の朝、先客は僕らより先に発った。
僕らは日が上がってから馬を曳き始める。
谷口までの道は登りで、轍の中に霜柱が立ったまま残っていた。
昼前に谷口へ着くと、朝に発った先客が止まっていた。
「下りの岩が凍ってやがる。輪が噛まねえ」
年かさが僕を見て、それから日の高さを見た。
使いが谷口で息を一つ吐いた。
「ここだけは毎度、荷が減る場所なんだ」
谷は両側を岩壁に挟まれて、底に細い川が光っていた。
縁に氷が張っている。
風が岩の間を抜けるたびに低い音が鳴った。
荷布は昨夜のうちに縄を増やして張ってある。はためく布は馬が嫌う。
日が底まで届くと、下りの岩の黒い濡れが端から乾き始めた。
「待つ間に昼飯です。食べておいてください」
湯を沸かして回した。運び屋の二人がこちらの手元を見ている。
マルセルは岩に腰を下ろして、下りの道を目でなぞっていた。
昼、昼食を食べ終わる頃には岩が乾いた。
「出しましょう。馬は先に曳いて降ろします。荷車は人の手で」
「岩の白く粉を吹いたところは霜の名残です。輪はその外を通してください」
下りは一台ずつ。
軽い台に僕が付いて先に降り、輪の通る筋を確かめて手で示す。
車は後ろから縄で引かせて、足を殺しながら降ろしていく。
縄は岩角に一巻きして人の腰で送る。滑っても車より先に縄が止まる。
「合図は私が出すから、リクは下で受けて」
セナが曲がりの岩の上に立った。
上と下の両方が見える場所だ。
谷風で声は流れる。だから腕で指示を出す。
セナの腕が下りるまで次の車は動かない。
一台目が降りた。二台目、三台目。
降りるたびに軸へ手を当てて熱を見る。焦げの匂いはない。
四台目はいちばん重い。
手綱持ちが二人で縄を持ち、僕とマルセルが輪の脇についた。
車輪の音と縄の軋みだけが谷に続いた。
谷底は日が入っても冷えていた。川音の他に音のない場所だ。
底の渡りは石を選んで一台ずつ。氷は輪の幅の外に残して踏ませない。
三台目だけ渡りで輪が浅く跳ねた。
セナの腕が上がって列が止まり、縄を張り直してから残りが動いた。
登りは全員で押した。押す肩の位置は台ごとに決めてある。
息が白く千切れて岩壁に散っていく。
ユルが最後の一押しの前に手綱持ちの肩へ短く手を当てた。
昼下がりには四台とも谷の上にいた。
谷を抜けるまで、声を張る場面は一度もなかった。
運び屋の一台は僕らの筋をなぞって降りた。
登りも後ろについてくる。
年かさが並びに来て言った。
「……朝のあれが嘘みてえだ。あんた、最初から昼に合わせてたのか」
「はい。霜は日が入れば解けるので、待つ分を日割りに入れてありました」
「四台で、何もなしか」
「何も起きないように、先に決めてきただけです」
年かさは若い方と顔を見合わせて、それきり黙った。
若い方は僕らの板と縄の掛け方を、一つずつ目で辿っていた。
別れ際、使いが手綱の上で笑った。
「霧ん時と同じだ。待つ方が結局早い」
日暮れ前に集落へ着いた。
集落は二十戸ほどで、低い屋根が谷からの風を避けて肩を寄せていた。
炭焼きの煙が低く流れて、犬が四台を数えるみたいに吠えて回る。
塩と油の着く日を集落は知っていたらしく、荷下ろしには村の男衆も出た。
俵が下りるたびに囲みの息が白く上がる。子供が車輪の泥を突いて、手綱持ちに笑って追われた。
取りまとめの年寄りが木箱と俵をひとつずつ検める。
角の欠けた箱はない。濡れた縄もない。甕はひびの一本も入っていない。
「この時期に谷向こうから四台とはな。冬に入ると便が減る。今年はあんたらで仕舞いかもな」
年寄りは判を控えに押しながら言った。
使いが控えを畳む。
「六日の口で道中の減りがなしだ。主人はこういうのをいちばん喜ぶ。あんたらの組、覚えとくよ」
その夜は集落の納屋を借りた。
馬は厩に入れて、飼い葉の代は荷主持ちだと使いが言う。
壁の隙間から炭の匂いが薄く入ってくる。
エマは横になる前に弓の弦を緩めた。ユルはもう寝息だ。
藁の上で革の油を出しかけたセナの手がいつもより一拍遅い。
「セナ、油は明日でいいよ。今日は寝る方が先だ」
「リクこそ、まだ起きてるじゃん」
「僕は寝る算段が済んでる。セナはまだだから」
「……先に言ってよ、それ」
セナが油の瓶に蓋をして藁に身を倒した。
やがてユルの寝息に、もう一つ重なった。
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帰りは空の四台で来た道を戻った。
戻りの谷も昼に合わせて日割りを組んである。
行きの手順を帰りもそのままなぞった。
四日目の谷は行きより早く抜けた。
人が段取りを覚えたからで、僕が足したことは何もない。
板は帰りの轍でまた使い、予備の軸は縄を解かないまま荷台に載っている。
空の車は速い。足だけが行きの疲れを引きずっていた。
歩く持ち場は日ごとに替えた。
悪い轍の側に同じ人を二日続けて置かない。
霜は行きより深い。朝に畳む縄が指へ張り付いた。
セナの返事も短くなっている。
五日目の夜が最後の野営になった。
六日の荷は終わりに近いほど重くなる。
手綱持ちの口数が減り、エマが肩を回す音がした。
ユルの治癒は擦り傷より腰に呼ばれている。
「あと一日ですね。私の魔力も、残りは似たようなものです」
ユルが焚火の端で指先に小さな灯りを一度点した。
焚火は大きめに組んで、湯を絶やさないことにした。
冷えた体で眠っても疲れは抜けない。温めてから寝かせる。
湯の椀が回ると口数が少し戻る。温い体は口も軽くなる。
見張りの割りは行きと同じ、僕の番は最初の短いひと回りだ。
それが終わればあとは朝まで眠れる。
エマが火の脇に立って手を炙った。
「あんたの割りだと、明け方の番が二度こないんだね」
「同じ番が続くと、そこだけ削れるので」
「ふうん」
火の向こうでマルセルがこちらを見ていた。
何か言うかと待ったが、薪が一本足されただけだった。
火の番をセナと替わる時、椀に湯を注いで渡された。
「はい。飲んだら寝る。起こす時は私が蹴るから」
「……手で頼むよ」
湯を飲んで荷車の陰に潜り込んだ。
目を閉じると車輪の音がまだ耳の底で回っていて、すぐに消えた。
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六日目の日暮れにクレウスの門をくぐって、四台を荷主の倉へ返した。
精算は翌朝と決めて解散した。
翌朝、宿は音が遅かった。
夜のうちに降りた霜が窓の枠に白く残っている。
エマの戸が開いたのはいつもよりだいぶ後で、ユルは大竈の前で二度目の欠伸をした。
セナは腕を上げかけて顔をしかめる。
「肩、上がんないじゃん。何これ」
「あとで診ましょう」
マルセルが首を鳴らしながら土間に降りてきた。
水を汲んで湯を沸かす。僕はいつもの朝と同じところにいた。
体は六日分だけ張っているが、それだけだ。
マルセルが僕を見た。
「ガキ。六日歩いて、なんでお前だけいつも通りなんだ」
「ちゃんと寝てるからだと思います」
マルセルの眉が寄った。
「見張りの割りも、そのために組んだので。……皆も寝ていたはずですが」
「寝てたよ。寝ても抜けねえのが冬の荷なんだよ」
マルセルは椀の湯を一口啜った。
「冒険者はな、寝られねえ日の方が多いんだ。
寝られる日にきっちり寝て、次の朝いつも通りに立つ。それを普通にやれる方が異常なんだよ」
エマが戸口で「ふうん」と言った。
ユルが湯気の向こうで笑う。
「まあ、異常でも助かるのは私たちですね」
セナは上がらない腕のまま、自分の椀を僕の椀に軽く当てた。
マルセルはそれ以上何も言わずに湯を飲み干して、椀を伏せた。
竈の火が一つ爆ぜる。
壁の向こうで、鍛冶の槌が今日の一つ目を打った。




