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第25話「マルセルの誘い」

3日が経った。


相棒制度の届出をした朝から3日。

Fランクの依頼を3件こなしてギルドに戻ったところで、広場の隅にマルセルの背中を見つけた。

革の胸当ての擦り傷の位置で分かる。


マルセルは僕とセナの方を見ないまま、軽く手だけ上げた。


「よう、ガキ」

「もうガキじゃないです」


セナがすぐ返した。

僕の方が顔を上げるより早かった。


「あ?」

「私、冒険者になりました」

「ほう」


マルセルが振り返りセナの腰のプレートを見た。

セナは「ふふん」といった表情をしている。


「はっ、Fランクじゃまだまだガキだな」

「……」


セナの口がもう一度動きかけて、止まった。

「絶対」と言いかけて、それを止めた。

広場の石畳の上でセナの足の運び方が一瞬だけ重くなる。


「ガキじゃないかどうかは、ランクで決まるんですか」


セナがもう一度だけ口を開いた。

普段のセナならここで引く。今日のセナは引かなかった。


マルセルは眉を片方だけ上げた。

それから口の端だけが動いた。笑った、というより認めた時の動き方をした。


「そんなことを言ってる間はしばらくガキのままだな」

「……分かりました」

「まあ、とりあえずはEを目指せ」


それで話は終わるかと思った。

だが、終わらなかった。


「で、今日はもう依頼受けたか」

「これからです」

「ちょうどいい」


マルセルが懐から1枚の依頼書を出した。折り目が3つ付いている。

たぶん朝のうちに広場で開いたり閉じたりした跡だ。


「うちで受けた単発だ」

「単発」

「明日朝、東街道沿いの魔物討伐。ウルフ系の中型が4。雪解けで巣ができた」

「中型4」

「半日で行って、戦って帰る。エマとユルも来る」


セナが横で僕を見た。僕もセナを見返した。

セナの口がまた動きかけて止まった。


「マルセルさん」

「ん」

「……なんで、私たちに」

「うっせえな」


マルセルが依頼書を一度たたみ直した。

たたむ動作が普段より丁寧だった。折り目を指で押さえる時間が長い。


「人手が足らん。俺たちと臨時を組めば、相棒のリクと合わせて依頼に参加できる」

「……相棒制度、ご存じだったんですか」

「姐さんから聞いた。臨時だろうと、パーティを組めばメンバーは俺のランクまで依頼を受けられる。相棒も含めてな」


僕はセナの方を見た。セナも僕の方を見た。

2人で1度頷いた。


「お願いします」

「お願いします」


マルセルが頷きを返した。

それから、装備の話に移った。


「ナイフ、油塗ってあるか」

「はい」

「セナの杖は」

「先端の布、外してあります」


セナの返答は短かった。


「水筒は」

「2つです」

「3つ持ってこい」

「3つ……」


僕は聞き返してしまった。


「俺、2つしか持ってない。借りるかもな」


僕は何も言わずに頷いた。

マルセルの「俺、2つしか」は嘘だった。長期依頼の往復で僕は知っている。マルセルは常に3つ持っている。

嘘の理由は、たぶん僕に余分を持たせる口実だ。

僕は「分かりました」と返した。


「明日朝、9時の鐘の後。東門集合」

「はい」

「遅れたら置いて行く」

「遅れません」


マルセルはそれだけ言って広場の方へ歩き出した。

いつもの歩幅だ。雑な広さで肩の振りも普段通り。

ただ、振り返らずに片手だけ上げた。


「セナ」


セナが顔を上げた。


「早く上がって来い」

「……はい」


それだけ言うと、マルセルの背中は広場の角に消えた。


セナはしばらく動かなかった。

腰のプレートに手を当てている。

口の中で何か言いかけて、それから止めた。


「リク」

「ん」

「『早く来い』って言われた」

「うん」


セナの声がいつもより小さかった。


「マルセルさんに言われたの、初めて」

「うん」


セナの目が広場の角の方をもう一度見ていた。

マルセルはもう見えない。

だが、セナの目はしばらく同じ方向を向いていた。


---


翌朝、東門。


9時の鐘の前に着いた。マルセルはすでに来ていた。

エマさんとユルさんもいる。


「来たな、ガキども」

エマさんがそう言って軽く手を上げた。

セナはそれに小さく頷いた。エマさんに対しては「ガキ」を訂正しなかった。


「おはようございます」

「ども」

「おはようございます」


ユルさんが帽子のつばを軽く下げて挨拶を返した。


マルセルが僕とセナの装備を端から端まで一度見た。

セナの杖、僕のナイフ、水筒3つ、毛布、油紙の干し肉。

視線が水筒のところで一瞬止まって、それからすぐに動いた。


「行くぞ」


東街道に出る。


街道の両側はまだ雪の名残りがあった。地面はすでに乾いていて、馬車の轍が薄く残っている。

春の朝の空気は冷たさと湿りが半々で、長期依頼の往路の朝と少し似ていた。


マルセルが先頭。エマさんとユルさんがその後ろ。僕とセナは最後尾だ。


「マルセルさん」

セナが小声で言った。


「ん」

「魔物の巣の位置、地図にあります?」

「ある」


マルセルは懐から地図を1枚出した。

僕はそれを横から覗き込む。

折り目の付き方は長期依頼の復路の宿で膝の上に広げていた地図と同じだった。


「巣はここだ」

マルセルが指で1点を押さえた。

「東街道から脇道に入って半時間ほど。雪が解けたばかりで草はまだ薄い。見通しは効く」


セナが頷くと、マルセルは地図を畳んで懐に戻した。

畳む動作は雑だったが、押し込む前に1度だけ折り目を直していた。

長期依頼の宿でも見た動きだ。


巣の手前でエマさんが先に止まった。

弓を背中から外して片手で握り直す。


「3体見えてる。1体は奥にいる」

ユルさんが横で杖を構えた。

マルセルが剣を抜く。


「お前ら、馬車の代わりがないからな。後ろに下がれ」

「はい」


僕とセナは脇道の岩の陰に下がった。

セナが杖を構える。先端の布は外してきていた。


「セナ」

「うん」

「拘束、馬車の往路と同じ形で」

「うん。複数いけると思う」


セナが息を一度短く吐いた。

冬の終盤にロンと組んだ討伐から3週間。あの時の拘束は3本から始まって5本まで増えた。今朝のセナの息の吐き方は、あの時より落ち着いていた。


茂みから1体目が出た。

マルセルが半歩横にずれて剣を払う。1体目が地面に倒れる。


2体目はエマさんの矢が首を射抜いた。

矢の角度が水平より少しだけ下。耳の付け根を狙ったのだろう。

村でアーシャさんが鹿を捌く時に教えた角度に近い。


3体目が僕とセナの方へ来た。


「セナ」

「うん」


セナの杖が前に出た。

3体目の足元に光の輪が走る。1本、2本、3本——4本目で3体目の前脚が止まった。

あの時より輪の間隔が狭い。


ユルさんが横から動いた。

杖の先で空中に短く線を引く。3体目とセナの間に薄い光の壁が立った。

あの壁を見るのは初めてだった。


「下がってろ」

ユルさんが短く言った。


セナが拘束を保ったまま半歩下がった。

僕も下がった。


マルセルが3体目に向かって走る。

拘束で動けない3体目の喉に剣が入った。3体目が崩れる。


4体目が奥から出た。

エマさんの矢がもう1本飛んだ。今度は腹を狙った。深い傷ではないが足が鈍る。

マルセルが2撃目を入れて4体目が倒れた。


4体とも動かなくなった。


「終わりだな」

マルセルが息を整えながら言った。

肩の擦り傷から血は出ていない。革の傷だけだった。


ユルさんが光の壁を消した。

エマさんが弓を背中に戻した。


マルセルが剣を布で拭きながら、僕とセナの方を見た。

視線が止まる時間がいつもより長かった。

僕を見ているのか、セナを見ているのか、火の中で見た時と同じで輪郭が判別できなかった。


「リク」

「はい」

「投擲、今日は要らなかったな」

「はい」


マルセルが布を一度止めた。


「次は要るかもしれん」

「分かりました」


マルセルが視線を外した。

セナが横で杖を下ろした。

拘束の輪はもう消えていた。


エマさんが弓を片手で弾いた。


「あんたら、思ったよりやるな」

「セナの拘束が効きました」

「セナだけじゃないだろ。お前、よく見てたな。マルセルとユルの動き方」

「……普通に見てました」

「普通な」


エマさんが薄く笑った。

笑い方はマルセルの「普通な」と少し似ていた。たぶん長く一緒にいた人の癖は混じるのだろう。


ユルさんが横で会釈した。

「真面目だな」

「……はい」

「真面目に動くのが一番だ。冒険者は雑な奴が早く死ぬ」


ユルさんがそれだけ言って自分の杖を布で拭き始めた。

拭く動作は丁寧で、目盛りのように回数を数えていた。3往復で1区切り。区切りが終わるとまた3往復。


セナが横でそれを見ていた。

セナの目の追い方が、村でアーシャさんの薬箱の蓋を見ていた時と似ていた。


帰路、街道に戻ってからエマさんが僕の隣を歩いていた。


「お前、村にいた頃から親父さんの仕事見てたんだろ」

「鍛冶場のことですか」

「ああ。鎚の振り方、刃の角度、油の塗り方。あれ、戦闘の動きと似てる部分がある」

「……」


僕はエマさんの横顔を見た。エマさんは前を向いていた。


「鎚の振り終わりの角度と、剣の振り終わりの角度。同じ重さの止め方をする」

「父さんは剣を振らないです」

「振らなくても、振り終わりは同じだ。重さを止めるって型は1つしかない」


エマさんがそれだけ言って、また弓の弦を指で1度弾いた。

考える時の癖だ、と前にマルセルが言っていた。


僕は何も返さずに歩いた。

父さんが鎚を止める時の動きは確かに体に残っている。鍛冶場で何度も見ていた角度だ。

ただ、それを戦闘の動きとして自分の中で繋いだことはなかった。

エマさんに言われて初めて繋がった。


後でノートに1行書こう。

「父さん/鎚の止め方/剣の振り終わり」


書いておけば、次の依頼で動きが少し早くなるかもしれない。


---


夕の鐘の前にテルナの東門を通った。

衛兵がマルセルに「おう」と片手を上げ、マルセルが「ああ」と返した。


ギルドの受付でルナ叔母さんが台帳を開いている。


「お帰り」

「ども」

「単発、出てたのか」

「マルセルが声をかけました」

「あいつもたまにはな」


ルナ叔母さんが台帳に1行書き込んだ。

僕とセナの専用の冊子の方にも、ペン先が走る。


「ガキ2人、Eランクの依頼は初か」

「相棒制度で同行扱いです」

「分かってる。実績に加算しといた」


ルナ叔母さんが冊子を閉じる前に、もう1度だけセナの方を見た。


「セナ」

「はい」

「マルセルが何か言ってなかったか」

「……『早く上がって来い』って」

「ふうん」


ルナ叔母さんが片方の口の端だけを上げた。

業務の顔ではなく、叔母の方の顔。


「あいつにそれを言わせたのか」

「言わせた覚えはないです」

「言わせたんだよ。あんたが」


セナが何か言いそうな口の動きをして、結局何も言わなかった。

腰のプレートに手を当てる動作だけが残った。


マルセルはもう奥の方へ消えていた。

エマさんとユルさんも報告を済ませて、それぞれ帰っていった。


---


宿に戻った夜、机にノートを開いた。


書いた行は3つだった。


マルセルパーティ・単発1回

父さん/鎚の止め方/剣の振り終わり

Eまで/早く


3つ並べてから、線を1本引いて区切った。

線の上が今日の出来事で、線の下が次への持ち越しだ。


セナが廊下の戸を1度叩いた。

「リクだけど」と言うのは僕の癖で、セナは名乗らずに叩く。


「うん。入って」


セナが机の脇に立って僕のノートを覗いた。

それから自分の鞄から自分のノートを出した。


セナのノートの最新ページにも3行書かれていた。

1行目が同じ。「マルセルパーティ・単発1回」。

2行目はセナの言葉だった。「ユルさんの杖/3往復で1区切り」。

3行目は短かった。「Eまで/私の番」。


「同じ1行目」

「うん」

「2行目と3行目は、それぞれだね」

セナが自分のノートを閉じた。1行目だけが揃って、あとはそれぞれの言葉だった。


セナが少し笑った。

町に来てからはあまり見ていない、村にいた頃の笑い方。


「リク」

「ん」

「私、Eになるよ。最短距離で」

「うん」


セナが少し言葉を切った。机のノートに目を落としてから、もう一度僕の方を見た。


「……『絶対』とは、まだ言わない」

「うん」


セナはそれだけ言って、廊下の向こうの自分の部屋に戻った。

1メートル半の廊下を挟んで戸が閉まる音がした。


机のノートに僕はもう1行書き足した。


セナの3行目/私の番


書いてからランプを少し小さくした。

窓の外で春の風が宿の窓を一度撫でた。

冬の入口の風よりも柔らかい音。


御守りに手を当てる。

布の温度は宿の部屋の温度に並んでいた。

今夜の御守りは静かだった。


明日は普通の朝が来る。

マルセルの「早く上がって来い」は、僕にも届いていた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。


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