第19話「冬入り」
翌朝、目を覚ますといつもより早かった。
窓の外はまだ暗い。朝の鐘までにはまだ間がある。
セナの寝息は下のベッドから一定の長さで続いていた。
昨夜決めた3つの理由をもう一度頭の中で並べ直す。
順番は変わらない。並べ直しても順番が変わらない時、その並び方は本当に決まったということだ。
僕は寝台の縁に座り上着の内ポケットの御守りに手を当てた。
朝の御守りは夜より冷えている。恐らく外気のせいだ。
布の温度はまだ夜のままだからこれからまた温まる。
そういう動きをするものだと村にいた頃から知っている。
父さんが鍛冶場で鉄を扱う時もそうだった。冷えた鉄は触れた手の体温を奪う。けれど扱い続ければ鉄の方が手の温度を覚える。
御守りは鉄ではないけれど、温度の動き方は似ている。
窓の外で雀が一度だけ鳴いた。
外がうっすら明るくなってきた合図だ。
セナが起きたのは外が薄く明るくなってからだった。
「リク、起きてた?」
「うん。だいぶ前から」
「いつもより早いね」
「うん」
セナがゆっくり身を起こす。
寝起きの体を伸ばす動作はいつもと変わらない。
何かを決めたところで体が変わるわけではない。体は前の日のままで、それを動かして決めたことを続ける。
セナが髪を片手で押さえながら机の方に来た。
「ノート、開いてる」
「うん。3つの理由、もう一回並べ直してた」
「順番、変わった?」
「変わらない」
「だったら、今日はそれで動こう」
セナが椅子の背に上着をかけた。
冬の入口に二人とも上着を厚いものに替えた。
村から持ってきたものより一回り厚手で襟が高く立つ。
今朝はまだ襟を立てる前の状態で、肩のあたりに冬の空気が残っている。
宿の食堂が開く時間に階段を下りた。
階段の途中で隣の部屋の戸が一度だけ閉まる音がした。
宿の他の客もそろそろ動き始めている時間だ。冬の入口でも町の朝は止まらない。
食堂のおかみさんが「今日は早いね」と言って笑う。
昨日と同じセリフだったが今朝のセナの返事は短かった。
「はい」
それだけ言って席に着く。
スープと黒パン。器を返した頃には、朝の鐘がまだ鳴っていなかった。
食堂の隅で別の客が新聞を畳んでいる。
テルナの町には新聞が出回っていることを僕は来てから知った。
村にはあまり届かない。届くのに10日かかる遠さだから、村で読む頃にはもう古い記事になっている。
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ギルドの戸を押す。
受付台の前にはまだ冒険者が並んでいない。早い時間だ。
ルナは台帳をめくっていた。僕とセナの顔を見ると片方の眉を上げた。
昨日と同じ眉の上げ方だ。けれど昨日と違うのはルナが手を止めるのが早かったこと。
僕たちが何を言いに来たのか予想していた、ということだろう。
「来たな」
「はい」
「言いな」
僕は息を吸ってそれから一度吐いた。
頭の中で並べた順番のまま声に出す。
「続けます」
ルナは少し意外そうな顔をしていた。
「続けます、ってのは」
「町で続けます。村には戻りません」
「……」
「自分たちでCランクになって、母さんの薬を自分たちで買えるようになるまで、ここで続けます」
セナが横で頷き、「同じです」とだけ言った。
昨夜の「リクが残るなら残る」は、ここでは別の形で出ていた。続ける方の言葉。
ルナが台帳から指を離した。
「言うのは簡単だよ」
「はい」
「Cまで行くのに、何年かかると思ってる」
「分かりません」
「3年か、4年か、もっとかもしれない。あんたら成人前だ。リクに関してはF登録までだって2年弱ある」
「はい」
「2年弱で諦める奴を、あたしは何人も見てきた」
「……はい」
「諦めるのが悪いって話じゃない。続けるのは難しい、って話だ。村と町じゃ、続けるための背中の作り方が違う」
「分かります」
「分かってないよ。分かってたらここまで言わない」
ルナがそこで一度息を吐いた。受付の業務の顔からもう一度叔母の顔に戻る。
「あんたら、親にちゃんと話したのか」
「今日、手紙を書きます」
「手紙、ね」
「はい」
「あたしが前に『次は自分たちで買えるようになりな』って言ったの、覚えてるか」
「はい」
「あれは、ガキだけで何とかしろって意味じゃない」
「……」
「親と話して、家族で続く仕組みを作れ、って意味だ」
「……はい」
「分かってたか」
「……今、確信しました」
頭の中で並べていた問いの順番が、ここでもう一段繰り上がる。
3つの理由の前提として、確かめておくべきことがもう一つあった。
僕は息を吸って、それから言う。
「叔母さん」
「ん」
「2回分の薬、本当に銀貨20枚で足りる金額ですか」
ルナが目を細めた。
「……ふうん」
「父さんたちが用意したお金は、当面の生活費を除いて全部渡しました。でも、Cランクで管理される薬の値段とは思えない」
「……」
「叔母さんが用立ててくれたか、父さんたちが追加の資金を送ってくれたか。それ以外の何か、ですか」
ルナが片方の口の端を上げた。
「気づいてたか」
「はい」
「気づくのは早かったね」
「……」
「答えは、3つ全部が混ざってる、って言っとく」
「……」
「詳しく聞きたいか?」
「いえ。聞かなくても、続けるのに必要なものは見えました」
「順番、ね」
「はい」
ルナが頷く。
「わかってきたじゃないか」
「叔母さんが教えてくれました」
「あたしじゃない。あんたが自分で並べただけだ」
「その間、続くか?」
「やります」
ルナがそれを聞いて片方の口の端を上げた。
「即答だね、相変わらず」
「3週間考えました」
「考えた答えがそれなら、もう何も言わない」
ルナがそれだけ言って台帳を一度閉じた。それから棚から別の冊子を出す。新しい冊子だ。
背に何も書いていない。中身も白い。
表紙に何も書かない冊子はこれから書く側の覚悟を試す形をしている、と僕は思った。
「これ、あんたら専用にする」
「……はい」
「依頼の出来高、訓練の出席、薬の段取り、ぜんぶここに記録する。
あたしが管理する分だ。あんたらは普通に動け。記録は勝手につく」
「ありがとうございます」
「礼はいい。あたしの仕事だ」
ルナが冊子の最初のページに日付を書き入れた。
それから僕とセナの名前を並べて書く。
「リク」「セナ」と並んだ字を僕は横から見ていた。並んでいることが続けるということだ、と何故かそう思った。
セナが横で頷く。それから小声で「私のフルネーム、後で書いてもらっていいですか」と聞いた。
ルナが眉を一度だけ上げる。
「フルネームでいい?」
「はい。お父さんとお母さんの姓もちゃんと。続ける時の名前は、続ける形で書いた方が」
「分かった。次の更新時に書き直す」
「お願いします」
セナがそれだけ言って僕の方を見た。
僕も自分のフルネームをルナさんに伝えたほうがいいのか一瞬迷った。
迷ったがそれは別の日でいい、と判断した。今日の主役はセナだ。セナが先に名乗ってから僕が後から名乗る順番でいい。順番が変わるとたぶん何かが変わる。
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ギルドを出て宿に戻る前に、僕とセナは広場の隅で手紙の話をした。
「リクのお父さんとお母さんに、続けるって書こう」
「うん」
「私のお父さんとお母さんにも」
「うん。アーシャ叔母さんには、薬のことも書いておく」
宿に戻り机に紙とペンを並べた。
昼の鐘が鳴ったのは僕が父さんへの一行目を書き終えた頃だった。
12回ではなく6回。テルナの昼の鐘は短い。
書いた内容は短かった。
父さんへ——「町で続けます。3年か4年か、それ以上かかります。途中で倒れない範囲でやります」
母さんへ——「薬は続けて送ります。次は半年後の手筈。動けない日があっても無理に動かないでください」
ヴァルドさんへ——「セナと2人で続けます。メシは食ってます」
アーシャさんへ——「次の手当ても並べて考えます。詳細は次便で送ります」
セナの手紙は僕より長かった。
「お母さんは医者でもあるから、薬の経過を細かく書いた方がいい」と言って紙の余白まで使っていた。
僕は読まなかった。読んでほしいときはセナから渡してくる。今は渡してこない。
書き終えた頃には午後の鐘が鳴った。3回。
書いた手紙を封にして宿の主人に預けた。
次の便で西へ向かう。
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午後の鐘を聞いてから、僕たちは依頼掲示板の前に戻った。
冬の依頼が並んでいた。
雪道の護衛。山小屋の点検。冬眠前の魔物の駆除。物資の運搬。
夏より単価の高い依頼が増えている。理由は分かる。動きにくい季節は動ける人間の数が減る。減るほど報酬は上がる。報酬の数字を僕は紙に書き留めた。
ルナの冊子に記録されるのは出来高で僕の手元のノートに残るのは下見の数字だ。下見の数字を後で実際の出来高と並べると自分の見立てが当たっていたか分かる。
当たっていなかったら見立て方を直す。村で父さんが鍛冶仕事の見積もりを「先に書いて、後で答え合わせ」と言っていたのと同じ手順だ。
鍛冶の見積もりと冒険者の依頼が同じ手順で並ぶことに村にいた頃の僕なら少し驚いただろう。今は驚かない。順番は形が違うものでも同じ順番で並べられる。
「動けるね」
「うん」
セナの声は昨日までより低かった。決めた人の声の温度だ。
掲示板の右端に、見習い同行者向けの依頼が貼られている。
冬の山道に出ない範囲。倉庫整理。荷運び。雪かき。
報酬は小さい。けれど続けやすい。続けやすい仕事は続ける仕事と相性がいい。
ルナが受付の奥から出てきた。
「掲示板、見てるね」
「はい」
「冬は依頼が増える。けど、寒い。雪道で滑って腕を折ったら半年動けないこともある」
「気をつけます」
「気をつけても折る奴は折る。だから、無理しない依頼から取れ」
「はい」
「あと——」
ルナが声を一段落とした。
「メシもちゃんと食べろよ。倒れたら元も子もない」
「はい」
「冬の宿のスープは塩気が強い。お代わりはほどほどに」
「はい」
セナが横で「分かりました」と短く返した。
ルナが頷いてまた奥に戻る。
掲示板の前に残った僕たちは、しばらく依頼を選んでいた。
セナが最初に選んだのは倉庫整理だった。「セナ、それ、雑用じゃない?」と聞くと、「雑用から始める方が手が慣れる」と短く答えた。
村にいた頃のアーシャさんが診察の前に必ず手を洗っていたのを思い出す。手を慣らしてから本番に入る。セナの選び方はアーシャさんの順番に似ている。
僕も同じ列の依頼を選んだ。荷運び。雑用。雪かき。報酬は小さいが続けやすい。続ける季節に続けやすい仕事を選ぶのは、たぶん正解だ。
選び終えてから僕とセナは依頼書を受付に出した。
ルナが奥から出てきて書類に印を押した。
「明日朝、倉庫9時。雪かきは夕方の合図で町の役場前」
「分かりました」
「初日は無理しない」
「はい」
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夕の鐘の前に、僕とセナは外に出た。
広場を抜けて町外れの方へ歩く。
冬の入口の風が広場を通り抜けて地面の砂粒を一度だけ転がした。
風が冷たい。
今までも冷たかったが、今日の冷たさは違う形をしていた。冬の入口の風と冬の中の風は別のものだ。
冬が来る。
冬は、続ける季節だ。
セナが上着の襟を一度寄せた。立てる方向の動作だ。冬の入口の風はまず襟を立てさせる強さで来る。
それから手首と足首を冷やす。最後に背中。3段階で冷えていくのを村でも何度か覚えた。
「冬、長いね」
「うん」
「春までに、何かは変わるかな」
「変わる」
「即答」
「3週間で1回変わったから、3ヶ月あれば3回くらいは変わる」
「……それ、根拠ある?」
「ない」
「いつもの」
「うん」
セナが薄く笑った。村の頃に何度か見た笑い方だ。
それから町の方へ目を戻した。
町の屋根が斜めの夕日を反射している。テルナの屋根は瓦が多い。村は茅葺きだった。冬の景色も村と町で違う。雪の積もり方も違うはずだ。
夕の鐘が鳴り始めた。
2回。テルナの夕の鐘は短い。
聞き終えてから、僕は内ポケットの御守りに手を当てた。
朝より深く温まっていた。続けていれば温度は変わる。並んだ順番が変わらなくても温度は変わる。
風がもう一度だけ広場を抜けた。
今夜から町の冬が始まる。
冬は続ける季節だ。決めたことを続ける。続けたことの記録が冊子に残る。記録が残るから次の決断ができる。
そういう順番で冬を越える。
宿の方角を向いて僕とセナは並んで歩き出した。
歩く向きが同じなのは3週間前から変わらない。
変わらないものを変わらないまま続けるのが、冬の入口の僕たちの仕事だ。




