第15話「地脈調整剤」
翌朝、ルナ叔母さんに会いに行った。
「『ギルドで聞ける』と3軒目の薬師が言ってました」
僕がそう切り出すとルナは受付台の上に肘をついた。
2拍くらい黙ってから口を開く。
「ギルドの記録には引っかかってこない。でも——あたしの個人的な心当たりはいくつかある」
「教えてください」
「もう少し回ってからにしな」
「……どうしてですか」
「あんたらが回って、それでも届かない答えだけをあたしが出すんだよ。順番はそっちが先」
ルナはそれだけ言って次の冒険者に目を向けた。
背中越しにもう一言だけ追加した。
「メシはちゃんと食え。倒れたら何も進まないからね」
セナが横で小さく頷いた。
そこからまた、薬師の店を回り始めた。
ルナが言わなかった「心当たり」を僕たちの足で潰しに行く。
中央通りから外れた区画。商家の裏。市場の脇。
新しい店、古い店、看板のない店。
1日に2軒、3軒。歩いた距離が地図の上で足跡のように増えていく。
朝の屋台でスープを買う、雑用に出て報酬を受け取る、午後から薬師を回る、夕方の屋台で夕食を買う。
日課がここ数日でそういう形になっていた。
最初の日、ノートには店の名前を書き込んだ。
2日目には店の特徴を書き足す。
3日目には店主の癖。
6日目あたりから書き足す項目が減ってきた。
全ての店で似たような答えが返ってくる。
書くことが減るのは進んでいないことの目安だ。
3軒目から数えて、もう何軒目か分からない。
薬師たちの返答は似たような形をしている。
「同じ症状の記述はあるが、根本の原因は分からない」
「テルナでは難しい」
「王都の専門医なら」
「『体内の魔力を整える薬』なら聞いたことがあります」
そこから先には進まない。
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何日が過ぎたかは、はっきり数えていない。
ある日、市場の裏の薬師の店に入った。
店主は50代の男だった。顔に染みがある。眼鏡を額にずらして書類を見ていた。
眼鏡を下ろしてこちらの顔を一度見た。
「症状の話だな」
「はい」
セナが症状を説明する。発熱、倦怠、月に数度の目眩、体内の魔力の乱れ。
僕たちはもうこの説明を覚えてしまっていた。
セナが言うのが半分、薬師が頷くのが半分。慣れた手順。
男は話を聞き終えてからしばらく書類に目を戻した。
書類は別の客の処方らしい。指で項目をなぞっている。
それから顔を上げた。
「体内の魔力を整える薬がある」
「はい」
男は「ふむ」と頷くと眼鏡を額に戻した。
言葉を選ぶ時の動き。
「心当たりはある。ギルド管理の特別品目だ、Cランク以上の正式冒険者でなければ買えん」
セナの肩が一度動いた。
僕は何も言わなかった。聞き返す必要はなかった。
男は最後にもう一度こちらを見た。
「知っていても言わない薬師が多い。下手に名前を口にすると、買えないことが分かっている者に希望だけを持たせることになる」
「……はい」
「言わなかった連中を、責めるな。それは優しさだ」
僕は頷く。
セナも頷いた。
店を出る時、男はもう書類に目を戻していた。最後の挨拶代わりに手を上げただけだ。
外に出る頃には夕方の光がもう傾いていた。
3軒目の薬師が言ったことが今になって効いてくる。
「気軽に手に入る薬じゃない」「ギルドで聞ける」——あれだけ言って、その先は黙った。
あの沈黙は、買えないと分かる名前を口にしないための沈黙だった。今日の薬師がその意味を言葉にしてくれた。同じ場所を指していた。
宿に帰る前に、ルナにもう一度報告しようとギルドに戻る。
広場の入口にたどり着いたところで人影に気付いた。
壁に背中を預けて、剣を腰に下げた男。
マルセルだ。
「お前ら」
「はい」
「ちょっといいか」
マルセルが壁から背を起こす。
僕とセナの方に寄ってきた。
「探してるって聞いたぞ。母親の薬」
「……ルナ叔母さんから?」
「あの姐さんが、無駄話をすると思うか」
マルセルが片方の口の端を上げた。
本当にルナが言ったのかどうかは、結局そこでは分からない。
「魔力の乱れを抑える薬を探してて」
「魔力の乱れか」
マルセルがそこで一度、視線を空に上げる。
「……地脈調整剤じゃねえか、それ」
セナの息が止まる音をした。
僕もしばらく何も言えなかった。
地脈調整剤。
この数日間、いくつもの薬屋を回って、誰も口にしなかった名前をマルセルが先に出した。
言葉の重さがその瞬間に変わる。
「ご存じですか」
「俺の知り合いで使ってた奴がいた」
知り合い、と言った時、マルセルの目が一瞬だけ別の方向を見た。
広場の端、訓練場の柵の方を見た。
すぐに戻ったが、その短い動きを僕は覚えた。
「Cランクじゃないと買えないってあれだ。さっき薬師に聞いたのか」
「……はい」
「だろうな」
マルセルが息を吐く。
「知ってる薬師はCランクの話を出さなきゃならねえ。それが嫌で知らないふりをする奴も多い」
「今日会った薬師に、同じようなことを言われました」
「だろうな」
マルセルが同じ言葉をもう一度繰り返した。
今度は別の意味で言ったように聞こえた。
責めているのか、納得しているのか、僕には判断がつかない。
それから何か言いかけて、止めた。
「いや」
それきり続きはない。
マルセルは「姐さんには俺から聞いたとは言うな」とだけ言って、広場の端の方へ歩いていった。
歩き始めて2、3歩で、もう一度だけ振り返る。
「ガキども」
「はい」
「焦るな」
それだけ言って、また背中を向ける。
今度は振り返らずに広場の角を曲がって消えた。
マルセルが広場の角を曲がって消えた頃、訓練場の方から木剣を振り下ろす音が一拍だけ抜けた。
すぐに規則的な打ち込みの音に戻る。
何も変わっていないと聞こえる音が続いていた。
セナが小声で言った。
「マルセルさん、なんで知ってるんだろう」
「知り合いで使ってたって言ってた」
「でも、あれだけの薬師が言わなかった名前をぱっと出すのは」
「うん。普通じゃない」
口に出して考えた。
マルセルの動機は、ずっと「ルナさんの頼みだから」だと思っていた。
でも今日のはそれだけではなさそうだった。
「知り合い」の話をした時の、訓練場の方への視線。
あれが何だったのかは、聞かない方がいいことだと判断した。
聞かれたくないことを聞かないでくれる相手は、聞いた時より信頼できる。父さんが鍛冶仕事の客に対して取っていた態度と同じ。
セナが頷いた。
「リク、考えごとしてる時の顔だね」
「うん」
「今日は少し早く帰ろう」
「……うん」
ギルドの中に入るとルナはまだ受付にいた。
僕とセナの顔を見ると、片方の眉を上げる。
「マルセルに会ったか」
「会いました」
「言ったかい」
「『地脈調整剤』と」
「うん」
ルナが頷く。それだけだった。
それ以上の質問は受けつけない、という頷き方。
普段の姐御口調とは少し違う、業務の顔に近い。
「Cランク以上の正式冒険者でないと買えない、と聞きました」
「制度上はそうだ」
「叔母さん、その薬の入手——」
セナがそこまで言って口を閉じた。
ルナの目が「今は聞くな」と言っている。
言葉ではない。受付台の上の指の置き方と、視線の止まり方。
分かる種類の合図。
「明日また来な」
「はい」
「メシはちゃんと食え。倒れたら何も進まない」
ルナが2度言ったその言葉が、今日初めて重く響く。
「順番」を守る人だ、と思った。
こちらが回り切る前に答えを出さない。それも優しさの一形だと、薬師の店で教わったばかりだ。
町の大人は、それぞれのやり方で同じことをしているのかもしれない。
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帰り道、セナと並んで歩いた。
宿までの石畳。夕方の光はもう橙色を超えて暗い方に傾いている。
店の灯りが一つずつ点いていく。
「Cランクって、どれくらい?」
セナが歩きながら言った。
「わからない」
「……」
「けど、調べる」
セナが頷いた。
それから、ぐっと口を結んだ。
「絶対」と言いそうな口の動き。
口は開いて、それから閉じた。
「絶対」と言ったところでCランクが近づくわけではないことを、たぶんセナも理解している。
村にいた頃、セナは「絶対」をよく使った。剣の型を覚える時、木に登る時、僕がゼロと診断された日の翌朝。
ここに来てからは、その言葉を口の中で抑える回数が増えた。
僕は気付いている。そのことにセナが気付いているかどうかは聞かないでいる。
「明日、ルナ叔母さんは何か言うかな」
「言うとは思う。順番だって言ってたから」
「順番——」
「うん」
セナが笑った。
今日初めての笑い。
弱いが、笑いには違いなかった。
「リク」
「ん」
「私たち、まだ届いてないんだね」
「うん」
「届きそう、でもないんだね」
「……うん」
「でも、見えてはきた」
セナがそれだけ言って、また前を向いて歩き出す。
歩幅が今朝より戻っている。
セナの「見えてはきた」が、頭の中で残った。
いくつもの薬師の沈黙。マルセルの一言。ルナの「順番」。
全部が同じ場所を指していた。
僕たちが届くか届かないかは別として、薬は存在する。手段が存在する。
そのことだけを今日は持ち帰ろう。それで明日が始められる。
マルセルの「焦るな」が頭の中で残っていた。
あの人が言うと、ただの励ましではない響きがある。
焦らないために何を考えるか。
歩きながら頭の中で項目を並べる。
今夜整理する。今夜できる範囲のことを紙に書き出す。
明日のルナとの会話を最短で済ませるための準備として。
宿に戻ると、部屋に入る前にセナが扉の前で振り返る。
「リク、明日も歩こう」
「うん」
「足、痛いけど」
「うん」
「歩こう」
「うん」
それだけ言って、扉を開けた。
夕食を取ってランプを灯す。
セナは下のベッドで仰向けに天井を見ていた。
何かを考えている顔。
僕は窓辺に立つ。
夜の通りが見えた。馬車が1台、ゆっくり通っていく。
車輪の音が遠ざかる。
別の方向から、誰かが歌を歌うのが聞こえた。酔っているらしい歌い方で、歌詞は半分しか聞こえない。
それも遠ざかっていった。
薬の名前は分かった。
存在も分かった。
でも、すぐに手が届く距離ではないことも分かっている。
Cランクがどれくらい先にあるのか。
明日ルナに聞けばおおよそはわかるだろう。
まだ見習いでしかない僕たちがそれを知ってどう動くかを決める。それが、明日の最初の仕事になる。
ランプを消す。
セナの寝息が下で安定し始める。
僕はしばらく目を開けたまま天井を見ていた。
天井の影を目で追う気力は今夜はなかった。
「地脈調整剤」
口の中で、もう一度だけその言葉を呟いた。
言葉が形を変えるわけではない。
ただ、明日に持ち越せる物として頭の中に置いた。
今日できることは、今日終わった。明日の朝、また続きが始まる。
そのために今夜は休む。それだけは確かなことだった。




