第14話「薬を探して」
朝、というには遅い時間に目が覚めた。
外の光が窓の格子の影を床に伸ばしている。
昨日の依頼で体が疲れていたらしい。下のベッドでセナはまだ寝息を立てていた。
ナイフを枕元から手に取って腰に差す。
鞘の縁の赤い跡はまだ残っていた。
昨夜は朝になれば薄くなっているかもしれないと思っていた。けれど、跡は跡として残っている。
指の腹で一度なぞると、乾いた革のざらつきが返ってくる。
「リク、もう朝?」
下からセナの声がした。少しかすれている。
昨日の依頼で拘束魔法を使った分、体力を使ったのだろう。
「昼に近いかも」
「……寝過ぎた」
「いいんじゃない、たまには」
セナが起き上がる。髪が片側に潰れていた。
僕が見ているとセナが片手で押さえる。
「見ないで」
「うん」
宿の階段を下りて外で簡単に何か食べる。
昨日の屋台はもう昼の品に切り替わっていた。スープと黒パン、それと焼いた根菜が銅貨2枚。
椀を受け取りながら店主が「依頼帰りか」と聞いた。
「はい」
「無事だったな」
店主はそれだけ言って次の客に椀を出す。
町の人がこちらの顔を覚え始めている。あの一言がその証だと思う。
「行こうか」
「うん」
中央通りに出る。
昨日の朝と同じ道だが見える物が違って見えた。
冒険者が連れの装備を確かめながら歩いている。
商家の小さい子が手を引かれて荷物を運んでいる。
町の人が町の用事で動いている。僕とセナだけが町の用事と違う目的で歩いていた。
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ルナ叔母さんが教えてくれた1軒目の薬師の店は、中央通りから2本目の路地の奥にあった。
木の看板に「ソリス薬店」と彫られている。
文字の脇に薬草の絵が一つ。古い看板で絵の輪郭が雨で薄くなっていた。
戸を押して中に入る。
店の中は天井から薬草の束が吊るされていた。乾いた草の匂い。土と少しだけ煙の匂い。
50代後半くらいの男が奥で薬草を束ねていた。手の指が太く、爪のあいだに緑が残っている。
「……何の用かい?」
「母の症状を診てほしくて」
「診るのは医者だ。薬師は薬を出す」
「では、症状を聞いて薬の話を伺いたいです」
セナが横で軽く頷いた。
ソリスは束ねる手を止めてこちらを見た。視線が短い。長くは見ない。
「ふむ。座りな」
入り口の脇に木の椅子が2つ並んでいた。
セナが症状を説明する。
発熱が続くこと。体が怠いこと。月に数度の目眩。
それから——アーシャおばさんが言っていた「体の中で魔力が乱れている」感覚。
ソリスが何度か手を止めた。
止める瞬間に、目だけが動く。考えている時の動きだろう。
「その方、魔力適性はどれくらいかい」
セナが言葉に詰まった。
「分かりません。母さんは外から来た人で、村に来たのは大人になってからなんです」
「村で診断を受け直してはいないんだな」
「はい」
ソリスがしばらく黙り、それから言った。
「症状から言えば、慢性的な魔力枯渇症に近い」
「治せますか」
「魔力を持たない人間が魔力を枯渇することはないはずだ」
セナと顔を見合わせる。
「どういう意味ですか」
「魔力がゼロの人間には枯渇する魔力そのものがない。だから魔力枯渇症にはならない。でもあなたが話した症状はそれに近い」
「では母さんは魔力を持っているということですか」
「あるいは、症状にはまったく別の原因がある」
ソリスはそれだけ言って、もう一度手を動かし始めた。
こちらを見ない。
「どっちなのでしょうか」
「分からない。診断を受ければゼロかどうかは出る。だがもし別の原因なら——私の知識の外になる」
セナが「他の薬師にも聞きに行こう」と立ち上がる。
ソリスは振り返らない。
ただ、入り口で僕が一度振り返ると、ソリスの目がこちらを見ていた。
口が動きかけて、止まる。
何を言おうとしたのかは、こちらから聞ける雰囲気ではなかった。
戸を閉める時にもう一度だけ目が合った。それきり、ソリスは奥の作業に戻った。
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ソリスの店を出るころには日が中央まで昇っていた。
2軒目はソリスの店から通りを2本進んだ先にある。
ソリスより新しい建物で看板の塗装も鮮やかだ。
扉も新しく、押した時の音が軽い。
中に入ると、エプロンに乾いた草の粉をつけた30代の女性が棚を整理していた。
「いらっしゃい。診察?それとも薬の相談かしら」
セナが頷いた。
女性は手を止めて、椅子の方を顎で示す。
セナがまた症状を説明する。
途中で女性が顔を上げ、「ちょっと待ってね」と奥に下がった。
戻ってくると本を一冊持っていた。表紙が革で厚い。指のあいだに緑のしおりが何本も挟まっている。
「ね。確かに似た症状の記述はあるの。慢性疲労に効く薬なら出せるけれど、根本の原因は見えないわ」
「それでも飲ませる意味はありますか」
「症状を和らげる分にはね。でも、それで治るとは保証できない」
「テルナ町では他に診られる人はいますか」
女性が顔を本に戻す。
「町の範囲では難しいかも。王都の専門医なら——あなたたちには費用のことも含めて、考えてもらわないといけない額になるけれど」
「王都までの距離は」
「徒歩で1ヶ月。馬車を雇えば3週間。馬車の料金が銀貨数枚」
王都までの距離。診察費。治療費。
聞くまでもなかった。村の年収を何年か重ねても届かない額になるのは、屋台の店主の話で町の物価をなんとなく知った今では容易に想像できる。
「他に方法はありませんか」
女性が一度だけ目を上げた。
「私の知る範囲では、ない」
それから言い直した。
「けれど、私の知らない何かはあるかもしれない」
セナと顔を見合わせる。
女性の言う『知らない何か』が何を意味するのかは聞けなかった。
「ありがとうございます」
セナが頭を下げると、女性は頷いてまた奥に下がっていく。
奥の戸の向こうから別の薬草を切る音が聞こえた。
セナが扉の前で立ち止まり、一度だけ息を吐いた。
「絶対」と言いそうな口の動き。
口は開いて、それから閉じた。
「次、行こう」
セナが歩き出した。
僕は半歩遅れて続いた。
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3軒目は夕方に近い時間に着いた。
ソリスの店からさらに離れた区画。古い建物。
道幅が狭くなり、商家の看板が減って、住宅の窓が増える。
町の中でも歩く人の数が変わる場所。客が来ない店はこういう場所にある。
看板に名前はなく絵だけが彫られていた。乳鉢と杵。
塗装が剥がれて木の地肌が見えている。何年前のものかは見当もつかない。
戸を押す。軋む音が一度。
中に入ると、ほとんど暗かった。窓が小さい。
60代くらいの男が低い棚の前に座っていた。背中が丸い。
店の隅に乾いた薬草の束が下がっている。本数は多くない。代わりに棚の中の薬瓶の数が多かった。
「症状を聞きたいって、坊主」
声が低かった。聞き取れる範囲だが響かない声。
セナがもう一度症状を説明する。
僕はその間、棚の薬瓶の並びを見ていた。色も大きさも揃っていない。並びにも規則性がない。それなのに、男はどの瓶がどこにあるかを完全に把握している顔。
村の鍛冶場で父さんが道具の位置を覚えていたのと似ていた。
「魔力枯渇に近い症状で、魔力ゼロの可能性もある。そう聞いたかい」
「……はい」
「他の薬師から」
「2軒回りました」
男が頷き、それから長く黙る。
セナが「あの」と言いかけたところで男が口を開いた。
「体内の魔力を整える薬がある、と聞いたことはある」
「どこで手に入りますか」
「詳しくは知らん。ギルドで聞けるかもしれん」
「ギルドで」
「ただな」
男が一度、目を細めた。
「気軽に手に入る薬じゃない。それだけは確かだ」
「それは……」
「価格か、流通か、両方かは知らん。誰でも買えるなら俺の店で扱っとる」
それきり男は黙る。
質問を重ねる余地のない沈黙。
壁際の薬瓶のラベルが薄暗い中で何枚か剥がれかけているのが見える。古い店の重みを並びが言っていた。
セナが「ありがとうございました」と頭を下げる。
僕も下げた。
男は頷くだけだった。
立ち上がる気配もない。背中の丸さは座ってから一度も動いていない。
外に出ると、もう夕方の光になっている。
石畳の上で長い影が伸びる。
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帰り道、セナと並んで歩いた。
「3軒、回ったね」
「うん」
「答えは——出なかった」
「うん」
セナが息を吐いた。
「リクのお母さん、魔力あるの?」
「分からない」
「あるとしても何の病気なんだろう」
「分からない。ただ——」
「ただ?」
「3人とも、何かに躊躇してた」
セナが横を見た。
「躊躇?」
「言葉を選んでた。普通の病気の説明をする時の話し方じゃなかった」
「……それ、私も感じた」
セナが顔を上げた。
「ねえ、リク」
「うん」
「もしかして——お母さんの病気、村の他の人は誰もかからない種類の病気なんじゃない?」
僕は答えられなかった。
答えがなかったわけじゃない。同じことを薬師の店の中で考えていた。
ただ、口に出すと何かが確定してしまう気がした。
「分からない」
そう言うしかなかった。
セナが「そっか」と短く言ってまた前を向く。
歩幅がさっきまでより短い。考えごとをしている時のセナの歩き方を僕は知っている。
村で薪を運ぶ時、考えごとをすると歩幅が縮んだ。今のセナと同じ。
宿が見えてくる。
夕方の屋台が湯気を立てていた。
セナが「夕食、買って帰ろうか」と言う。
僕は頷く。
スープと黒パンを2人分、銅貨2枚で。店主はもう何も聞かない。
宿の階段を上がる時、セナが一度だけ後ろを振り返った。何を見たのかは聞かなかった。
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夜、部屋に戻ってから、セナがベッドの下段で仰向けに天井を見ていた。
「明日、ルナ叔母さんに聞こう」
「うん」
「3軒目の薬師が言ってた『ギルドで聞ける』ってやつ」
「うん。ルナ叔母さんなら何か知ってるかもしれない」
セナが目を閉じる。
眠りに入る前の、息の間隔だった。
「セナ」
「ん」
「絶対治るって、言わなかったね」
「……うん」
「言いそうだった」
「言いたかった」
「うん」
セナがそれだけ言って寝息に変わっていった。
僕は机に向かう。
ノートは開かなかった。書くべき項目がまだ言葉になっていなかった。
魔力がない人が魔力で枯渇する。
それが何を意味するのか、3人とも、最後まで答えなかった。
答えられなかった、という方が近い。
机の角を指でなぞる。
木の節が一つ。村の机にあったのと似た節。
場所を変えても机の節は同じ場所に出る。木の中で節になる枝はどんな環境でも節になる。
セナの寝息が下で安定している。
3人の薬師の顔を順番に思い出す。
ソリスの手が止まった瞬間。
2軒目の女性が本を奥に取りに行った間。
3軒目の男が長く黙ったあと目を細めた瞬間。
3人とも、薬の話をしながら、本当に話したかったのは別のことだったように見えた。
何を話したかったのかは僕には分からない。
ただ、3人とも、知っている範囲のことしか言わなかった。それは確かだった。
ランプを消す。
部屋が暗くなり外の通りの音だけが残る。
明日、ルナ叔母さんに会う。3軒目の薬師が言った「ギルドで聞ける」を確かめる。
進むかどうかは明日にならないと分からない。
母さんは今夜も熱の中にいる。
父さんは今頃、井戸の方を見ているだろうか。粥を作っているだろうか。
村から手紙が届くまでまだ時間がかかる。それまで知る術はなかった。
眠る前にもう一度だけ机の節を指で触れた。
村の節の感触と同じ。




