第55話「東への切符」
テルナの門が見えた時、隊の誰かが小さく声を上げた。
村を発って六日。
晩秋の街道を荷を一つも欠けずに戻ってきた。
往路で越えた丘を今度は東から下る。
商隊主が御者台から振り返って笑う。
「無事に着いたな。あんたのおかげだ」
「皆が段取りどおりに働いたからです」
門をくぐるとテルナの音が一気に戻ってきた。
鍛冶の槌、客引きの声、荷車の軋み。
村の静けさに馴染んだ耳が半日かけてこの街の音量に戻っていく。
ナギが帽子を目深にし直した。
セナは隊列の尻尾を最後まで見届けてから、ようやく肩の力を抜く。
レオは荷台のいちばん後ろで、街並みを少しだけ長く眺めていた。
六日ぶりの石畳は足の裏には固かった。
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荷を倉に下ろして商隊主と一緒にギルドへ向かった。
護衛料の精算と依頼完了の報告。
受付には一足先に戻っていたルナが座っていた。
里帰りで空けていたぶんの控えが机に溜まっている。
その一枚に判を押しかけて、僕らを見て手を止めた。
「荷下ろしは済んだかい」
「はい。倉に入れてきました」
商隊主がカウンターに肘を置いた。
「ルナさん。あんたも荷台で見てたろうが、この坊主は大したもんだ。
帰りなんざ、獣の群れに囲まれて、剣の一本も抜かずに追い返しやがった」
「ああ。あたしの荷台からもよく見えたよ」
僕は黙って精算の紙を出した。
褒められるたびに足の裏がむずがゆくなる。
ルナが紙を受け取りながら、奥の棚に手を伸ばした。
書付と布にくるんだ小さなものを出してくる。
「ちょうどいい。あんたら、審査が通ったよ」
布の中身は新しいプレートだった。
僕は腰の板に手をやった。
セナと組んだ日からの相棒の板は2週間ほど前に返している。
今日まで提げていたのは登録したばかりの板だ。
そのプレートを台に置き、Eの刻印が彫られた板を受け取る。
新しいプレートは、Fのそれよりもほんの少し重い気がした。
重さが変わるはずはない。刻んである字の溝が深いだけだ。
それでも手のひらはその差を覚えようとする。
二日前、森の中で剣を一度も抜かなかった。
抜かずに守ったものが、この一枚になって返ってきた。
隣でナギも板を受け取る。
二枚のEが、カウンターの上で並んだ。
ナギの初速は僕には一生届かない。
剣の冴えも、間合いの読みも、ぜんぶ僕の外にある。
それでも、板の刻印は同じ高さに並んでいた。
才能は並ばない。
並んだのは肩書きだけだ。
「ボクとキミが、同じ板か」
ナギがEのプレートを陽にかざして眺めた。
「面白いね。ほんとうに」
魔力を測る石は、僕に一度も色をつけたことがない。
適性ゼロ。係の人が測るたびに首をかしげた数字だ。
その僕の腰には、いま、ナギと並ぶEが下がっている。
この依頼を通じて自分の段取りを守って得た板だ。
胸を張るようなことじゃない。僕にとっては普通のことだ。
商隊主が精算を終えて帽子を持ち上げた。
「また東へ行く便があったらあんたに頼むよ」
「こちらこそ。道中、気をつけて」
「気をつけるのはあんたの仕事だったがな」
笑って商隊主は出ていった。
護衛の終わりはいつもこんなふうにあっけない。
この2週間のあいだに預かった荷と人の重さが、門の外で急に軽くなった。
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戸が開き、革の胸当ての擦り傷が見えた。
「よう、ガキども」
マルセルだ。
「マルセル、リクすごいんだよ。登録して初めての依頼でEランクに昇格」
セナが嬉しそうにマルセルへ近づきながら話した。
マルセルが三歩近づいて僕の腰の板に目を落とす。
「……だからなんだ。たかがEだ」
「はい」
「はい、じゃねえよ。Eの札を提げるなら、ガキなりに死なねえ算段をしろ」
「そうですね。します。いつも通り」
「……ふん」
マルセルが鼻を鳴らして視線を外した。
怒っているわけではない。
照れている時のこの人の手は、いつも所在なく肩のあたりを探す。
ガキ、と呼ばれて悪い気はしなかった。
そのやりとりに、ナギが割り込んできた。
「聞き捨てならないね。その言葉は同時に昇格したボクに対しても同じ意味を持つ」
「うるせえな、お前には言ってねえよ。だいたい、なんでお前は成人の日に嬉々として依頼受けてんだよ。親父さん達が泣くぞ」
「その点は心配無用さ。この依頼を終えたら一度クレウスへ戻るつもりだからね。宴の席でもそんな話をしただろう」
確かに僕の15歳を祝ってもらった席で、クレウスについてくるとかこないとか、その様なことを言っていた気がする。
あれは本気だったのか。
「ナギの言うとおりだよ。マルセル、ちゃんとリクを褒めてあげて!」
「そんなことを言ってるから、お前らはいつまで経ってもガキなんだよ」
……セナまで話に割ってきた。これはしばらく収拾がつかない。
僕は一歩下がって、半分の諦めと共にその輪を眺めることにした。
隣でレオも同じように腕を組んでいる。
「お前は、ああはならないんだな」
「うん。僕は普通でいい」
「……変わってるな」
レオはそれだけ言ってまた三人の方へ目を戻した。
賑やかな声がテルナのギルドの天井に響いている。
この騒がしさを連れて、僕らは同じ街へ向かおうとしている。
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マルセルが「仕切り直しだ」と言って、奥のテーブルに着いた。
少し遅れてギルドに来たエマとユルも先に座っている。
たぶん、クレウスに行く話をこれからするのだろう。
「お前ら、村はどうだった?」
エマに聞かれて村のことを話した。
久々に会ったお酒なじみが、自分の知らない大人の顔になっていたこと。
セナの父親であり僕の剣の師でもあるヴァルドさんに今の型を見てもらったこと。
それと、母さんの病状がだいぶ緩和されていて、台所に立てるまで改善されていたこと。
「ふうん。母親、持ち直したのか」
「波はあるみたいです。でも、前よりは」
エマはそれ以上は聞かなかった。
聞かないことで、悪くない知らせだと受け取ってくれたのが分かる。
話がひと区切りついたところでマルセルが杯を置いた。
その手が一度だけ胸元に動く。上着の内側で畳まれた紙の角がのぞいた。
なにが書いてあるかは分からないが、何か重要な便りであろうことは伝わってくる。
「宴の席でも話したが、冬からクレウスに移ろうと思う」
杯の縁を見たまま、マルセルが言った。
「期間は決めていない。冬だけかもしれねえし、春以降も残るかもしれねえ」
知っている話のはずだった。
夜営の火のそばで叔母さんから聞いていた。
それでも、本人の口から出ると重さが違う。卓の空気が静かに変わった。
「テルナではCランクの依頼はそう多くない。特に冬はね」
背中からルナ叔母さんの声が聞こえた。
「マルセルから、うちとクレウスの依頼の違いを説明することを頼まれてね」
受付の仕事がひと段落したのか、叔母さんはそのまま卓の端に着いた。
全体を見渡せる場所の取り方。受付に座る時と同じだった。
「クレウスの依頼はテルナとそんなに違うの?」
「ああ、違うね。そもそも街としての規模が違うからね。
さっきも言ったが、テルナではCランクの依頼はそう多くない。それ以上になれば滅多にだね。
だが、クレウスなら冬であってもCランク以上の依頼も常に出てる。
上を目指すならクレウスの方が依頼は回るね」
「……というわけだ。俺たちは上を目指す。そのためにはクレウスの経験は悪くねえ」
確かにクレウスに移った方がランクは上げやすい。
それはマルセルがBを目指すだけでなく、僕やセナがCを目指す上でも同じことが言える。
だが、たぶんマルセルの意図はそれだけではない。
クレウスはこの男の地元で、帰りたくない場所のはずだった。
過去に何度かの長期依頼でクレウスへ行った際は、マルセルは街中の滞在を嫌がった。
宿は端を選び知った顔に会わないよう道を回り込んでいた。
帰りたくない場所がある気持ちはなぜか僕にもわかる。
ミルヴァでもテルナでもないどこか。帰らずに済むならそれでいいと思える場所。
今、マルセルは自分からそこへ向かおうとしている。
理由を全部は言わない。
杯を持つマルセルの手は、節がほんの少し白くなっていた。
だから、僕もセナも何も聞かない。
「叔母さん」
僕は声を落とした。
「クレウスなら、母さんの病のことも、何か掴めますか」
母さんの病はテルナでも完治する術を見つけられなかった。
症状を抑える薬で時間を稼いでいるだけで、元から治す道は誰も知らない。
クレウスならその続きを知る誰かに会えるかもしれない。
「……人も知恵も集まる。ここよりもずっとね」
「なら、行ってみます」
僕はクレウスへ行く。
セナも「リクが行くなら」と言って、それ以上は理由を足さなかった。
二年、同じ道を歩いてきたセナだ。理由はもうそこに含まれている。
「それじゃあ、宴で話したとおりだね。ボクたちもついていくよ」
ナギは帽子の下で、口の端がいつもの形に動いている。
レオは何も言わずに頷いた。
あの街はレオの流れてきた元の場所でもある。
頷き方が、いつもより半拍だけ遅かった。
「ああ。行ってきな。テルナのことは私が見ておく。
薬の便も、これまで通り村へ回しておくよ。
金のことは気にしなさんな。そっちはそっちの番をやりな」
「叔母さん。ありがとうございます」
「いいさ。これも順番だ」
順番。
ゆうべ、火のそばで聞いたばかりの言葉だった。
薬代の話をぼかした時と同じ声をしていた。
僕の帳面にはまだ埋まらない欄が二つある。
母さんの薬の出所と東の街。
片方はこの街に残る。
もう片方へは自分の足で近づいていく。
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出発は、三日後に決まった。
東への便に荷を積む。
村へ向かった時とは逆の方角だ。
三日のあいだにテルナでやることを一つずつ片付けた。
世話になった宿に挨拶をして、いつもの店で乾し肉を多めに買う。
受付の奥で叔母さんが帳面と長く向き合っているのが何度か見えた。
何を書いているのかは聞かなかった。
レオは練武場の隅で一人で剣を振っていた。
東へ戻ると決まってから振る数が増えている。
振り下ろすたびに刃が空気を裂く音だけが響いた。
あの街はレオの流れてきた元の場所だ。
帰る。その言葉をこの男がどう抱えているのかは、僕にはまだ分からない。
支度のあいだ、エマが僕とナギの腰の板を順に指で弾いた。
「Eね。気張んな。Eで死ぬ奴がいちばん多いんだ」
「はい」
「返事だけは一人前だ」
ユルがその横で「まあまあ」と笑っている。
この人たちと並んで歩くのも、場所が変わるだけで終わらない。
テルナで始まったものが東へ場所を移して続いていく。
出発の朝、ギルドの戸口でルナが一度だけ手を上げた。
見送りに出てくる人ではない。
朝に窓を開け夜に火を落とす。その合間の片手だった。
それでも、行ってこいと言われたのは伝わった。
東門を出ると道がまっすぐ伸びていた。
1週間も歩けばクレウスに着く。
セナが横に並ぶ。
ナギは前を、レオはいつものように後ろを歩く。
村への道は六人で守る荷があった。
今度の道は自分たちの足だけだ。
マルセルの背中が先を歩いていく。
あの胸元にはまだ畳まれた紙がある。
何が書いてあるのかは分からない。
それでも、僕はその背中についていく。
僕の帳面の東の街の欄。
そこに何を書くことになるのかは、着いてみないと分からない。
村の薬代の欄を残してきたぶん、こっちの欄は自分の足で書きにいく。
近づけばいつか文字が入る。
東の空は、村を発った朝に見た色より高く晴れていた。




