第45話「大型討伐(前)」
大型の依頼がうちのパーティに来た。
マルセルがCランクに上がって十日あまり。
宴の席でユルの言っていた「でかいの」は、思ったより早く回ってきた。
受付の卓にルナ叔母さんが一枚の紙を置く。
「北の森の奥だ。中型の群れが膨らんでる。
ふた月前の間引きで数は減らした。それにしては戻りが早すぎると思ったら、奥に主がいた。
冬のあいだに主持ちになった群れだ。雪解けで動き出して、もう麓の猟場まで下りてきてる。
集落と街道に出る前に巣ごと叩く。それがこの依頼だ」
主持ち。
群れの真ん中にひと回りでかい一体が座っている群れのことだ。
間引いても数が戻る。主が残っている限り何度でも。
「主の面は猟師が見てる。角の擦れた年寄りの雄だ。年を食ってる分だけ用心深い。
人の気配で巣を移す。だから囲むなら一度で決める。
行程は3日。森の奥でふた晩の野営になる。参加パーティは五つ。
マルセル、あんたらのパーティ筆頭で受けてほしい。受けるならCの枠で出す」
「受ける」
マルセルは紙を最後まで読みもしなかった。
「即答ですね」
「Cに上がって最初の大仕事だ。断る理由は無え」
受付の周りで何人かが振り返った。
Cの討伐依頼はテルナでは月に何枚も出ない。
誰が受けるのかを皆がそれとなく見ていた。
エマが横から紙を取り上げて報酬の欄に目を走らせた。
「ふうん。……へえ」
ユルがエマの手元を覗き込んだ。
「人数も日数も、今までと違いますからね」
そう言って、僕とセナの方を見て苦笑いする。
「言ったそばから来ましたね、でかいの」
宴の晩に杯を傾けていた本人だ。
巣ごと、と言われた時、セナはわずかに息を整えていた。
怖がっている顔ではない。
依頼の重さを量り直す顔だ。
受けたその足で僕はギルドの台帳を借りた。
北の森の記録。ふた月前の討伐の時に書き写したページの続きだ。
去年の冬に崩れた斜面。水の出る沢筋。獣道の向き。
読んでおけば踏まなくていい場所が一つ減る。
写したページの隅に自分の字が残っていた。
群れは要を抜けば崩れる。
あの日、ナギの動きから書き取った一行だ。
それからパーティのぶんの矢と油と食料を数えて足りない分を頼んで回る。
晩には宿の隅に荷の山がひとつできていた。
「念のため、傷薬は倍にしておきました」
ユルが荷の上に布包みを足していく。
山を見て、依頼の大きさがようやく腹に落ちた。
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出立の前の晩、ギルドの広間に五つの組が集まった。
全部で17人。
壁のランプが油の匂いをさせて、卓の上に四つの影の塊を作っている。
依頼の地図が壁に貼られて、組ごとに卓を分けて座る。
古株の組は声が大きい。若い組は黙って耳だけをこちらに向けている。
ガランとハルの顔もあった。ガランが顎でこちらを示す。
「またお前らか」
「はい。よろしくお願いします」
短いやり取りだけで、もう値踏みの目はない。
代わりに別の声が切れ切れに届く。
マルセルのとこの、声のやつだろ。
名前ではなくそう呼ばれていた。
そして、壁際にはあの二人がいた。
つばの広い帽子に高い襟。
ナギと、年上のあの男だ。
広間の人波はその壁際だけ避けて通る。
人手の要る討伐ばかり受けている二人だから、どこかの依頼で重なるとは思っていた。
セナがナギの方を一度見て、それから僕を見た。
ナギもこちらに気づいて帽子のつばをわずかに上げる。
「手合わせより先に、こっちになったね」
「はい」
「ちょうどいい。キミのやり方を近くで見られる」
マルセルが一度だけナギの方を見た。
ナギも一拍だけ見返す。
どちらも何も言わない。
言わないまま互いに視線を外した。
二人はギルドの声がかりだそうだ。
大物の依頼に、組を持たない腕利きを足す。
この二人で五組目だ。ギルドの帳尻はそうやって合う。
段取りそのものは、打ち合わせの前にマルセルと二人で詰めてあった。
僕が線を引き、マルセルが潰す。
「ここで崩れたら」「夜の火は」「雨が来たら」
聞かれるたびに答えて、答えられなかった穴は二人で埋めた。
最後にマルセルが「いいだろう」と言って、それが今回の段取りになった。
打ち合わせはマルセルが仕切った。
「段取りはうちで組んだ。細かいのはこいつが読む。聞いてやってくれ」
そう言って僕を顎で示す。
外側に座っていたパーティの何人かが顔を見合わせた。
魔力ゼロの相棒に段取りを任せるパーティ。
それでも笑う者はいない。前の討伐で僕の声が通るのを見た顔ぶれだ。
卓に地図を広げた。
台帳から引いた線と数字が入っている。
「まずは行程から。
朝に発って昼前に沢を渡ります。雪解けで水が増えているので、渡れる場所は二つ。浅い方を使います。
日のあるうちに岩場の手前まで入って、一晩目はそこで野営」
隣でセナがうなずいた。
「前衛は三組で回します。矢と魔法は岩場の上。補助は真ん中、どの組にも声が届く位置に。
夜は半分ずつ休みます。休む順番も決めてあります。
崩れた時は沢沿いに下がる。沢が渡れなければ尾根側の獣道へ。
合流は渡りの浅瀬です。遅れがでていないかはそこで確認します」
広間がしばらく静かになった。
マルセルが地図の上に手を置く。
「指揮は俺が持つ。崩れの判断も俺だ。こいつの声は俺の声だと思って動いてくれ」
ガランが地図の隅を指で叩く。
「去年崩れた斜面が抜いてあるな」
「台帳に書いてありました。崩れた場所は崩れます」
「水と飯の量までこの紙に書いてあるぞ」
「3日分です。足りなくなってから困るより、担いで重い方がましなので」
「……相変わらず細けえ」
口は悪いが声は笑っていた。
続いて、別の組から夜番のことを聞かれた。
「火は二つ。風下側と岩場側に分けます。
魔物は火を嫌がります。火が壁の代わりになります」
答えるたびに、聞いた側が小さく頷くのが見える。
段取り八分。
以前にも、そんなことを言う人がいた。
仕事の八割は始まる前に決まっている、という意味だ。
あの言葉をいまはこんな場所で使っている。
散会ぎわに、若い組の一人が地図を写させてくれと言ってきた。
断る理由もないので貸すと、覗き込む頭が二つ三つ増えた。
僕の線が知らない誰かの紙に写されていく。
最後の一人が写し終えた頃、畳みかけた地図に影が差す。
ナギだ。
「これ、全部キミが?」
「はい。組んだのは」
ナギが卓の上を覗き込む。
帽子の影の奥で、目が線の上を辿っていた。
「沢の水の量まで入ってるのかい」
「雪解けの時期なので」
「数も書いてある。群れの数なんて、行ってみないと分からないだろう?」
「増え方からの当て推量です。外れている前提で多い側に倒してあります」
「……外れている前提で組むのかい」
「僕は着いてからだと間に合わないので。先に外れ方まで決めておくんです」
ナギが顔を上げた。
影の奥の目がこちらを見ている。
「ボクは着いてから考えるよ。着く前のことは考えたことがない」
責める響きではない。
初めて見るものを見ている声だ。
「戦いの前に、もう戦ってるんだね。キミは」
僕は手を止めた。
戦いの前。
才能が届かない場所は、たぶんそこにある。
自分のノートに書いた一行が、ナギの口から別の形で出てきた。
「キミの剣が速くなったことと、この紙はつながってるのかい」
答えるより先にナギは紙から目を上げた。
「いいよ、森で見る。その方が早い」
ナギが離れていく。
入れ替わるように、あの男が一度だけ卓の地図に目を落とした。
「……退路が二本。合流が一つ」
それだけ言って男はナギの後を追っていった。
地図のどこを見ればいいかを最初から知っている目だった。
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出立の日は、まだ暗いうちに目が覚めた。
いつもの癖だ。
夜明け前に起きて、誰もいない練武場で型をなぞる。
体がもうその時間に勝手に起きるようになっている。
宿を出ると、外にはまだ星が残っていた。
息は白い。ただ、冬の白さではもうない。
練武場の入り口にマルセルが立っていた。
腕を組んで柵に背を預けている。
誰を待っているのかは聞くまでもなかった。
「……おはようございます」
「おう」
マルセルが柵から背を起こす。
「朝のあれ、討伐のあいだは休め」
足が止まった。
「……体を起こしに来ただけです」
「木剣を担いでか」
言い訳は一往復も保たなかった。
「知ってたんですか」
「何ヶ月同じ組でやってると思ってんだ。朝メシの時のお前の手、たまに豆が潰れてる」
隠してきたつもりだった。
セナにもマルセルにも言っていない。
言っていないだけで、見る人は見ていた。
「今日から3日、森の奥で寝起きだ。回しは組んであるんだろうが、組んだ当人が倒れたら段取りごと倒れる。
冬に熱を出したの、忘れてねえぞ」
「……あれは」
「あれは、も何もあるか。倒れたのは事実だろうが」
言い返せなかった。
「お前は人の水と飯の量まで紙に書くくせに、自分の寝る量は書かねえのな」
その通りだった。
行程。水。飯。交代。退路。
紙の上に全部並べたつもりでいた。
並べた紙のどこにも、自分の体だけが入っていない。
いつかの記憶でも同じだった。
人の段取りは引けるのに、自分の勘定だけがいつも抜けていた。
「ガキどもの体も頭数のうちなんだよ。働き手が潰れると組が潰れる」
「……戻ったら、再開していいですか」
「戻ってから聞け」
マルセルはそれだけ言うと、行くぞとも戻れとも言わずに歩き出した。
止めることは言った。あとはお前が決めろ。
そんな背中だった。
僕は練武場の入り口に立ったまま、手の中の木剣を見た。
型を始めてから、一度も振らずに引き返す朝は初めてだ。
それから木剣を担ぎ直して、来た道を戻った。
部屋に戻って横になる。
天井を見ているうちにもうひと眠りできた。
できてしまうくらいには疲れていたらしい。
次に目を開けた時、頭の芯がいつもより軽かった。
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北門に全員が揃ったのは、朝の鐘のすぐあと。
空は晴れている。
風だけがまだ冬の名残で冷たい。
エマが組の荷を端から数え直している。
ユルが水袋の口を一つずつ確かめて回る。
マルセルは何も確かめない。確かめる役を振り終えた顔で立っている。
セナが荷を背負い直して隣に並んだ。
その髪には緑のリボンが結ばれている。
依頼の時でも目立たない色。
渡した時に僕が言った、その通りの使い方だった。
僕は何も言わなかった。
セナも何も言わない。
結び目だけが新しかった。
全員が揃い隊列が動き出す。
先頭にうちの組とガランの組。
真ん中に荷と補助。僕とセナはその近くで全体を見ながら歩く。
ナギとあの男は、列のいちばん後ろからついてくる。
街道を北へ。
畑が切れ、道が細くなり、森が近づいてくる。
後ろを歩くナギの足音は、いくら耳を澄ましても拾えない。
初めて見たのは去年の秋、クレウスからの帰り道だ。
変わったのは、その足音のなさを僕がもう知っていることだけ。
やがて沢の音が聞こえ始めた。
水は多い。
岸の草が倒れて、水位の上がった跡が線になって残っている。
地図に書いた通りかどうかは、渡る時に分かる。
道の脇の猟師小屋は、戸に板が打ちつけてあった。
麓まで下りてきている。
受付で聞いた言葉が戸板ひとつで目の前にある。
森の縁で立ち止まって、全体を見た。
背中の荷で肩紐が鳴る。
17人ぶんの3日が、この荷と一枚の地図に載っている。
紙の上では何度も歩いた森だ。
線も数字も引けるだけ引いた。
その線が本物の森でどこまで保つのか。
確かめるのはここから先だ。
紙に書けなかったものが一つだけある。
雪解けで嵩を増した沢の水だ。
群れは、その奥でいまも増え続けている。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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