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閑話④「セナが見ていたもの」

リクは落ち込んでも荒れたりしない。

怒鳴ったり物に当たったりは一度も見たことがない。


ここ何日かもずっとそうだった。


ただ、箸を持つ手がいつもより遅い。

ごはんを口に運ぶまでに少し間がある。

普段のリクは食べるのが早かった。

依頼のあとはお腹をすかせて、わたしより先に食べ終わっていたのに。


何かを聞くと、一拍おいてから答える。

その一拍は前はなかった。


依頼に出ればリクはちゃんと動く。

みんなの位置を見て、誰がどこへ回ればいいかを的確に教えてくれる。

そこだけはいつものリクのままだ。


でも、帰り道は口数が少ない。

わたしが歩調を合わせても、ずっと足元を見て歩いている。


これは何度目かのナギとの稽古から。


稽古ではリクは何度も地面に転がされた。

立ち上がってはまた転がされる。その繰り返しだった。

見ていられなくて、何度も止めに入りたくなった。


でもリクが「もう一回」と言うのをやめないから、わたしも何も言えなかった。

稽古が終わり部屋に戻ると、すぐにリクは倒れたときのことをノートに書きつけていた。

まるで負けを一つずつ拾い集めるみたいに。


---


今朝、ギルドの集合にリクが来なかった。


部屋が分かれてからは、ギルドの集合場所へはそれぞれ向かうようになっていた。

大体はリクがいつもいちばん早く来て、掲示板の前で依頼書を眺めている。

次にマルセル。集合時間の少し前にエマやユル、わたしが集まるのが日常になっていた。


そんなリクが朝に遅れるなんて、わたしの知るかぎり一度もない。


マルセルが受付のルナさんと少し話すと「見てくる」といって宿に向かって歩き出した。

それからすぐ「お前も来い」とわたしも連れ戻した。


宿に戻ると、リクは布団の中で熱を出していた。

顔が赤くて、でも熱だけじゃないってわたしには分かった。


枕元のノートは閉じたままだった。


リクは負けても何かを書き続ける。

ナギに何回倒されても、その夜には机に向かっている。

それがすごいことに思えた。


わたしなら書けない。負けた日のことなんて思い出したくもない。


その手が止まっていた。

毎日水をやっていた畑を、ふいに放り出してしまったみたいだった。

机に向かわないリクなんて、村にいた頃から数えてもほとんど見たことがない。


リクのこういう顔を、わたしは前にも見たことがある。

リクが六歳の夏。灯し試しの夜だ。


村の祭りで、子供たちがみんなの前で蝋燭に火を灯す。

魔力があれば指の先にちいさな火がともる。

それを見て大人たちが「この子は何の適性だ」と話すのだ。


その夜は篝火が高く燃えていた。

屋台の鉄板からいい匂いがして、小さい子が走り回って、笛と太鼓の音がしていた。

村じゅうがひと晩じゅう明るかった。


わたしの番のときはちゃんと灯った。

指の先にぽっと火がついて、みんなが拍手してくれた。

お母さんがすこし得意そうにしていたのを覚えている。


リクの番が来た。


リクは蝋燭に指を近づけた。

何度近づけても火はつかない。

灯心は黒いままぴくりともしない。


もう一回、とリクは小さな声で言って何度もやり直した。

指を近づけては離して、また近づける。

火は灯らなかった。


まわりがすこしずつ静かになっていく。

大人たちが顔を見合わせて、何か小声で言い合っていた。

篝火はあんなに明るいのに、リクの立っているところだけが暗いみたいだった。


苦しくなって、わたしはリクの元に戻って一緒に灯そうとした。

それでもつかなかった。


リクは泣かなかった。

騒ぎもしなかった。

ただいつもとおなじ顔で、火のつかない蝋燭をじっと見ていた。


わたしはその隣にいた。


何か言ったはずだ。

でも何て言ったのか、どうしても思い出せない。


たぶん、ろくな言葉じゃない。

子供の頃のわたしに気のきいたことが言えるわけもない。

だいじょうぶだよ、とか。そんな子どもっぽいことを言った気がする。


それでも隣にはいた。

リクが祭りの輪からそっと離れたとき、わたしもついていった。

篝火からはなれた暗いところに、二人で並んで座った。


リクはしばらく何も言わなかった。

それからぽつりと「セナは灯ったね」と言った。


責めるんじゃない。

心の底から言う、よかったの言葉。


自分の蝋燭がつかなかった夜に、わたしへよかったと言うのだ。

灯った側のわたしを、灯らなかったリクが祝っている。

それが、苦しかった。


覚えているのは、それくらいだ。


---


今日も、わたしは何も言えなかった。


できることといえば、額の布をぬるくなる前に換えることくらいだ。

それで熱はいくらか楽になる。

でも、わたしが本当にどうにかしたいのは熱のことじゃなかった。


「喉、渇いてない?」


本当に聞きたいのはそんなことじゃない。

大丈夫なの、とか。何があったの、とか。

聞きたいことはいくらでもあった。


でもどれも違う気がして、結局いちばんどうでもいいことを聞いてしまった。


リクが今、何にぶつかっているのかはなんとなく分かる。


ナギだ。


あの子は強い。

わたしから見てもぞっとするくらい強い。

剣を合わせれば、たぶんわたしも勝てない。


リクとあの子は、戦う前から勝負がついている。

ナギには魔力があって、リクにはない。

それはどれだけ頑張ってもひっくり返らない。


そしてわたしはたぶんリクよりナギに近い側にいる。

魔力があって、剣も振れて、ランクも上がった。

振れば振っただけ強くなれた。


リクにはその「振れば強くなる」が最初からなかった。


それでもリクは誰よりも振り続けている人だ。

報われるとはかぎらないのに、やめない。


だからわたしが「がんばれ」なんて言っても、きっと届かない。

わたしなんかより、リクのほうがずっと頑張っているんだから。


いつか、リクが遠くへ行ってしまう気がした。


うまく言えない。

リクはどこにも行かない。

同じ宿にいて、おなじパーティで、明日も隣にいる。


それなのに、手の届かないところへ離れていくようでこわかった。


わたしはリクにそばにいてほしい。

ずっとそう思ってきた。


わたしが村を出るとき、リクにもついて欲しいと言った。

置いていきたくない思いはあった。でも、それだけじゃない。

離れることで、リクが一人でどこかへ行ってしまうのが嫌だった。


あのときは、同じ道を歩いていられればよかった。

おなじ町に住んで、一緒にごはんを食べて、依頼を受ける、それで済んだ。


でも今こわいのは、それとは違う。


リクが、リクじゃなくなってしまうことだ。

負けても書いていたリクが、書くのをやめてしまうこと。

何があっても次の手を探していた、あの目が消えてしまうこと。


それは、一緒にいるだけじゃどうにもできない。


守りたい、と思った。


でもわたしに何が守れるんだろう。

熱なら布で冷やせる。

お腹がすいているなら、ごはんを持ってこられる。

でもリクのなかで折れかけている何かは、布でもごはんでもどうにもならない。


魔力があっても。

剣が振れても。

こういうときには、何の役にも立たない。


---


階段を降りて、食堂でごはんをもらった。


リクのぶんも頼んだ。

わたしのことには気をかけるくせに、自分のことになると意外と無頓着なリクだ。

こういう時は、ちゃんと言わないと自分からは食べない。


盆を持って、もう一度二階へあがる。

リクの部屋の戸の前で立ち止まった。


何を言えばいいのかわからない。

あの夜から、わたしはちっとも変わっていない。

気のきいた言葉なんて、今でも一つも出てこない。


それでも、ひとつだけ決めていることがある。


何も言えなくても隣にはいる。

あの夜とおなじだ。

言葉でリクを助けられないなら、せめてひとりにはしない。


それくらいしかわたしにはできない。

でも、それだけは絶対にやめないと決めている。


わたしは戸を開けた。


リクはまだ起きていた。

わたしに気づいて、ちょっとだけ笑った。


その笑い方が、朝よりほんの少しだけやわらかかった。


「ごはん、持ってきたよ」


そう言うと、リクは「ありがとう」と小さく返した。


それを聞いたら、今日はもうそれでいいことにした。

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