第30話「東への街道」
冬の入り口にクレウス行きの長期依頼が入った。
行商隊の護衛だ。往復で半月。報酬は並みの依頼の何倍にもなる。
冬は道が閉じる前の駆け込みで荷の動きが増える。そのぶん長くて割のいい依頼が出回る。
マルセルが受けると決めて、僕たちもついていくことになった。
セナがEランクの正式メンバーで、僕はその相棒。エマとユルも揃ってパーティ全員での仕事だ。
東への街道は初めてではない。
前の冬にも同じようにクレウス行きの隊商についていった。
あのときはまだ見習いで、できたのは荷物持ちと見張りくらい。
隊列の端を転ばないようについていくので精一杯だった。
道の風景は覚えている。真ん中あたりの宿場。川を渡る木の橋。クレウスの城壁が見えてくる最後の丘。
ただ歩く立場が違う。前は数のうちに入っていなかった。今度は護衛の一人として名前が書かれている。
出発の朝、僕はノートに前回のことを書き写しておいた。
どの宿場で何泊したか。どの坂で荷が崩れかけたか。魔物がどのあたりで出たか。
それから前にマルセルが「時間がない」と言って回れなかった薬師のこと。今度こそクレウスで薬師を回りたい。
地脈調整剤のことをテルナの薬師より詳しく知っている人がいるかもしれない。母さんの病の根っこの話を。
口には出さなかった。でもノートの隅に小さくそう書いておいた。
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荷が馬車に積まれていく。御者が手綱を確かめ、商人が荷の数を読み上げる。
僕はその数を頭の中で一緒に数えた。
癖だ。数えておけば途中で何かが減ったときにすぐ気づく。
セナは荷馬車の脇でエマと何か話して笑っていた。この隊列にすっかり馴染んでいる。
マルセルは商隊の頭と短く言葉を交わしてから先頭の馬の横についた。
出発の合図がかかる。半月の道がまた始まった。
隊商は荷馬車が六台。護衛は僕たちのほかにもう一組いた。
雇われの二人組だ。まとめ役は顎に古い傷のある男で、年季の入った革鎧を着ている。
道中の段取りはその傷の男が仕切った。
休憩の場所も隊列の順番も夜営の見張りの組み方も、すべてその人が決める。
僕は黙って従いながら頭の中でいつもの確認を回していた。荷の偏り。馬の脚。道の傾き。雲の流れ。
口を出す立場ではない。ここでは新顔の、しかも相棒の子供だ。
一日目の夕方、街道沿いの集落に着いた。
前の冬にも泊まった集落だ。商隊で通るぶん、空家ではなく村の宿屋に通される。
二段ベッドの詰まった狭い部屋に男女別で割り振られた。
道中、エマは弓のつるの張り替えを教えてくれた。
ユルは街道沿いに生える薬草の見分け方を、歩きながら話してくれる。
僕は聞いたことを片端からノートに書いた。この半月は、僕にとって動く教室のようなものだ。
二日目の昼に長い上り坂へさしかかった。
三台目の積み方を見て嫌な感じがした。
左に寄った荷がこの坂では片側に重さを集める。下りの揺れが来たら縄の結び目が保たない。
少し迷ってから傷の男に声をかけた。
「すみません。三台目の荷、左に寄ってます。坂の前で積み直した方がいいかと」
傷の男が振り返った。値踏みするような目だった。
「子供は黙ってろ。荷のことは積んだやつがいちばんわかってる」
「……はい」
引き下がるしかなかった。
僕はセナの相棒で、彼の中では数のうちに入っていない。声に重さがない。
それでも頭のどこかでは坂の途中の一点をずっと見ていた。
坂を半分ほど登ったところで三台目の荷が大きく傾いた。
縄が鳴って樽が一つ転がり落ちる。馬が驚いて足を止め、後ろの馬車もつかえた。
隊が止まり荷を積み直すのに半刻かかった。
傷の男は何も言わなかった。
ただ積み直しのあいだ、一度だけ僕の方を見た。
それからぼそりと言った。
「次から、気づいたことは先に言え」
褒めたわけではない。ただ聞く気にはなったようだ。
僕は頷いてノートに一行書いた。「進言は早く。坂の前で。」
こういうことも書いておけば次に活きる。
前の世界でも、止められて黙った後で同じことが起きた覚えがある。
あのときは誰もノートを取らなかった。
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その噂を聞いたのは二日目の夜の野営でのことだった。
街道沿いの空き地に火を起こす。夜営では火の番を割り振られて、僕は最初の見張りに就いた。
暗い街道に耳を澄ませる。風の音。馬の寝息。遠くの獣の声。テルナの周りとは夜の音が少し違う。
暗がりに目が慣れると、いろいろなものが見えてくる。荷馬車の影の落ち方。火を絶やさない薪の置き方。誰がいちばん早く眠るか。
火を囲んで隊商の若い衆が話していた。仕事の合間のとりとめのない雑談だ。
「クレウスの周りに、最近すげえのが2人いるって話だぜ」
「2人?」
「片方は魔術の天才だってよ。もう片方はなんでもこなす。剣も弓も、後ろの支えも」
「どっちが上なんだ」
「さあな。どっちもまだ若いって話だ。俺たちと変わらねえ歳だとよ」
「へえ。会ってみてえもんだな」
僕は手を止めてそれを聞いていた。
若いのが2人。歳は僕やセナと変わらない。
テルナの食堂でも似た話を小耳に挟んだ。あの夜の声といま聞いた話が頭の中で同じ形になる。
ノートを開いて聞いたことをそのまま書いた。確かなことは何もない。ただ覚えておくだけだ。
「リク、また書いてる」
セナが毛布を肩にかけて横から覗き込んでくる。
「気になることがあったから」
「すごいね、その2人」
「まだ会ってもいないよ」
「でもリク、いまちょっと書く手が早かった」
そうだったかもしれない。自分では気づかなかった。
焚き火の向こうでマルセルが何も言わずに火を見ていた。杯を持つ手がいつもより遅い。
クレウスが近づくほど、この人は口数が減っていく。
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三日目は昼に真ん中の宿場で短い休みを取っただけで、その夜はまた野営だった。
何事もなく街道は過ぎ、空が日に日に低くなった。
魔物が出たのは四日目の朝だった。
街道脇の藪が揺れて中型の獣が三体、転がるように出てきた。
痩せて毛が逆立っている。冬が近いと餌を探して街道まで下りてくる。
「来るぞ。隊を止めろ」
マルセルが剣を抜いた。エマが荷馬車の屋根に登って弓を構える。ユルが御者の後ろで杖を握った。
御者たちが馬を宥め商人が荷の陰にしゃがむ。隊の動きには無駄がない。何度も同じ場面をくぐってきた者たちの動きだ。
僕は馬車の列と獣の来る向きを同時に見た。
一体が右の藪から。二体が正面の坂を下ってくる。
右の一体がいちばん速い。脚の運びに迷いがない。正面の二体はまだ間合いを測っている。
「セナ、右! 正面は二呼吸あとに来る!」
セナが応えた。
これまでならここで拘束魔法の淡い光の輪が出る。獣の足を止めてマルセルが踏み込む。それがいつもの形だ。
でも今日は違った。
セナの杖の先で光が一点に固まった。拘束のときの広がる膜ではない。芯のある鋭い光だ。
それが右の獣の前脚を正面から撃った。
鈍い音がして獣が前のめりに崩れる。立ち上がろうとして、もう脚が動かない。
「……攻撃魔法」
思わず呟いた。
Eランクに昇格してからセナは拘束だけでなくこういう撃ち方もするようになった。
村にいた頃のセナは剣と拘束だけだった。守るための魔法しか使わなかった。それがいまは自分から前を撃つ。
僕が横で見ているあいだに、セナは確かに一歩ずつ前へ進んでいる。少し置いていかれそうな気もした。でも悪い気はしなかった。
正面の二体は僕が読んだ通り、二呼吸遅れて来た。
セナが右を撃ち落とすあいだにマルセルとエマが正面へ構え直す。その二呼吸がすべてを決めた。
マルセルが一体目の懐へ踏み込み、剣の腹で横面を張る。獣がよろけたところへエマの矢が首筋を抜いた。
残る一体はユルの足元の光に脚を取られて鈍る。そこへマルセルが回り込んでとどめを刺した。
誰も慌てていない。一体ずつ、順番に片付いていく。
僕は隊商の馬が暴れないよう列の脇に立って向きだけを声にしていた。
どの馬が怯えているか。どこへ逃げ場を空けておくか。
「ユル、左の馬! 綱が切れます!」
声を投げると、ユルが振り向かないまま杖を振った。光の縄が暴れる馬の脚先で弾けて、馬が前のめりをやめる。
攻撃には加われない。代わりに誰がどこを見ればいいかを半拍早く言う。それが僕にできることだ。
獣が三体とも片付くまで三分もかからなかった。
セナが息を整えながらこちらを見た。
「いまの右って声、助かった」
「見えてただけだよ」
「それが助かるんだって」
短いやりとりだけ交わして、セナはすぐに荷の点検に戻る。
僕は隊列の脇で転がった樽の位置と馬の落ち着きを確かめた。
攻撃には入れなくても、やることはいくらでもある。
傷の男が今度はこちらを見て小さく頷いた。
昼の坂のときとは少し違う頷き方だった。
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クレウス手前の宿場に着いたのは四日目の夕方だった。
前にも泊まった宿だ。屋根の傾きも、土間の匂いも覚えている。
ここの寝床の固さも、前の冬のままだった。変わらないものもある。
夕飯のあと、僕は宿の親父に尋ねてみた。
「クレウスで、変わった病に詳しい薬師を知りませんか」
「薬師ならいくらでもいるが、変わった病ってのは当たってみないとなあ」
親父は土間の竈をかき混ぜながら少し考えた。
それから、思い出したように付け足した。
「強いて言や、西の区に年寄りの薬師がいる。珍しい病ばかり診てるって噂だ。古い書物をしこたま抱えてるとか」
名前までは聞き出せなかった。それでもテルナでは、尋ねる相手すらいなかった。手がかりが一つあるだけで一歩だ。
隣でセナが「リク、もう薬師探し始めてる」と笑った。
「まだ着いてもいないのに」
「着いてからじゃ遅いよ。聞ける時に聞いておく」
セナは少し黙ってから、自分の寝床へ戻っていった。
マルセルはその夜も、隅で一人で飲んでいた。
前の冬、この宿でもそうしていた。あのときは気に留めなかった。
でも今は、なぜマルセルがクレウスへ行くたびに口数が減るのか少しだけ気になる。
聞いても答えないのはわかっている。だから聞かない。
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クレウスの城壁が見えてきたのは五日目の昼だった。
前に見たときと何も変わっていない。
テルナの倍はある高い壁。削った石が隙間なく噛み合っている。
門の手前で隊商が一度止まる。
門番が荷を検め、通行の札を確かめる。その間、僕は壁を見上げていた。
城壁の上を見張りの兵が歩いている。旗が風に鳴る。
門の内側からはテルナでは聞いたことのない量の人の声と荷車の音が、鐘の響きに混じって流れてきた。
大きな街だ。前に来たときもこの音の壁に気圧された。
ただ今度は頭の中が違う。
薬師を回る。前は時間がなくて諦めた。今度こそ、母さんの病の根っこの話を聞く。
それからあの噂の2人のこと。子供みたいな歳で腕が立つという。
会うとも思っていない。ただこの街のどこかに、近い歳の誰かがいる。
それだけのことが妙に引っかかった。
セナが隣で大きく背伸びをした。
「着いたね。半月の半分」
「うん」
「リク、なんか考えごと?」
「……薬師のこと」
セナが少しだけ表情を変えて、それから前を向いた。
「絶対、回ろう。今度は」
その声に迷いはなかった。
僕は頷いた。
ここからが半月の道の本当の用事だ。薬師を回って、母さんに書ける何かを一つでも持って帰る。
そう心のなかで決めていた。出発の朝にノートの隅へ書いた一行がいつもより重く感じる。
マルセルは門を見上げて何も言わない。
祝いの夜に見せた緩んだ顔は、もうどこにもない。
クレウスの門の前で、この人は決まって何かを飲み込む。
僕がどれだけ数えても、その答えだけは出てこない。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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