第27話「居場所」
セナがEランクになってから半月が過ぎた。
あの夜の翌朝、僕たちはロンを訪ね街道整備の依頼を受けた。その依頼が終わってからもEランクの依頼を何件かこなした。
隊商の護衛補助。薬草園の魔除けの立ち会い。雪解けで崩れた街道の見回り。
どの依頼もFランクの頃と比較して、要求される能力も貰える報酬も桁が違う。
宿代と食費を引いた残りがノートの隅で少しずつ高くなっていく。
Eランクの欄に貼られた依頼を自分たちのものとして眺めるのにも半月で慣れた。
受付の近くを歩く時に集まる視線の変化にも慣れた。
セナが昇格した日にはいつもより長く感じた視線はいつの間にかに戻っていた。珍しいものも半月も見れば珍しくなくなる。
屋台のおかみさんの何人かは僕たちの顔を覚えて、通るたびに「精が出るね」と声をかけてくる。半年前にはなかったやりとりだ。
セナの拘束魔法は依頼のたびに形を変えた。
Eランクの依頼で出る魔物は試験の的よりずっと速い。
セナはその速さに合わせて輪の本数を増やし、間隔を詰める。
町に来たばかりの頃に訓練場で的に輪を放っていたセナと今のセナは、同じ魔法を使う別の人みたいだ。
村を出てから半年と少しが過ぎていた。
半年でセナは見習いから始めて冒険者になり、Eランクに届いた。長いのか短いのか、僕にはまだうまく測れない。
ただ朝起きて宿の戸を開けるのも広場の屋台の湯気の数を数えるのも、もう町に来た頃のような身構え方はしなくなっていた。
---
その日も依頼の報告にギルドへ寄った。
受付でルナ叔母さんへの報告を済ませて掲示板の前で次の依頼を眺めていると、後ろで戸が開いた。
革の胸当ての擦り傷の位置で、振り返る前に誰か分かる。
「よう、ガキども」
マルセルだ。
セナが振り返る。マルセルの視線はいつもなら一度は僕たちの腰のプレートへ落ちる。
今日はそこへ行かなかった。まっすぐ僕たちの顔を見てそれから言った。
「単発だ。来るか」
「単発」
「Dランクの討伐だ。岩場に中型が湧いた。エマとユルもいる。人手が足りん」
セナが僕を見た。僕もセナを見返す。マルセルがDランクの依頼を誘ってきたのは初めてだ。
今まで臨時パーティで誘ってくれた依頼は全てEランクの依頼で、その中では難度が高いものだがあくまでEランクの依頼だ。
マルセルが何を考えているのかは読めない。Eの依頼で僕たちの動きを何度か見て、そろそろ上で試してもいいと思ったのかもしれない。
理由を聞いたところで「うるさい」で終わるのは分かっていた。
「なんで私たちに」
「うるさい。手が足りんと言ってるだろ」
セナの口が一度動いて止まった。
出かかったのが何だったのかは分からない。ただ、断る言葉ではなかった。
掲示板の近くで別のパーティの男が僕の腰のプレートをちらりと見た。
「Dの討伐に、ゼロのガキを連れてくのか」
聞こえよがしの声、慣れた言われ方だ。
村で適性をゼロと告げられた日からずっと耳にしてきた種類の言葉だった。
腹は立たない。事実の一面ではある。
マルセルも何も言わない。ただ、少し立ち止まりその男を睨みつけた。
それで終わった。男はそれ以上は言わなかった。
宿に戻った夜、僕は机に地図を広げた。
岩場までの道順。水場の位置。岩場そのものの地形。崩れやすい斜面と退路になりそうな隘路に印をつける。村にいた頃から変わらない手順だ。
明日使うかもしれないし使わないかもしれない。それでも調べておく。父さんがナイフを研いでくれた時とたぶん同じだ。
手を動かしておけば、いざという時に体が迷わない。
---
岩場に着いたのは翌日の昼前。
灰色の岩が積み重なった斜面に魔物の通った跡が点々と残っている。爪で削れた岩の傷と、乾いた糞。
マルセルがその跡をしばらく見て「思ったより多いな」と低く言った。
僕は地図を出して現在地と裂け目の位置を指で確かめた。
岩場は思っていたより入り組んでいる。人の背丈の倍はある岩がいくつも転がっていて、風がそのあいだを低く鳴らしていた。
魔物が身を隠せる場所はいくらでもある。昨夜の印が役に立ちそうだ。
マルセルが先頭で剣を抜く。エマさんが手近な岩の上に登って弓を構えた。ユルさんは後ろで杖を握る。
「セナ、いつもの拘束でいい。リクは下がって全体を見てろ」
「はい」
岩陰から中型の魔物が出てきた。4本足で背に硬い甲を負っている。数は3体。
セナの杖が動いた。1体目の足元に光の輪が走ってその場に縫い止める。
輪は5本。昇格試験で見た時より巻き取る速さが上がっていた。
マルセルが踏み込んで止まった1体の首を落とす。
エマさんの矢が2体目の目を射抜いた。
ユルさんの治癒の光がマルセルの肩を一度撫でて、浅い傷が塞がる。
3体目はセナの正面から来た。
セナが半歩右に動いて杖を払う。魔物が走り出す前に前脚を光の輪で絡め取った。
動けない魔物を一瞥すると、マルセルがその首を落とした。
連携は滑らかだった。
村で的に輪を放っていたセナが、今は生きた魔物を相手に同じことをしている。
僕は岩陰から全体に目を配っていた。マルセルの剣がどこを狙うか。エマさんの矢がどの間合いで飛ぶか。ユルさんの治癒がどちらを選ぶか。
村にいた頃から僕は試される側じゃなかった。いつも見ている側だった。そのうちに誰が次にどう動くかが少しずつ読めてくる。
3体の討伐を終えマルセルたちが警戒を解き始めている。
だが、僕の中では何か違和感があった。
地図の印。岩の傷。3体ぶんにしては多すぎる爪痕。奥からまだ薄まらない獣の匂い。
数が合っていない。
「まだだ、まだいる!」
気がついたら僕は叫んでいた。
僕の声に、マルセルが解きかけた構えを戻した。間を置かず、岩陰の奥から新しい魔物が現れた。
1体、2体——数えるうちに最初の倍になった。巣がこの岩場の奥にあったのだ。
6体が散開した。
狭い足場でマルセルとエマさんが左右に分かれる。ユルさんの治癒の光は一度に片方しか届かない。
セナの拘束は1体ずつだ。数で来られると縫い止める先から次が抜けてくる。1体縛れば横から2体。そちらを縛れば後ろから3体目。
「セナ、無理に全部追うな!」マルセルの声が岩に跳ねた。
セナの息が浅い。杖の先が追いきれない方向へ何度も振られている。
ユルさんがマルセルの方へ走った。エマさんの矢を継ぐ手が間に合わない。このままだと誰かが一人になる。一人になった所を囲まれるのが岩場ではいちばんまずい。
僕は岩場の形を見ていた。
昨夜、地図に印をつけた場所だ。岩と岩の間が狭くなって一頭ずつしか抜けられない裂け目がある。斜面の崩れた先の、行き止まりに近い窪み。
あそこに魔物を寄せれば6体が一列になる。一列ならセナの拘束は1体ずつでも間に合う。横からも後ろからも来ない。
「セナ!」
声を出していい。今日は観覧席じゃない。あの試験の日、僕には手の置き場所しかなかった。今日は声がある。
「右の裂け目の手前に壁を! 魔物の道をそこ一本に絞れ!」
セナが裂け目の手前に薄い光の壁を立てた。
魔物の進路が片側から塞がれて、開いた道は裂け目の一本だけになる。
「エマさん、左を! そっちのやつを裂け目の方へ!」
僕は岩の上のエマさんにも声を投げた。矢が魔物の鼻先を掠めて向きを変えさせる。マルセルが反対側から押し込んだ。剣の腹で叩いて、刺さずに追うだけの動きだ。
6体が裂け目に向かって細く伸びていく。先頭の一頭が壁にぶつかって向きを変えた。続く一頭がその尻を追う。岩の裂け目が魔物を一本の線に通していく。ここで止められなければ次の手はない。
セナの杖が大きく払われた。
一列になった魔物の足元に光の輪が次々に走る。1体、2体、3体——裂け目の中で来た順番に縫い止められていく。
一列なら、間に合う。
最後の1体まで輪が回った時、セナの肩が大きく上下した。止まった6体をマルセルが端から斬り伏せていく。最後の1体が倒れて岩場が静かになった。
風が岩のあいだを抜けて血と土の匂いを散らす。
セナが杖を下ろして息を整えている。エマさんが岩の上で「ふう」と短く息を吐いた。
6体を誰一人欠けずに片付けた。下がって全体を見ていろと言われた相棒の声が、その中で少しは役に立ったのかもしれない。
マルセルが剣を布で拭きながら僕の方を見た。
「お前、あの裂け目、いつ見つけた」
「昨夜です。地図に、崩れやすい斜面と退路になりそうな場所の印をつけたので」
「行く前に、か」
「はい。普通に、準備で」
マルセルは布を動かす手を止めた。
しばらく僕を見て、それから「ふうん」と言って剣を鞘に戻す。
エマさんが岩を下りてきて僕の肩を一度叩いた。
「あんた、普通って言葉、辞書で引き直した方がいいよ」
ユルさんが後ろで穏やかに笑っている。
「岩場の形まで覚えてくる補助は初めて見ました」
褒められているのか呆れられているのか、僕にはうまく分けられなかった。たぶん、両方なのだと思う。
掲示板の前でゼロのガキと言われたのを思い出した。今ここで同じことを言う者は誰もいない。
---
討伐の証に、ユルさんが魔物の甲を何枚か布にまとめている。
エマさんが「重いのはガキに持たせな」と笑って、僕の背に一番大きいのを乗せる。
セナが横で「ちゃっかりしてる」と小さく言った。
帰りの隊列で僕とセナは真ん中にいた。
先頭にマルセル、殿にエマさんとユルさん。
臨時で混ぜてもらうだけだった頃はいつも最後尾だった。
今日は囲まれている。
岩場を出て街道に戻り、しばらく歩いたところでマルセルが足を止めた。
「おい、ガキども」
そう言うと、僕とセナの方へ振り返り一言。
「うちに正式に入るか」
セナの足も止まった。
「……なんで、ですか」
「うるさい。そういう気分だ」
それ以上は言わなかった。言わないということがたぶん答えだ。
さっきの裂け目のことも、セナの拘束のことも、マルセルは一つも口にしない。
ただ誘いの言葉だけを置いてまた歩き出そうとする。
理由を並べないのがこの人の認め方なのだと思う。
隣でセナがほんの少しだけ笑った。あの岩場でも、誘いの今でも、マルセルは一度も「お前らはよくやった」とは言わない。
それでも誘いに来た。セナはたぶん、言葉よりそっちの方を信じている。
セナと目を見合わせてから、僕が頭を下げた。
「よろしくお願いします、マルセルさん」
「マルセル」
「え?」
「さんは要らねえ。敬語も」
「……わかった、マルセル」
口に出すと思ったより据わりが悪かった。
村でも町でも年上にはさんを付けて敬語で話してきた。それが急に外れると足場が一段ずれたみたいになる。隣でセナも「マルセル」と小さく言ってみて、同じように口の中で転がしていた。
エマさんが横から笑った。
「私もエマでいい。さん付けされると背中がむずがゆいんだよ」
「……わかった、エマ」
ユルさんが穏やかに続ける。
「私もユルで。仲間ですから。——敬語の方はまあ、ぼちぼちで構いませんよ」
ユルさんだけは、まだ「ユルさん」と呼んでしまいそうだった。
さん、を外すだけのことだ。
でもそれだけのことで、僕とセナはもう同行者じゃなくなった。
これまではマルセルの半歩後ろを歩いていた。今日からは横に並んで歩く。
その一歩分の差が、思っていたより大きい。
---
テルナに戻るとその足で受付に寄った。
ルナ叔母さんはもう書類を台の上に広げて待っていた。マルセルが先に話を通していたのだろう。
「パーティ登録だ。セナはEランクの正式メンバー。リクは相棒だからメンバーじゃなくて同行の扱いになる」
「はい」
「あんたらは臨時でも組んでたから知ってると思うけど、一応説明しておくよ。
パーティを組むと依頼の受注範囲はパーティ内のランク上限まで受けられるようになる。マルセルのところはDランクまでだな。
リクもセナとの同行であればマルセルたちについてDランクの依頼に参加できるよ。
まあ、パーティを組んだところで毎回全員で動くわけじゃない。お前らだけで今まで通りEランク以下の依頼を受けることもできる。
都合のつく時に集まって、大きいのを一緒にやる。マルセルのとこはそういう緩い組さ」
「ありがとうございます」
「マルセルが下のランクのやつを正式加入させるのは初めてだ。それでも入れるってんだから、まあそういうことだろ」
なぜ、とは聞かない。聞いても「うるさい」と返ってくる。
ルナ叔母さんが台帳に一行書き加えてペン先を止めた。
「で、お前ら。あいつのこと、もう呼び捨てか」
「……さんを外せと言われました」
「ふうん」
ルナ叔母さんがペン先を止めて少しだけ目元を緩めた。台帳越しの顔ではなかった。
受付の用が済むと奥のテーブルからエマが手招きした。
3人の座る場所はそれぞれ決まっていて、僕とセナの椅子だけが新しく1脚ずつ足されている。
「やっと正式に仲間か。気張んなよ、今までと大して変わんないから」
エマはそう言いながらセナの腰のEのプレートを一度見た。
口で「変わらん」と言っても目では変わったところをちゃんと見ている人だ。
マルセルが杯を置いて指を3本立てた。
「うちのやり方は3つだ。報告は俺に上げろ。危ないと思ったら下がれ、意地を張るな。それと——」
「それと?」
「飯は抜くな。腹が減ってると判断が鈍る」
エマが横で笑った。
「最後のはルナさんの受け売りだろ」
「うるさい」
ルナ叔母さんの「メシ食え」が、いつの間にかマルセルの口に移っている。長く同じ人のそばにいると口癖は移るものだ。
ユルさんが小袋から干した果実を出して、僕とセナの前に分けた。
「まあまあ、初日ですから。甘いものでも」
「ありがとう、ユル……さん」
さんが、つい出た。ユルさんは「ぼちぼちで構いませんよ」と穏やかに笑う。
セナが果実を受け取って半分を僕に寄越した。
ユルさんの分け方は人数で割って端数を自分に回す分け方で、村でアーシャさんが薬包を均す時の手つきに似ていた。
僕は果実を口に入れながらテーブルの3人を順番に見た。
マルセルが報告の受け方を決めてエマが場の温度を上げてユルさんが角を取る。3人の役割は依頼の隊列のようにもう決まっている。
見習いの頃僕はこのテーブルを遠くから見ていた。雑用の合間に奥で笑っている冒険者たちを、別の世界の人みたいに眺めていた。
今はそのテーブルに、僕とセナの椅子がある。新しく足された、2脚の椅子が。
遠くから見ていた頃には、その椅子がこんなに近くにあるとは思わなかった。
座ってみると木の硬さは普通の椅子と変わらなくて、それがなんだかおかしかった。
母さんの薬を自分たちの手で買えるようになるまでの日は遠い。
それでも今日、Dランクの依頼を一つ越えた。半年前より、半月前より、少しだけ近い。
---
その夜。
宿の2階の廊下の小さな窓から町の灯りが見えた。
部屋に戻る前に、セナがその窓の前で足を止めた。
「リク」
「ん」
「マルセル、最後まで『ガキ』だったね。正式加入を誘ってくれたときも」
セナの声は軽かった。
マルセルに何も言ってもらえなかったあの夜とは声が違う。少し笑いさえ含んでいる。
「『ガキじゃない』とは結局言ってもらえないままだ」
「うん」
「でも、もういい。それを決めるのはマルセルだから」
僕は少し驚いてセナの横顔を見た。
自分の部屋の戸の前で「まだ足りないってことかな」と言ったあの夜のセナと、今のセナがうまく重ならない。
半月のあいだに、セナの中で何かの順番が一つ進んだのだと思う。
「ここ、私たちの居場所になるのかな」
セナが窓の外を見たまま言った。
「……どうだろう」
僕は正直に答えた。
「でも、足りないかどうかはマルセルが決める」
あの夜にセナへ言ったのと同じことを、僕はもう一度言った。
「それと、ここが居場所になるかどうかは、たぶんセナ次第だ」
セナがしばらく黙ってからこちらを見た。
「じゃあ決める。ここを、私たちの居場所にする」
言い切ってから、セナは少し照れたように窓の外へ目を戻した。
「マルセルって呼ぶの、まだ慣れない」
「うん。僕も」
「でも、慣れたいと思う」
セナがそう言って小さく笑った。
その笑い方を町で見るのは初めてだった。村にいた頃のセナの笑い方だ。
窓の外では町の灯りが続いている。
村にいた頃の夜は星を数えて眠った。ここでは灯りを数えて眠る。
どちらの夜にも、隣にセナがいる。
明日からは、さんの取れた名前で仲間を呼ぶ。村を出て半年でたどり着いた、もう1つの帰る場所の呼び方だった。




