表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
55/94

第50話「15歳の秋」

目が覚めたのはいつもの時間。


窓の外はまだ暗い。仲秋の朝は息が白くなる一歩手前で止まっている。


ナギから初めて一本を取ったあの日から半年が過ぎた。


町は何も変わっていない。

変わったものを数えるなら、机のノートが3冊ぶん背を伸ばしたことくらいだ。

依頼の数も増えた。セナとはDの仕事で町を空けることが多くなった。

マルセル達との遠出も長くなって、町の外をずいぶん歩いた。


それから、今日で僕は15歳になる。


15歳という数を、口の中で転がした。特別な味はしない。

13歳で村を出て、14歳をテルナで迎えて、その続きにある数字でしかない。

それでも、数える先が前より遠くまで見えるようにはなった。


声に出して言う相手はいない。言うほどのことでもない。


顔を洗い木剣を持って宿を出た。


---


練武場に着くと、もう影が一つ立っていた。


「今日は早いね」


ナギだ。帽子のつばの下でいつもの目がこっちを向いている。

あの日から、ナギはたまに朝の練武場に来る。

そんな日は二人で打ち込みあうのが無言の約束になっていた。

立ち方は何ひとつ変わっていない。


「おはよう。そっちこそ早いね」

「そうかな。じゃあ、いつものをやろうか」


木剣を構える。半年の間、これを続けてきた。


結果から言えば、あれから僕はほとんど一本は取れていない。


ナギの剣は速い。速いというより、僕の引いた線の外から来る。

読んだ場所の半歩外から撃ち込みが放たれる。

段取りで埋めようとしても埋める前に懐へ入られる。

「壁」は半年たってもそこにある。高さもほとんど変わらない。


それでも毎朝ここへ来る。なぜ続けているのかを口にしたことはない。

型をなぞる音と、木剣を合わせる音だけが毎朝ぶん積もっている。


今朝は、その積もりがほんの少しだけ形になった。


踏み込んだ木剣の先がナギの肩口で止まった。

ナギが受けそこねた。

軽く息を吐く音がする。


「……一本」

「うん。今ので3回目かな、半年で」


狙って取れた一本ではない。

ナギの剣がいつもより半拍遅れて、その半拍にたまたま僕の線が重なっただけだ。


ナギは取られた肩口を撫でた。叱るでも褒めるでもない。

その所作を見るのもこれで3度目だ。

一本取られたときのナギは決まってこの顔をする。

負けを面白がるような、何かを確かめるような顔。


それでも初春にはゼロだった数が3になっている。

線はまだナギには届かない。届かないなりに、たまに掠るようにはなった。

毎朝の鍛錬はそのくらいの形で残っている。


いつもなら日が昇るまで続けるが、今日は僕のほうから先に木剣を下ろした。


「今日はここまでで」

「おや、勝ち逃げかい?」


そう言いながらナギは構えを解く。

若干の物足りなさが声色に乗っていた。


「珍しいね。どこか行くのかい?」

「いや。これからギルドに。今日から正式に登録できる歳になるから」


ナギの動きが一拍だけ止まった。つばの影で目までは読めない。


「へえ。今日が、キミの」

「うん。15になるんだ」


ナギはしばらく僕を見て、それから木剣を肩へ担いだ。


「じゃあ、登録は明日にしようか」

「明日?」

「うん。今日はやめておきなよ。その代わりに今夜は宴だ」

「宴?」

「キミの成人を祝うんだよ。マルセルたちに言っておくといい。ボク達も行くから」


なぜ明日に。そう聞く前にナギはもう背を向けていた。

問いは朝の冷たい空気に置いていかれる。


担いだ木剣の先が歩くたびに揺れている。

背中はいつもどおり何も語らない。


---


その晩の行きつけの食堂の奥は、いつもよりやけに賑やかだった。

マルセルにエマ、ユル。卓の上にはいつもより一品多い。

湯気の立つ皿が、僕の席のぶんだけ先に並んでいる。


「ほら、座れガキ。今日くらいは奢ってやる」


マルセルが顎で椅子を指す。

口は面倒くさそうでも、もう一杯ぶんの皿が僕の前へ寄せてあった。


「ありがとうございます」

「礼はいい。飯が冷める」


店主が奥から顔を出して、焼いた川魚を一皿置いていった。


「今日はあんたの祝いなんだろ。これは店からだ」


顔を覚えられていたことに少しだけ驚いた。

前は注文を取りに来てもこちらの顔を見なかった人だ。


席に座ろうとしたその時、表の扉が開いた。


「やあ。お待たせ」


ナギがいつもより少し弾んだ足取りで食堂の扉をくぐった。

後ろから背の高い男がのっそり顔を出す。

顔は知っている。あの練武場で脇腹に手当てをしてくれた男。名前はまだ知らない。


「邪魔するぜ。うちのじゃじゃ馬が突然すまなかったな」


脇から聞こえる「誰がじゃじゃ馬だよ!」に対して、ユルがいつものように「まあまあ」となだめている。

……こんなナギを見たのは、この半年で初めてかもしれない。


「いや、もともとマルセルたちが祝ってくれる予定だったので、それは構わないのですが」


「ん、どうした?」


男は僕を見て首をかしげた。


「えっと。こんな場で聞くのもアレなのですが」


言いづらい。けど言わないといけない。

「お名前、聞いてもいいですか?」


一瞬、時が止まった。


「あー……あれ。俺、名乗ってなかったっけ?」

「聞いたこと、ないです」

「そっか。レオだ。こいつのお守り役。よろしくな」


そう言うと、レオと名乗った男は脇の席に腰を下ろして、さっそくエマと酒の話を始めた。

卓の端から、皆をひとりずつ眺めている。誰かを値踏みする目ではなかった。

その目がときどきこちらへ来て、また離れていく。

僕が何をどう話すかを見ている。中身ではなく、話し方を。


「リク、レオの名前知らなかったんだ」


セナは知っていたらしい。


「なんか、聞きそびれちゃって。セナは知ってたんだ」

「うん。春に大型の依頼を受けた時に火の番が一緒だったんだよね。その時に」

「レオは自分からはあまり話しかけないからね」


気がついたらナギが隣の席に座っていた。

そういえば、この3人が同じ卓に着くのは初めてかもしれない。


セナが身を乗り出す。


「ねえ、リクが今朝ナギから一本取ったって本当?」


ナギは杯を傾けたまま、小さく頷いた。


「3回目。すごいじゃん、リク」

「まぐれだよ。狙って取れたわけじゃない」

「そのまぐれを毎朝積んでくる。キミはたちの悪い男を相棒に選んだね」


ナギがそう言うと、セナは声を立てて笑った。


「ナギこそ、リクのどこがそんなに気になるの?」


セナが杯越しにナギを見る。


「さあ。気になるというより、見ていて飽きないんだ。同じ手は二度と通じないからね」

「それ、褒めてる?」

「半分はね」


朝に木剣でしか向き合わない相手と、生まれた時から隣にいる相手。

その二人が同じ卓で、僕の話で笑っている。

不思議な眺めだった。悪くない眺めだ。


---


料理が一巡した頃、エマが布の包みを卓へ置いた。


「ほら、リク。今日は成人の祝いだからな。みんなで出し合った」


中身は革の小手と軽い胸当てだった。

新品ではない。使い込まれて手入れの跡がある。


「ユルの見立てだ。お前、防具に金をかけねえからな」

「サイズはたぶん合いますよ。着けてみてください」


小手に手を通してみる。

指の動きを邪魔しない。誰かが先に使って馴染ませてくれた重さだ。

革の内側が手のかたちにへこんでいる。


胸当ても着けてみた。肩のすわりがいい。

これまでは借り物の上から縄で縛っていただけだった。

体に合うと、こんなに楽になるものなのか。

立ち上がって二度ほど肩を回すと、エマが「ふうん、いい感じじゃないか」と笑う。


「大事に使います」

「使い潰せ。それが防具だ」

エマが指を鳴らす。弓の弦を弾くときの癖だ。


防具を誰かのお下がりで揃えるのは、村にいた頃から知っている。

新品など買えなかった。けれど、これは拾い物でも施しでもない。

その違いが、革の内側のへこみから手のひらに伝わってくる。


マルセルが杯を傾けながら機嫌よく言った。


「リクも正式か」

「まだ登録は明日ですけど」

「明日でいい。——なあ、いっそのことよ」


マルセルが卓に肘をついた。


「いっそクレウスにでも腰を据えるか。あっちは街がでかい。依頼の数も質もこことは違う」


マルセルがこんなことを言うのも珍しい。エマが横から笑う。


「また酔って大きいこと言ってる」

「でも、一度長期滞在してみるのも面白いかもしれませんね」


ユルがそう受けた。軽い口ぶりだ。

上機嫌の延長にも聞こえる。卓のだれも本気には取っていない。


それでも、僕の頭の隅で何かが引っかかった。

それが何かはまだ言葉にならない。


「クレウスに行くならボクたちも付いていってもいいかもね」

「またお前は無計画なことを言う」

「どちらにしても、来月には一度帰らなきゃいけないじゃないか」


レオの呆れ顔にセナが割り込んできた。


「ナギたちはクレウスの出身なの?」

「あれ、言ってなかったっけ?そうだよ。移住するなら街の案内してあげるよ」


「……まあ、酒の席で決めることでもねえな。この話はまた今度にするか」


マルセルもそれきりクレウスの話をしなかった。

杯を空けてエマと次の依頼の話に移っている。

だから僕も、頭の隅に転がった名前をそのまま置いておいた。


宴は遅くまで続いた。


ユルが酒に弱いこと。エマの弓の評が酔うほど辛口になること。

ここまで一緒にいても知らなかった顔が、卓の上にひとつずつ出てくる。

これだけの数に囲まれて飯を食う夜が来るとは、テルナに来た頃の僕には想像できなかっただろう。


レオが一度だけ、僕の手元を長く見た。


---


皆が腰を上げ始めた頃、僕はナギの横へ寄った。


「ナギさ。朝の……なんで、登録を明日にしろって」


ナギは帽子のつばを浅く下げて笑った。


「今日は秘密さ」

「秘密」

「明日になれば分かるよ。悪いことじゃない」


それ以上は言わない。レオが横で肩をすくめる。


「こいつ、こういうとこあるんだよ。気にすんな」


それだけ言うと、二人は「また明日」と言い残し帰っていった。

レオの声には含みはない。本当に、ただの軽口に聞こえた。


店を出ると外は冷えていた。秋の夜の匂いがする。


セナが隣に並ぶ。

しばらく無言で歩いてから、セナが足を止めた。


「リク」

「ん」


布に包んだ小さなものを差し出してくる。


「これ。私から」


革の覆いだった。ノートにかぶせる表紙のかたちをしている。

手の跡のない、おろしたての革だ。


「この前、沢で濡らしてたでしょ。だから」


そう言ってセナはさっさと歩き出した。礼を言う間も与えない。

半年前なら「絶対なくさないでよ」と一言ついていたと思う。


今夜はそれもなかった。

Dに上がってからのセナは言葉の角を落としている。


この前の春、セナの誕生日に何かを渡したのは僕のほうだった。

ほつれかけた赤いリボンの替えにと、新しい緑のを一本。立場が逆さになっている。


「ありがとう」


背中に言うと、セナは何歩か行ってから足を止めた。

振り返らないまま、いつもより低い声で言う。


「……誕生日、おめでとう。リク」


それだけ言ってまた歩き出した。

今夜、その言葉をまっすぐ口にしたのはセナだけだった。


宿に戻ると受付の台に小さな包みが置いてあった。


「リク宛だよ。昼間に、村からの便でね」


紐で結わえた包みと手紙が一通。母さんの字だ。

久しぶりに見る、丸くて右へ傾いた字。


包みの中身は編んだ手袋だった。指のところがわずかに大きい。

来年の手にも合うようにと、母さんは毎年そうやって大きめに編む。


毛糸は染めていない。村の羊のそのままの色だ。

編み目はところどころ詰まったり緩んだりして、夜なべで手元が暗いまま編んだのが分かる。

手袋ひとつに、村のひと冬ぶんの夜が入っている。


手紙には誕生日の言葉と村の近況が並んでいた。


畑のこと。父さんの鍛冶場のこと。

体のことは心配いらない、無理をするな、とだけ書いてある。

それ以上は何も書いていない。

書かないことで安心させようとするのは母さんの昔からの癖だ。


手紙の終わりに、僕の名前が一度だけ書いてあった。

元気でいなさい、ではなかった。元気でいてくれて、と。

その先は便箋の端で切れている。読み違いかもしれない。

それでも、その一行だけ何度か目で追った。


薬を切らさず送れているうちは悪いことにはならない。

そう自分に言い聞かせている。


「村、変わってないんだね」


横で覗き込んだセナが言う。


「うん」

「行きたい?」


ひとつ息をついて考えた。


「近いうちに、一度顔を出したいとは思ってる」


もし、東へ腰を据えるならその前に。

口に出さなかった理由が、母さんの字を見ているうちに形を持ち始めていた。

クレウスはまだ遠い。村はもっと近い。順番なら村が先だ。


「私も行く。お父さんとお母さんに、Dの報告がまだだから」


セナはそう言って先に階段を上がっていった。

足音が、昔より大人びて聞こえた。


---


部屋のランプに火を灯す。


セナの革の覆いをいまの一冊にかぶせてみた。

あつらえたみたいに、角まできれいに包んでいる。


濡れた紙のことまで見ていたのは、たぶんセナだけだ。

僕が線を引く手元をずっと横で見てきたから。


いつもなら、寝る前に今日の一行を書く。

今夜は書かなかった。


覆いをかけたばかりの表紙を、指でなぞった。


書くことなら明日でいい。

15歳も、登録も、酒の席で転がった東の街の名前も、明日からのページにいくらでも並ぶ。

型をなぞる道の先にそんな方角が差したのは初めてだった。


母さんの手紙だけはノートのいちばん前に挟んだ。

もとからある手紙のすぐ隣に。


横になって天井を見た。明日が来るのを待っている自分がいる。

こんなふうに朝を待つのはいつ以来だろう。

思い出せないくらい、久しぶりだった。


明日、僕は正式な冒険者になる。

それがどんな一日になるのか、今はまだ分からない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ