表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
24/95

第21話「長期依頼(後)」

5日目の昼、クレウスの城門を通った。


門の高さがテルナの倍ある。石の積み方が違う。

テルナの城門は粗く積んだ石を漆喰で繋いだ作りだったが、クレウスの石は端が削られて噛み合っていた。

門の内側で衛兵が商隊の鑑札を確かめ、印を押して通した。


門を抜けると広場が開けた。

人の数がテルナの広場の3倍はある。

商人の声、馬の足音、荷車の車輪、子どもの泣き声、それから複数の言葉。

東街道沿いの町だから他の地方から流れてくる訛りも混じっている。


セナが横で「すごい」と1度だけ言った。

僕も同じだった。言葉が追いつかない時は無理に並べないのは村の頃からだ。


マルセルが商人の年嵩の方と短く話した。

それから僕とセナの方を見た。


「宿、決まったぞ」

「はい」

「東門の方の宿だ。広場の真ん中じゃない」

「分かりました」

「ここで2泊して、商人と一緒に積み下ろし手伝って、帰りの便で戻る」

「はい」

「俺、知り合いに会いたくないから、宿は端の方で」


最後の一言だけ、いつもより早口だった。

セナが横で僕を見た。僕もセナを見返す。

マルセルが既に背を向けていて、東門の方へ歩き出していた。

歩幅が普段より広い。早足というほどではないが足の運びに余白がない。


「行こう」

「うん」


僕とセナはマルセルの背中を追って広場を抜けた。

広場の真ん中で道化師らしき格好の男が玉を投げて遊んでいた。子どもが3人、その周りで笑っている。

マルセルはそちらを見なかった。


---


東門近くの宿は2階建てで看板の文字が半分かすれていた。


主人は無口な中年でマルセルが鑑札を見せると黙って鍵を3つ出した。

1階の奥に女部屋、2階に男部屋。


マルセルが鍵を分けた。男部屋の鍵をユルさんに女部屋の鍵をエマさんにそれから僕にも1つ。

「夕方まで自由にしろ」

「はい」

「広場の方には行くな。賑やかすぎて迷う」

「分かりました」

「夕飯は宿の食堂で。19時、夕の鐘の後だ」

「はい」


マルセルはそれだけ言って、自分は2階に上がっていった。

階段の鳴る音がいつもより重かった。靴の踏み方が変わっている。

セナが鍵を握ったまま僕の方を見た。


「マルセルさん、いつもと違う」

「うん」

「町、知ってる場所みたい」

「うん」

「でも嬉しそうじゃない」

「うん」

「……聞かないでおこう」

「うん」


セナの判断は早かった。

村の頃から、聞かない順番をセナは僕より早く決められる。


エマさんが横で軽く首を傾けた。何か言いそうな目をして、結局何も言わなかった。

ユルさんが「まあまあ」と小さく言って、2階の方を見上げた。

二人ともマルセルの背中の意味をたぶん前から知っている顔をしていた。


宿の主人が奥から茶を1杯ずつ持ってきた。

茶葉の色がテルナの宿で出るものより濃かった。香りも少し違う。

東街道沿いに運ばれてくる葉はテルナまで届く前にクレウスで仕分けされる、と商人が往路で話していた。

濃い葉から先に手元に残るのだろう。


積み荷の手伝いは半日で終わった。


商人の年嵩の方が「ガキ2人、思ったより使えるな」とマルセルに言うのを聞いた。

マルセルは「言ったろ」と返した。

返したのはそれだけでそれ以上は口を開かなかった。


積み下ろしが終わる頃、商人がマルセルを「ちょっと」と呼んだ。

僕とセナの方を見て、エマさんが「あんたら、先に部屋行ってていいよ」と言い、ユルさんが頷いた。


僕は倉庫の戸を出る時、廊下の奥で商人が何かをマルセルに短く話しているのが背中越しに聞こえた。

内容までは聞き取れない。ただ、マルセルの返事が「ああ」一語だけだったのは覚えている。

それきり、二人とも黙ったまま戻ってこなかった。


僕たちは2人で麻袋を運んでいた。

1袋は胸の高さほどあって、中身は乾燥した穀物らしかった。

セナが端を持ち、僕が反対側を持って、荷車から倉庫の床へ並べる。

クレウスの倉庫は天井がテルナの2倍高く、奥の方が薄暗くて見通せなかった。

床に並んだ袋の列が奥に向かって細くなっていくのが妙に整って見えた。


夕方、宿に戻る前に僕はセナに切り出した。


「できれば、薬師か医者を回りたいのだけど」

「うん」

「マルセルさんに聞いてみる」

「私もついていく」

「うん。ありがとう」


クレウスの大通りは夕方の時間でも人通りが絶えなかった。

店じまいを始める店と夜に向けて灯りを点ける店が同じ通りに並んでいる。

テルナでは夕の鐘の前に店の半分が閉まる。

クレウスは半分が開いたままでもう半分が新しく開く。

町ごとに時間の流れ方が違う。


宿の食堂でマルセルを見つけた。

1人で麦酒の杯を傾けている。普段の半分の速度だった。

僕が向かいの椅子に座るとマルセルは杯を置いた。


「マルセルさん」

「ん」

「明日、半日だけ薬師を回らせてもらえませんか」

「クレウスの薬師か」

「はい。地脈調整剤の話をテルナの薬師より詳しい人がいるかもしれません」

「……」

「ご存じの先があれば、教えてほしいです」


マルセルは少し間をおいて答える。


「……悪い」

「え」

「今回は時間がない」

「……」

「明日朝には出発する」

「でも2泊って」

「商人の都合が変わった。荷の引き取り先で揉めてる。明日中にここを離れる」

「……分かりました」

「すまんな」


マルセルが頭を一度だけ下げた。

頭を下げるマルセルを見たのはこれが初めてだった。


僕は息を一度吸って、それから言った。

「次の機会にお願いします」

「次の機会、ね」

「はい」


少し間が空いた。

食堂の薪が爆ぜる音が間を埋めた。


「次は自分たちで来ます」


マルセルが顔を上げて僕を見た。

眉が一度、上がりかけて戻った。

それから、口の端だけが上がった。


「Cランクになってか」

「はい」

「3年か4年か、もっとかもな」

「はい」


マルセルが杯をもう一度持ち上げた。

今度は普段の速度で飲んだ。

飲み終わってから、杯を置いてもう一度だけ言った。


「次はお前らが来い」


セナが横で頷いた。

セナの「絶対」が口の中で抑えられているのが横にいる僕には分かった。

口の中で抑えた「絶対」は後で別の場所で出る。

村にいた頃から、セナの「絶対」はそんな動き方をしていた。


その夜は早く眠った。

朝の出発が早いと聞いていたから、寝つくまでの間はいつもより短い。

寝る前にノートを開いて、今日の出来事を1日分書いた。

書き終わってから、ページの隅に小さな印を1つだけ付ける。

クレウスで覚えておく順番、という意味の印だ。


出発は夜明け前。


商隊が広場に並ぶ前に東門で集合。

エマさんとユルさん、御者と商人はもう揃っていた。

最後はマルセル。


門を出る時、衛兵が「もう帰るのか」と声をかけてきた。

マルセルは振り返らずに「ああ」と返す。


街道に出てから、マルセルの足取りが変わった。

夜明けの薄明かりの中で肩の振りが普段に戻り、歩幅もいつもの広さに戻っている。

僕は数歩後ろからその背中を見ていた。


「セナ」

「ん」

「マルセルさん」

「うん」

「歩き方」

「うん。戻った」

「クレウスの中では別の歩き方だった」

「うん」

「気付いてた?」

「うん。最初の門で」


セナが小声で言った。

僕も小声で返した。

「言わなかったね」

「言う順番じゃなかった」

「うん」


馬車の車輪が街道の土を踏む音が後ろから追いついてくる。

朝の最初の鳥が鳴いた。

クレウスはもう背中の方だ。


---


復路の1日目、最初の宿場に着いた。


往路と同じ宿、同じ部屋割りだった。

女部屋にセナとエマさんを送ってから、僕とマルセル、ユルさんは2階の男部屋に上がった。


ユルさんは夕食の後すぐに奥のベッドで横になった。

旅の中盤の補助役は体力の配分が難しい、と前にエマさんが教えてくれた。寝られる時に寝るのが順番、らしい。

ユルさんの寝息が一定の長さで聞こえ始めた頃、マルセルが寝台に座って地図を広げた。

鞄から出して、膝の上で開く。

1枚を端から見て、それから別の1枚を取り出した。


「リク」

「はい」

「お前のノート、貸せ」

「いいですよ」


僕がノートを渡すとマルセルは自分の地図と僕のノートを並べて、しばらく見比べていた。

指で線を辿り、それから日付の欄を確認した。


「お前、毎日書いてるな」

「はい」

「ずれた日とずれてない日と」

「はい」

「ずれた理由まで書いてあるな」

「明日のずれを予想するためです」

「……ふうん」


マルセルがノートを閉じて、僕に返した。

それから自分の地図も畳んだ。

だが、地図はすぐには鞄に戻さなかった。膝の上に置いたまましばらく見ていた。


「マルセルさん」

「ん」

「地図、見てるんですね」

「……うっせえな。たまにだよ」


マルセルが地図を鞄に戻す。

雑な動きだったが、押し込む前に1度だけ折り目を直していた。

僕は何も言わなかった。


寝台に倒れ込む前にマルセルがもう一言だけ言った。

「リク」

「はい」

「お前の真似してるわけじゃねえからな」

「分かってます」

「分かってんのかよ」

「はい」

「……ふん」

「普通に地図を見るだけです」

「……うっせえな。普通な」


マルセルが寝息を立て始めた。

僕は寝台の縁に座って、ノートに1行書いた。

「マルセル・地図/毎日確認」

書いてから、線を引いて、横に「うっせえな・たまに」と書き添えた。

意味は今は分からなくていい。


外で雪が降り始めていた。

窓の桟に細かい白が積もっていくのが薄い月明かりで見えた。


---


復路の2日目から3日目にかけて、街道を戻った。


雪は1日降って止んだ。街道は薄く白くなった程度で馬車の足を止めるほどではない。

ただ、夜の冷え込みが往路より強くなっていた。

野営の火の周りで毛布を巻いていても足先と耳が冷える。

セナが耳に手を当てる動作は村の冬と同じだ。

村で母さんがセナの耳をマフラーで包んでいたのを僕は1度だけ覚えていた。


マルセルが御者の隣を歩く時間は往路より長い。

空を見上げる回数も増えていて、時々、地図を取り出して、御者と短く話している。

御者の方が驚いた顔をすることがあった。それを見て、マルセルは「うっせえな」とは言わなかった。

ノートにそれ以上は書かなかった。


復路の3日目、野営の火の前でセナが急に立ち上がった。


「リク、ちょっと」


僕も立ち上がって、セナの後をついていった。

野営地から少し離れた木の陰でセナが振り返る。


「マルセルさん」

「うん」

「リクの真似してる」

「うん」

「……気付いた?」

「気付いた」

「いつから」

「クレウスの夜から」

「私もそのへん」


セナが薄く笑う。村の頃に何度か見た笑い方だった。


「言わなくていいよね」

「うん」

「マルセルさん、気付かれるの嫌そう」

「うっせえな、って言うやつだ」

「うん。たまにだよ、って」


セナはそれだけ言って火の方に戻った。

マルセルは火の番をしていて、薪を1本くべて、こちらを見もしなかった。


---


復路の4日目の夕方、街道沿いの集落に着いた。

往路の1日目と同じ集落だった。秋の頃にガランさんたちと泊めてもらった、あの空家のある集落。

今夜もまた同じ宿屋に通された。

セナがエマさんと女部屋に入り、僕とマルセル、ユルさんは男部屋に上がった。


往路で1度、復路でもう1度。

同じ場所に泊まれるのは小さな安心だった。


---


復路の5日目、昼下がり。


街道が小高い丘に差し掛かった。

テルナまで残り半日。最後の登りだ。


丘を越えた瞬間に視界が広がった。


遠くにテルナの屋根が見える。低い屋根が広場を囲んで並んでいる。

クレウスの3分の1ほどの規模。高い建物はない。城門も小さい。

それでも見覚えのある形だった。


セナが横で足を止めた。


「リク」

「ん」

「変だね」

「何が」

「テルナに『帰ってきた』って思った」

「……うん」

「2週間も離れてないのに」

「うん」


セナがそれだけ言ってまた歩き出した。

僕も数歩遅れて歩き出す。

歩き出してから、自分でも同じことを思っていたのに気付いた。


帰ってきた、と。


村を出る時はこんなことを思わなかった。テルナに着いた時も別の町に来た、としか思わなかった。

10日以上も離れて初めて、ここが「戻る場所」になっていたと気付いた。

離れてみないと分からない感情がある。


マルセルが先頭を歩いている。

振り返らずに肩越しに言った。


「夕の鐘までに着くぞ」

「はい」

「歩け」


マルセルの歩幅が広い。

クレウスを背にした時からはずっと普段通りだ。


夕の鐘の少し前にテルナの東門を通った。

衛兵がマルセルに「お帰り」と声をかけ、マルセルが「おう」と返す。


広場に出るとルナが受付の入口に立っていた。

気付いたのは僕が先だった。


「叔母さん」

「お、戻ったか」

「はい」

「全員無事か」

「無事です」

「マルセル」

「姐さん」

「うん。報告は明日でいい」

「分かった」

「エマ、ユル、お疲れさん」

「ども」

エマさんが片手を上げ、ユルさんが軽く会釈した。


ルナが片方の眉だけ上げて、僕とセナの方を見た。

「ガキ2人、痩せたな」

「冬の旅は痩せるんですか」

「痩せる。明日はいつもよりちゃんとメシを食え」

「はい」


セナも横で「分かりました」と返す。

ルナは頷いて奥に戻った。


宿に戻る道で夕の鐘が鳴り始めた。

2回。

聞き終えてから、僕は内ポケットの御守りに手を当てた。

御守りの場所は変わっていなかった。


セナが横を歩く。

歩く向きが同じなのは2週間前から変わらない。

変わらないものが久しぶりに同じ場所に戻ってくる感覚を僕はテルナの石畳の上で初めて知った。


「セナ」

「ん」

「明日、ルナさんに報告した後、依頼掲示板を見る」

「うん」

「次の依頼、決める」

「うん」

「冬は続ける季節だ」

「うん」


宿の戸を押す前にもう一度だけ広場へ振り返る。

ルナの受付の窓には灯りが点いていた。

マルセルの背中はもう見えない。広場のどこかに溶けていた。


夕の鐘の余韻が広場の石畳の上で薄く残っていた。

冬の入口で戻る場所が一つできた。


宿の戸を開けるとおかみさんが「お帰り」と言った。

村の食堂の母さんと同じ言い方ではない。声の高さも間の取り方も違う。

だがお帰り、という言葉を町でかけられたのはこれが初めてだった。

僕は「ただいま」と返した。セナも横で「ただいま」と返す。

2人の声は揃わなかった。


おかみさんがスープを温める、と言って奥に戻る。

鍋の蓋を開ける音が2週間前と同じ音で鳴った。


僕とセナは久しぶりに2階の部屋へ階段を上がった。

階段の途中でセナが先に上がる足音を僕は廊下の角で待った。

待っているという意識はもうない。気がついたら立っていただけだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ