閑話③「受付台の内側」
ギルドの戸が開いて閉まる音を、あたしは1日に何十回も聞く。
朝は依頼に出ていく音。夕方は帰ってくる音。
帰ってこない音は聞こえない。だから受付台の内側に座っていると、出ていった数と帰ってきた数が合わない日に嫌でも気づく。
合わない日は台帳の隅に1本だけ線を引く。線の意味は新人には教えない。どうせいつか自分で知る。
陽が落ちて依頼に出ていた連中もあらかた戻ってきた。
広間の長椅子は半分が空いて残りで誰かが今日の取り分を数えている。
あたしは台の上のランプを少し近くに寄せた。
1日の終わりは台帳の付け合わせで締める。それがあたしの仕事の終い方だ。
この受付台の内側に立って7年になる。
7年も座っていると戸を押す音だけで、そいつがどのくらい続くかなんとなく分かるようになった。
威勢のいい音を立てて入ってくる駆け出しほど早く来なくなる。
半年もすれば顔ぶれの半分は入れ替わる。それがこの商売の常だ。
半年前、戸を押して入ってきた2人組がいた。
片方は15になるかならないかの娘でもう片方はもっと幼く見える男の子だった。
男の子の顔に見覚えがあった。正確には顔そのものじゃない。目の落ち着き方と口の結び方が、兄さんの——ガレンのものだった。
「……あんた、ガレンの子か」
そう聞いたら男の子は目を丸くして「叔母さん?」と言った。
男の子はリクだった。
あたしが村を出た頃にはまだ親の脛のあたりに頭がある背丈だったあの子が、街道を何日も歩いてうちのギルドの戸を押していた。
あの日から半年が経つ。
あの週に登録した駆け出しは、あの2人のほかに3人いた。3人とももう顔を見ない。
結局残ったのはリクとセナだけだった。
最初の数週間、古株はあの子を遠巻きに見ていた。
魔力ゼロの冒険者なんてあたしも受付に座って初めて見た。
台帳の適性欄に0と書く時、ペン先が一瞬だけ止まったのを覚えている。
ガランあたりは面と向かって「ゼロのガキが」と言った。
ただ、あれは口は悪いが悪い奴じゃない。悪い奴なら最初から相手にしない。
それが、気づけば誰もあの子の適性欄を気にしなくなった。
リクが何か派手なことをしたわけじゃない。ただ、あの子たちは出ていった数と帰ってきた数が毎回きれいに合う。
雑用は丁寧で依頼の前には必ず地図を見て、帰ってくると報告の順序が揃っている。
いつだったか、依頼書の刷り間違いをあの子に指摘されたことがある。
報酬の桁がひとつ多く刷られた紙をリクが受付に持ってきて「これ、たぶん間違いです」と言った。
あたしも気づいてはいたが、駆け出しの方から先に言われたのは7年で初めてだ。
礼を言ったらあの子は「普通、確認するので」と言って軽く首をかしげた。そんな顔でそんなことを言う。
あんたのその当たり前は受付台の内側から見てもだいぶ当たり前じゃないよ。あたしは口に出さずにそう思った。
いつの間にか古株の1人があの子のやり方を真似していた。地図に印をつける癖だの、出発前に道順を確かめる癖だの。
あの子本人は気づいていない。たぶん死ぬまで気づかない。自分が普通だと思ってやっていることが、周りには普通に見えていないということに。
その古株がマルセルだ。
マルセルだって最初はうちの戸を蹴破る勢いで入ってきた駆け出しだった。威勢のいい音を立てる方。
半分が消えていく側じゃなく残る側に回ったのは、あいつが存外しぶといからだ。
しぶとい奴はたいてい口より続ける力の方が強い。
あの2人をマルセルに押しつけたのは、ただの思いつきだった。
ちょうど通りかかって暇そうだったから「見習いの推薦人」を押し付けた。あいつは黙ってその晩のうちにサインしていた。
後日こっちが一杯奢って「面倒見てやんな」と言った時は「ガキの面倒なんか」と渋ってたくせに、それから2人にそれとなく気をかけている。
それで分かった。あいつはこの2人を放っておかない。
今日、マルセルがその2人を自分のパーティに入れた。
セナがEランクに昇格した少し後にマルセルから相談してきた時は流石に少し驚いたが、Dランクの依頼について来れるなら問題はないだろう。
あいつがどういうつもりなのか、あたしは聞かない。聞いても言わないし、言わせるものでもない。
マルセルにはマルセルの抱えているものがある。それは台帳に書く類いのことじゃない。
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受付台の引き出しにあの2人専用の冊子をしまってある。
冬の入口に綴じた時は薄っぺらだったのが、半年で指の節ひとつぶん厚くなった。
依頼の数。報酬の額。同行の記録。セナが冒険者になった日とEランクになった日。受け取った薬の控えも最初の1回分だけそこに挟んである。
あたしはこれをたぶん必要以上に丁寧につけている。
セナが生まれた日のことをあたしは覚えているからだ。
アーシャ姉さんがセナを産んだ時、あたしはまだ村にいた。
元冒険者の姉さんは、ヴァルドと共に依頼で何度かミルヴァ村に訪れていた。
存外ミルヴァが気に入ったのか、セナが生まれる少し前にこの村に住み着いた。
私たちくらいの年代の村の女は、あの人を姉と呼んでいたものだ。
セナが生まれたあの朝、16歳のあたしは姉さんの手をずっと握っていた。何を言ったかは、もう忘れた。
あの時の赤ん坊が今、うちのギルドでEランクの板を腰に下げている。
セナはたまに依頼の帰りに受付台の前で足を止める。用があるわけじゃない。
アーシャ姉さんには言いにくい小さなことを、ぽつりと置いていくだけだ。
母親に全部は言えない年頃になった、それだけのことだ。
エラとは同い年で、私と同じようにアーシャ姉さんを慕っていた。
あの子の病がこれ以上重くならないうちに一度くらい顔を見に帰りたい。
受付の非番と運び屋の便はなかなか噛み合わないけれど。
リクの薬の手配を続けているのは、半分はエラのためで半分はあたしのためかもしれない。
あたしも昔、村を出た側だ。
出た理由はもうわざわざ思い出さない。ただ、出てきてこの町の受付台に立って、気づいたらここがあたしの居場所になっていた。
帰る場所が村から町に変わるのに、何年もかからない。
リクとセナももうそうなりつつある。
あの2人はそのうちあたしの伝手がなくても薬を買えるところまで行くだろう。
「次は自分たちで買えるようになりな」と言ったのはあたしだ。
言った通りになっていくのを見ると、嬉しいような、少し寂しいような、妙な心持ちになる。
受付の人間が駆け出しに手を貸すのは最初のうちだけでいい。手を貸し続けるのは、本当は手を貸していないのと同じだ。
あたしの出る幕も、そろそろ畳む頃合いらしい。
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明日の朝、西の街道の運び屋が来る。
村に短い文を1枚託しておこう。今度のは薬の話じゃない。ただの近況だ。
二人ともちゃんとやってる。
パーティにも入った。心配いらないよ。
メシはあたしが見張ってるから、痩せさせて帰したりはしない。
兄さんは字を読むのが遅いから、ヴァルドかアーシャ姉さんに読んでもらうだろう。
ガレンのことだ。読み終わって「そうか」と一言だけ言って、また炉に戻る。
それでいい。あたしの兄さんは昔からそういう人だ。文字より先に、もう答えを決めている。
文をしまって冊子を引き出しに戻し、鍵をかけた。
ギルドの戸がまた一度開いて閉まる。
誰かが帰ってきた音だ。出ていった数とちゃんと合う音。
あたしは顔を上げていつもの声を出す。
「お帰り。メシは食ったのかい」
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第二章 了
〈第三章〉へ続く




