第1話「ミルヴァ村の子」
この世界で6回目の夏。
夏になると畑に出る。村の子はたいていそうだった。
朝のうちに親と一緒に畑へ行って昼過ぎには帰る。
僕も物心ついた頃から毎年そうしていた。
ミルヴァ村は小さい。丘の斜面に家が五十ほどぽつぽつと並んで、まわりを麦畑と林が囲んでいる。
村を出るような用事のある人はほとんどいない。
子供の数も数えるくらいで、畑仕事のある日はだいたい同じ顔ぶれが集まった。
麦の刈り入れも豆の収穫も、子供の手まで借りないと回らない。
それが村の夏だった。
大人の何人かは力仕事に魔法を使う。
腰や手に着けた道具へ魔力を通すと、重い籠が軽くなったり、固い土がやわらかくほぐれたりするらしい。
その道具を持っているのは村でも何軒かだけだった。みんなが使えるわけじゃない。
使える人は使わない人より早く仕事を終えて、先に木陰へ引き上げていく。
それが当たり前の景色だった。
この日は隣のベルトおじさんの畑だった。
トビ豆の収穫。腰を曲げて株を1本ずつ抜いていく作業。
同い年のカルとひとつ上のレムも来ていた。
「暑いな」とカルが言った。
「うん」
僕もそう思った。でも手は止めなかった。
株を引く。根についた泥を払う。籠に入れる。また次の株へ手を伸ばす。
同じ動きをただ繰り返す。
気合を入れていたわけじゃない。むしろ逆だ。
止まる方がかえって落ち着かなかった。
手を動かしている方が楽だった。
どうしてなのかは考えたこともなかった。
考える必要も感じなかった。
「リク、早くね?」
レムが手を止めて言った。
「そう?」
「見てみろよ。俺の3倍はやってる」
僕は自分の籠を見た。確かに2人のよりは多い。
でも、特別なことをしているつもりはなかった。
手を止めなかった。それだけだ。
「手が速いんじゃないか」
作業を続けながらカルが言う。
「そうかな」
「たぶんね」
カルが腰を曲げて株に手をかける。すぐに「暑い」とこぼして伸びをした。
僕は次の株へ移る。土の匂いと、抜いたばかりの根の青い匂いがした。
指の先が乾いた泥でざらついていく。それも嫌ではなかった。
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昼が近くなるとカルとレムは木陰に移っていた。
「さすがにきつい。休む」
「わかった」
僕はそのまま続けた。止める理由がなかった。
ベルトおじさんが水を持ってきた。大きな水差しに布を被せている。
「リク、休んでいいぞ」
「もう少しやります」
「……そうか」
おじさんはそれ以上言わなかった。
でも、戻り際に足を止めて振り返った。
何か言いたそうにも見えたが、結局は何も言わずに木陰の方へ歩いていった。
しばらくして、カルとレムが木陰で水差しを回しているのが見えた。
1人が口をつけて飲んで次の1人に渡す。
僕は手を止めてそれを見た。
喉は渇いていた。
でもそっちへ行くより先に、別のことが頭に浮かんでいた。
水差しは1つしかない。みんなで口をつけて回し飲みするのは、どうも気が進まなかった。
誰かが具合を悪くしていたら、それでうつる気がした。
(コップがあればいいんだけど)
そう思って辺りを見回す。農具置き場の棚に陶器のカップが2つ置いてあった。作業の時に使うやつだろう。
勝手に使っていいかはわからなかったが、洗って戻しておけば問題にはならないと判断した。
カップを2つ取って木陰へ持っていった。
「これ、使いな」
カルが「あ、ありがとう」と言った。レムも「助かる」と笑った。
2人がカップに水を注いで飲む。僕も1杯もらって飲んだ。それから畑に戻った。
どうしてわざわざカップなんか、と聞かれてもうまく答えられなかったと思う。
ただ、その方がいい気がした。理由は自分でもわからなかった。
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午後になると、大人たちが残りの区画に入ってきた。
収穫を終えた籠を畑のへりに並べていく。
ベルトおじさんの奥さんが僕の籠を見て目を丸くした。
「リクちゃん、これ全部1人でやったの?」
「半分くらいは」
「嘘でしょう」
嘘じゃなかった。でも、大したことをしたつもりもない。
奥さんがベルトおじさんに何か言っているのが見えた。
おじさんが頷いている。何の話かは聞こえなかった。
「リク」
おじさんが僕を呼んだ。
「はい」
「また来月も頼めるか」
「はい」
「……素直な子だ」
そう言われた意味はよくわからなかった。
でも嫌な言い方ではなかったので、「ありがとうございます」と答えておいた。
奥さんがまだこちらを見ていた。
困っているような、感心しているような、どちらともつかない顔だった。
子供を見る目というより、もっと別の何かを見る目に近かった。
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帰り道、カルが足を引きずるように歩いていた。
「つかれた……」
「お疲れさん」
「リクはなんで平気なの」
「平気かどうかはわからないけど」
「絶対疲れてないって。俺なんかもう動きたくない」
レムが道の脇に座り込んだ。
「5分だけ休んでいい?」
「いいけど、暑いよ」
「それでも休む」
僕は2人が立ち上がるのを待った。
待っている間、明日のことを頭の中で組み立てる。
朝から来るなら、水は自分で持ってきた方がいい。
竹筒に入れて布で包んでおけば、昼までは冷たいままだ。
カップも余分に1つ持ってくれば回し飲みをしなくて済む。
特に深く考えたわけじゃない。
次はこうしよう、と頭に浮かんで、それを覚えておいた。
そういうことを考えるのは、僕にとって息をするのと同じくらい自然だった。
誰かに教わった覚えはない。気づいたらもうそうしていた。
ただ、この手順を組む感覚にだけは、薄い覚えがあった。
いつ、どこでとは言えない。でも、初めてではなかった。
「行こう」とレムが立ち上がった。
「うん」
3人で歩き出す。
空が夕方の色になっていた。
畑の向こうでどこかの家の煙突から細い煙が上がっている。
夕飯の支度の匂いが風に乗って流れてきた。
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家に帰ると母さんが台所に立っていた。
「お帰り。どうだった」
「普通」
母さんは手を止めて僕の顔を見た。
「疲れた?」
「別に」
母さんの目が細くなる。心配する時の目だ。
「……本当に?」
なんで疑問形なのかよくわからなかった。
本当に疲れていなかったので「本当に」と答えた。
母さんはしばらく僕の顔を見ていた。何かを確かめるみたいな目だった。
それから視線を鍋に戻す。
「ご飯、もう少しで出来るから」
「うん」
僕は井戸の水で手を洗ってから席についた。
食事の前に手を洗うのはうちでの決まりだ。母さんも必ずそうする。
でもカルやレムの家でも同じなのかは、考えたことがなかった。
夕食はトビ豆の炒め物と、スープと、黒パンだった。
スープが塩辛かったが、文句を言う必要もない。
「今日、ベルトのとこ手伝ったんだって?」
父さんが言った。
「うん」
「向こうは何か言ってたか」
「また来月も、って」
「そうか」
父さんはそれ以上は何も言わなかった。
でも、口の端がわずかに動いた。
それから黒パンをちぎって、僕の皿の横にのせた。
父さんは鍛冶仕事から戻ると、家に入る前に井戸で水を浴びる。
煤を持ち込まないように、と母さんが言ったかららしい。
うちは、よその家より決まりごとが多かった。
手を洗う。水を浴びる。汲み置きの古い水は飲まない。
でも、それを嫌だと思ったことはない。
そういうものだと思って育った。
僕は気づいていなかったが、その決まりごとのいくつかは、母さんが言い出したものではなかった。
僕が自分から始めて、そのまま家のやり方になったものもある。
夕食が終わると僕は皿を洗った。
頼まれたわけじゃないが、母さんが疲れた様子だったのでそうした。
桶に水を汲んで、1枚ずつ洗っていく。
「リク、やってくれてるの?」
母さんが来た。
「うん」
「……いいのに」
「暇だから」
暇というほどでもなかったが、やる理由はあって、やらない理由はなかった。
母さんが横に立って、僕の手元を見ていた。
「ねえリク」
「うん?」
「今日、楽しかった?」
楽しいとか楽しくないとか、そういう物差しであまり物を見ていなかった。
でも聞かれたので考えてみた。
「楽しかった」
言われてみれば楽しかった気がする。
豆を抜くのも、カップを持っていくのも、嫌ではなかった。
母さんは何か言いかけて口をつぐんだ。
それから僕の頭に軽く手を置いた。
「そう」
それだけ言うと、手はすぐ離れて母さんは居間へ戻っていった。
その背中が、何かを心配しているようにも見えた。
でも、理由はわからなかったし僕も聞かなかった。
夜、布団に入った。
外で虫が鳴いている。
今日やったことを思い返した。
豆を抜いた。カップを持っていった。帰り道で2人を待った。
母さんに楽しかったかと聞かれた。
特別なことをしたつもりはなかった。
ただ、やることをやった。それだけだ。
(次は水を持ってこよう)
そう思ったら、すぐに眠くなった。
僕は気づいていなかった。
水を布で包むことも、回し飲みを避けることも、村の誰も思いつかないことを。
居間では、母さんがまだ起きていた。




