第35話「新参者」
セナのプレートがDになって依頼の格が一つ上がった。
受けられる依頼の欄が変わる。報酬の桁も少し変わる。
何より組み方が変わった。
Eまではついていく側だった。
Dからは同じ卓で段取りを話す側になる。
セナがそうなった分、相棒の僕の役目も少しだけ前に出る。
冬の半ば、その手応えにようやく慣れてきた頃に大きい依頼が来た。
テルナの北の森で中型の魔物が増えすぎたという。
一隊で間引くには数が多い。
ギルドはいくつかの組を集めてまとめて当たる依頼を出した。
掲示板の紙をマルセルが一枚剥がした。
「中規模討伐。Dの依頼だ。何組か合同で入る」
「合同?」
「数が多い時はこうする。指揮はこっちで持つ」
セナがDの板に指をかけた。
Dになって初めてのDらしい依頼だ。
僕はその相棒として同じ枠に入る。
合同と聞いて頭の中の段取りが一つ増えた。
自分の組だけでなく、他の組がどこにいるかも数に入れないといけない。
前の世界でもいくつもの班が同じ現場に入る日があった。
誰がどこを持つか。境い目で誰の手も届かない場所はどこか。
事故はいつもその境い目で起きる。
僕は出発前にギルドの台帳で北の森の古い記録を見せてもらった。
去年の冬、同じ森で何が出たか。
どのあたりで前の隊が手こずったか。
読んでおけば踏まなくていい場所が一つ減る。
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当日の朝、北門の前にいくつかの組が集まっていた。
見たことのある顔もあれば、ない顔もある。
ガランとハルもいた。ガランが「お前らも来たか」と顎で示す。
うちの組は五人だ。
前にマルセル。弓のエマ。補助のユル。前で剣と魔法を振るセナ。
僕はその後ろで全体の向きを読む。
半年でこの並びはもう考えずに動ける。
その集まりの中に見覚えのある二人がいた。
小柄な方は街道で見たのと同じ、つばの広い帽子を目深にかぶっていた。
襟も高いまま、顔はあいかわらず影の中だ。
人混みの中でもその子の立つ場所だけが妙に静かに見えた。
隣に地味な身なりの年上の男が半歩下がって立っていた。
出るでも守るでもなく、位置だけを保っている。
――街道の二人だ。
会うことはないと、僕はノートにそう書いた。
その二人が、いまテルナの北門の前に立っている。
セナが僕の肘をつついてきた。
「リク、あれ」
「うん。クレウスの帰りの」
「テルナに来てたんだ」
ほかの組もその二人をちらちらと見ていた。
テルナでは見ない顔だ。
歓迎するでも警戒するでもなく、値踏みする視線だった。
腕は噂で知っていても誰もまだ一緒に組んだことがない。
決まった町を持たない二人らしい。
クレウスの周りで噂になったかと思えば、次はこの町に現れる。
腕の立つ流れ者。新参の二人。そういう扱いだった。
ノートの隅に前に書いた一行が残っている。
あの足の運びに追いつく方法はまだ書けない。
その相手が、今日はもう目の前に立っている。
追いつく方法どころか、もう一度あの動きを見ることになりそうだ。
マルセルがその二人を見て一瞬足を止めた。
帽子の小柄な方をまた、あの落ち着かない目で見ている。
クレウスで何度か見せたのと同じ目だ。
どこかで会ったような、それでいて思い出せないような。
何か言うかと思った。
けれど、マルセルは結局何も言わずに指揮の段取りへ戻っていった。
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森に入ってすぐ、討伐は始まった。
下生えが深い。日が届かず足元が暗い。
中型の魔物が想定より多い。
ギルドの読みより一回り大きい群れだった。
各組が散って受け持ちを片付けていく。
うちの組はいつもの形で回り始めた。
エマの矢が一体目の足を止める。
止まったところへマルセルが踏み込んで斬る。
横へ逃げた一体はセナの拘束の光が絡め取った。
止めて撃つ。
セナが拘束のあとに攻撃の魔法を重ねて絡めた一体を自分で仕留める。
Dになってからのセナの動きには迷いがなくなっていた。
僕は声を出した。
マルセルの組の向き。隣の組の空き。
誰がどこで詰まるか。
数が多いほど僕の声の出番は増える。
ユルが後ろから僕とセナの足元を固める。
五人の手がそれぞれの持ち場で噛み合っていた。
ところが、予定の倍の魔物が森の奥から続けて湧いた。
地面の震え方が変わる。
一体や二体ではない。
森の奥がまるごと動いたような数だった。
受け持ちの線が崩れる。
うちの組はまだ保った。
エマが射かけ、マルセルが前を抑え、セナの拘束が次々と足を止める。
半年で噛み合った五人の形はこの数でもまだ回っていた。
回ってはいても余裕はもうない。
エマの矢の間隔が空き始める。セナの息も上がっている。
これ以上数が増えれば、うちの線も危うかった。
崩れたのは隣だ。
去年も同じ斜面で崩れた、と台帳の記録にあった。
二の組がまさにそこで群れに押され始めた。
「左、崩れてます! 二の組、下がって!」
「エマ、右の二体を! ユル、二の組に光を回して!」
声で組を動かす。
下がれば崩れは止まる。誰かが回り込めば押し返せる。
頭の中で線を引く。誰が、どこへ何呼吸で。
うちの組だけ見ていればいい場面ではなかった。
指揮はマルセルだ。僕がやるのは、その穴に声を差すことだけ。
「ガランさん、二の組の左! そこが空きます!」
最初に動いたのはガランだった。
このあいだ僕の段取りを真似だと言って取り入れた、あの中堅だ。
何も聞き返さず、声の差した方へ剣を運ぶ。
ガランが崩れの片側に入ると、それを見ていた近くの組も体の向きを変えた。
マルセルのやり方を横で見てきた連中だ。
一人が声に乗ればあとは早い。
魔力ゼロの相棒の声でDの冒険者たちが動いていく。
それがどれだけ奇妙なことか、いまは考える暇もない。
でも間に合わない。
線を引き終わるより早く、二の組の一人が足を取られて膝をついた。
群れの先頭がその背中へ迫る。
僕の段取りはあと数呼吸だけ足りなかった。
その数呼吸を誰かが飛び越えた。
小柄な子が、もう動いていた。
押された組の正面。群れの先頭。
そこへ最短の線で踏み込んで一突き。
先頭の一体が声もなく崩れた。
束ねていた一体を抜かれて残りが向きを失う。
群れが一瞬でばらけた。
今度も何が起きたのかを目で追えなかった。
ただ、群れの形が変わったことだけが分かった。
一体を倒したのではない。
群れの要を一突きで抜いたのだ。
数が多いほど、どこを抜けば全体が崩れるか。
僕なら紙の上で何度も線を引いてやっと見つける場所だ。
それをあの子は考える前に足で見つけている。
抜いたあとにはもう、次の一体の正面へ移っていた。
迷いも無駄な一歩もない。
誰よりも短い手数で群れを内側からほどいていく。
僕は目で追ってあとから線を引き直そうとした。
どの足からどの足へ。どの角度で踏み込んだか。
紙に起こせば次に同じ崩れ方を見た時に使える。
けれど線は途中で切れた。
始まりと終わりは分かる。その間がまるごと抜け落ちている。
書こうとして書けない動きを僕は初めて見た。
セナが小さく言った。
「速い」
マルセルが、群れの散り方から目を離さずに呟いた。
「……これでか」
他人の腕を褒める人ではない。
そのマルセルが口を開いた時点でいまのが並でないと知れた。
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先頭と要を抜かれた群れはもう怖くなくなっていた。
各組が落ち着いて残りを片付ける。
始まった時よりずっと早く終わった。
けが人はいない。
崩れかけた二の組も抜かれた一点のおかげで持ち直した。
助けられた側の何人かが帽子の子を遠くから見ていた。
誰かが小さく「あれが噂の」と言った。
クレウスで腕が立つと言われていた新参者は、本当に腕が立った。
助けられた側さえ、遠くから見ているのがせいぜいだ。
僕はノートを開いて目で拾えたところだけ書きつけた。
群れの先頭。抜かれた一点。散るまでの数呼吸。
去年も崩れたという、あの斜面のこと。
速さの話ではなかった。
見てから動くのではない。
どこを突けば崩れるかをあの子は最初から知っている。
書いていると、影が一つ手元に落ちた。
顔を上げると、帽子の子がこちらを見ていた。
すぐ近くに立っている。
近づく気配がまるで読めなかった。
「キミ、あの時の」
「はい。クレウスの帰りに」
「魔力ゼロの」
「……はい」
その子の視線が僕の開いたノートで止まった。
「魔力ゼロが、なぜ書くんだい?」
問い方は穏やかで責めるところがない。
ただ、見定めようとする熱だけがあった。
クレウスの街道ではひと目で僕を片づけて去った子だ。
それが今日は答えを聞くまで目を離さない。
「忘れるので」
「忘れる?」
「見たことを。書いておかないと、次に使えないので」
その子は黙った。
それから僕のノートをもう一度見た。
「キミは勝てない相手のことも書くのかい?」
「勝ち負けは考えていません」
「……ふうん」
ふうん、と言いながら、その子の目はふうんで終わっていなかった。
魔力もなく、前にも出ず、声だけで戦いの真ん中にいた人間だ。
勝ち負けを抜きに戦う、そんな相手を初めて見た。
帽子の影の奥が、そう言っていた。
この子にとって戦いはきっと勝つか負けるかでできている。
その物差しの外でただ数を数えている人間がいる。
それが面白いのか薄気味悪いのか、僕にはまだ読めなかった。
もう一人の年上の男は、一歩離れたところで口を挟まずに見ていた。
討伐のあいだ、杖を抜く場面は一度もなかった。
抜かずに済む位置に最初から立っていただけだ。
その男の視線が、僕のノートを一度だけなぞった。
声をかけてくるかと思ったが男は黙ったままだ。
見たものを胸の内で確かめる、そんな目つきだった。
「ナギ、行くぞ」
年上の男が短く呼んだ。
帽子の子が背を向ける。
去り際、その子は振り返らずに言った。
「魔力ゼロが何を書くのか。ボクは少し気になるよ」
背を向ける時、その子の目が一度だけマルセルの方をかすめた。
気のせいかと思うほど短く。
そのときマルセルも、ふっと視線を外した。
二人のあいだに何があったのか、僕には読めなかった。
二人はまた、人の流れに紛れて消えた。
ナギ。
街道で名前だけ持ち帰った相手と、今日は二言三言を交わした。
持ち帰るものが、また一つ増えた。
マルセルは、二人が人混みに消えるまで背中を見送っていた。
一度だけ口の中で何か言ったが、僕には聞こえない。
聞こえなくても、それが問いの形をしていたのは分かった。
誰に向けた問いかは、たぶんマルセル自身もまだ知らない。
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帰り道、セナが横で言った。
「あの子、リクのこと覚えてたね」
「うん」
「リクのノート、ずっと見てた」
「うん」
セナはそれ以上聞かなかった。
聞かない代わりに剣を握っていた手を一度だけ開いて閉じた。
強い側にいたはずのセナが、今日は黙って前だけを見ていた。
宿に戻ってからノートの今日のページを見直した。
群れの抜き方。初動の速さ。崩れた斜面。交わした短い言葉。
書けることはひととおり書いた。
ただ一つだけ、どの行にも収まらないものが残った。
「なぜ書く」と聞かれて僕は「忘れるので」と答えた。
それは本当だ。
でもそれだけだろうか。
勝てない相手のことも書くのか、とあの子は聞いた。
勝ち負けは考えていない、と僕は答えた。
二つの問いが、なぜか頭の隅でつながらないまま、夜のあいだ転がっていた。
答えが出ないものはいつもなら空欄のまま書いておく。
それなのに今夜は空欄の場所さえ、まだ見つけられずにいた。




