第114話「同じ線」
商会で紙を分けた日から六日が経った。
通りの木は花を落としきって、葉の色だけになってきた。
落ちた花は風で軒の下へ寄せられ、枝の先で揺れるものは葉に替わっている。
宿の裏で剣を振る音は、あの夜からも続いている。
あれから夜の戸を開けていない。
しばらくは日のあるうちに戻れる依頼が続いた。
商会からの言伝はまだ宿に来ていない。
セナは通りの日なたに立って待っていた。
上着は薄い方に替わって、袖が肘の上まで上がっている。
杖は背へ回してある。腰には剣も提げている。
この春から、依頼にも剣を持ち出すようになった。
髪を結んだ紐が肩の上で光を受けている。
「掲示板、行こ」
「うん。今日は街道の依頼を受けたいな」
ここ最近は朝から暖かい。日は既に宿の屋根より高い所にある。
坂を下りる間に上着の前を開けると、袖の中まで風が通った。
石畳は朝のうちから乾いている。
ギルドに着くと、掲示板は人垣が薄くなった頃合いだった。
上の段は護衛の紙で埋まっている。
Cランクの列から街道沿いの依頼書を一枚抜いた。
路肩の林に狼が居つき、荷馬が手前で足を止めて荷が滞っている。
見立ては三頭。二人以上。本日中に戻ること。
場所は東の街道を出て最初の林だ。
条件は紙の下の方に一つずつ分けて書いてある。
読み終えてからセナへ紙を向けた。
「三頭。林の縁と奥」
「輪が張れる所ならいいけど」
セナは場所の行を指でなぞって頷いた。
紙の縁はまだ固く、人の指を通っていない。
窓口でミラさんが依頼書を受け取り、二人の名前を確かめる。
「本日中のお戻りですね、控えをお持ちください。お気をつけて」
判が一度鳴って、控えが戻った。
控えを仕舞って窓口を離れる。
戸口を出ると日は通りの石まで真っ直ぐ落ちていた。
東の門までの通りは荷を積む音で埋まっている。
門の影は通りの半分まで縮んでいた。
門をくぐる時、セナが杖を背から下ろして右手に持ち替えた。
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街道の草は膝を越えていた。
路肩の草が日を吸って、下から湯気のような匂いが立ち上がる。
聞こえるのは虫の音と草を踏む靴の音だ。
草の穂が腿に当たり、歩くたびに乾いた種が靴の上へ落ちた。
セナと並び、穂先を避けて路肩へ寄る。
街道は日なたが長く、木の影は路肩の端にしか落ちない。
額の汗を袖で拭くと布が草の匂いを吸っていた。
街道が緩く曲がる先で、林が道のすぐ脇まで迫っていた。
その手前は草が広く踏み倒されている。
倒れた草の根元に小さな骨が二つ転がっていた。
齧られた面が白い。
骨を跨いで林の方へ目を向ける。
林と街道の間は開けた草地だ。
セナが足を止めて、杖の先で草地の広さを測った。
林の縁は木が疎らで、丈の高い草が日を受けている。
草の中で灰色が動いた。
一頭。少し離れてもう一頭。
どちらも腹を低くして、こちらの足の高さを見ている。
鼻先が上がり、風の向きを確かめた。
セナの背中は動かない。杖の先だけが草の高さへ下りた。
狼が逃げるなら林の奥だ。
僕は右へ寄って、奥への逃げ道を塞ぐ位置に立った。
セナはその一歩前に出て、狼と僕の間に立っている。
杖が横へ払われる。
輪が走り、手前の一頭の足元で光が地面へ縫い付いた。
狼の脚が土ごと止まる。
光が草の根の間へ広がり、輪の縁で草の穂が立った。
もう一頭が輪の外へ跳んだ。
右から林の奥へ逃げる。
「右は僕が止める」
言う前に手はもう刃を放っていた。
刃は狼の後ろ脚に入って、跳ねた体が草の上で横へ倒れる。
セナの杖が二度目に払われて、倒れた狼の足元に輪が張られた。
セナは輪を見ていない。狼を見ている。
坑では床の光を見ていた。あの時の切先はセナの脇腹の高さにあった。
セナが杖を背へ回し、腰の剣を抜く。
縫い止められた一頭目の前に立って、剣を振り下ろした。
狼の首が落ちて、草が一度揺れて止まる。
二頭目は僕の刃で倒れたまま輪の中にいる。
セナの剣が横から入り、狼の体が一度伸びて動かなくなった。
僕は投げた刃を狼の脚から抜いて布で拭った。
刃は腰へ戻す。短剣は抜かずに済んだ。
血の匂いが草いきれの上に薄く乗った。
二頭は輪の跡の上に並んで倒れている。
セナの息は朝と同じ高さで続いている。
剣を下げたまま林の奥を見て言った。
「奥にもう一頭。木の根の方」
セナが草を分けて林の縁を越えた。
奥の一頭は倒木の下にいた。
太い根が土から浮いて、足の置き場が根と根の間にしかない。
輪を張るには狭すぎる。
狼は倒木の下で身を低くして、こちらへ牙を見せている。
先に仕留めた二頭より大きく、毛の色が背だけ黒い。
僕は倒木の右へ回った。
狼が逃げるなら根の切れ目からだ。そこに立って刃を一本構える。
セナは正面に残り、左手の指を弾いた。
細い糸が走って狼の前脚の付け根へ絡む。
狼が体を引いても、前脚だけはその場に縫い止められている。
セナが根の上を踏んで倒木の脇へ寄る。
杖は背のまま。右手には剣。
踏み込みが深く入り、根の上で靴が鳴った。
剣が上から下りて、返しの刃が斜めへ走る。
狼の首の付け根に入った。
糸が消える。
狼は倒木の下でそのまま動かなくなった。
空き地の夜に見た線と同じ線が昼の林にある。
あの夜は相手がいなかった。
今日は倒木の下に狼がいて、日が上から当たっている。
音が止んだ。
林の奥で葉の擦れる音が続いて、それから虫の音が戻ってくる。
首筋を汗が伝う。木の間から落ちる日が背中に熱い。
草いきれが下から上がって、鼻の奥に土の匂いが残った。
汗が目に入って袖で拭った。
倒木の下は狼の重みで土が黒く湿っている。
剣の先から落ちた血が根の上で丸くなった。
僕は根の切れ目から下りて、構えていた刃を腰へ戻した。
セナは倒木の脇に立ったまま、剣の先を地面へ向けている。
髪の先が汗で首に貼りついていた。
「三頭」
「三頭だね」
セナは刃を布で拭いて鞘へ収めた。
左手を添えて収める手つきは夜と同じだ。
「依頼で抜くの、いつ以来だろう」
「さあ。リクのノートに書いてあるんじゃない」
セナが鞘の口を親指で押さえた。
「持ってるだけだと、重いだけだし」
「うん」
「輪で止めた分くらい、自分の手で終わらせたくて」
それから街道の方を向いて立った。
杖はまだ背にある。
僕は控えの端へ骨の場所を書き足した。
炭の先が紙の上で進んで、林の縁の草が風に倒れた。
書き終えて顔を上げるとセナは草地の端まで出ていた。
背中の杖が街道の向こうを向いている。
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街道を戻る道は行きより日が高い。
草いきれが両側から寄って、影は足の下に短く落ちている。
すれ違う荷馬の背で革の紐が日を受けて光った。
御者が林の方を見て、僕らへ片手を上げる。
荷馬の背の革は日に焼けて縁が白く乾いていた。
セナが手を上げて返すと、荷馬は林の前で足を止めずに過ぎていった。
セナは杖を右手に持って道の端を歩いている。
林を出てからは荷馬の蹄と車輪の音が続いた。
草の穂が上着の裾に付いて、払うとまた付いた。
門をくぐると通りの音が一度に来た。
石畳の照り返しが下から顔に当たる。
門の内は荷を下ろす声が行き交って、麻袋の埃が光の中に立っている。
四つ角まで来た。右の坂を上がればギルド、まっすぐ行けば宿だ。
二人で角の手前に立った。
「報告は僕が行ってくるよ」
「うん。骨の場所も言っといて」
セナが杖を背へ回した。
「先に戻ってるね」
そう言って通りの方へ歩いていった。
背中の杖が人の間へ入って、角の先で見えなくなる。
セナを見送ってから僕は坂を上がった。
坂の石は乾いていて、靴の下で高い音がする。
ギルドの中は外より暗く、戸口で目が慣れるまで一度立った。
壁の掲示板は昼の間に紙が減って、板の色が広く見えている。
窓口で控えを出して、三頭と骨の場所を読み上げる。
ミラさんが綴りに今日の行を足して、精算の銀貨を台に置いた。
「お疲れ様でした」
「はい」
精算の銀貨を袋へ入れて口を締めた。
戸口を出ると日はまだ高い。
宿までの道を一人で戻る。
通りの石は日を吸って、靴の底から熱が上がってくる。
日除けの影に入ると首筋の汗が冷えた。
パンを焼く匂いが角ごとに変わる。
荷車の輪が石を叩く音が後ろから来て、前へ抜けていった。
肩の袋が歩くたびに腰へ当たる。
中で銀貨が布越しに鳴った。
商人通りの端で桶の水が石を鳴らした。
宿の前の通りは日が回って、戸口の段まで影が来ていた。
宿の戸口が見えた時には背中の汗が乾いていた。
戸を引いて、二階へ上がった。
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窓から夕の光が卓まで入っている。
明日の朝は十日に一度の便が出る。
為替は月の頭の便で出してある。今回載せるのは手紙一通。
ペンとインクを出して、紙を窓の光の側へ広げた。
母さんへ。こちらは変わりありません。
最近はいつもこの一行から書き始める。
ペン先が行の終わりまで一続きに走る。
通りの花が終わって、街道の草が膝より高くなりました。
日が高くなって、朝から暖かい日が続いています。
仕事は街道沿いの依頼が多くなりました。今日も日のあるうちに戻れました。
体は何ともありません。セナも元気です。
薬は叔母さんが村へ回してくれています。
次の便のときにまた書きます。
ペンを置いて、指についたインクを袖の内で拭った。
インクが乾くまで紙を窓の光へ向けた。
字は行ごとに同じ太さで並んでいる。
宛名を書いて畳むと、折り目は前の便の紙に付いていた所へそのまま落ちた。
封蝋は便の台で借りればいい。
畳んだ紙を卓の端へ置くと夕の光がそこまで届いていた。
窓の外で戸を閉める音が通りの端から順に上がってくる。
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夜、卓の上を空けてノートを開いた。
林の場所。三頭の内訳。骨のあった路肩。控えに書いた分をそのまま今日の行へ写す。
輪の欄と癖の欄には今日の数を入れた。
書き終えて、ページを戻した。
去年の字は炭が紙へ沈んで、薄い灰色になっている。
紙は古いほど柔らかい。
指の下で紙がそのまま寝る。
去年の春のページに土手の巣払いの日付が並んでいる。
欄は輪の数ばかりで、剣の癖を書いた行はもっと古いページにある。
深く踏み込んだ次の振りは斜めになる。
古いページの欄には輪を置き直す速さもある。
数え終わるより早い、と書いてある。
今日の癖の欄に目を戻した。
林の奥の斜め。その前の踏み込み。古いページの行と順が揃っている。
輪の速さは去年の字を写したように並んでいる。
一枚めくると冬の坑の行がある。
糸の欄の数は倒木の下で見た速さと重なる。
今日のページに指を挟んで、去年の春の行と行き来した。
数字はどこも変わっていない。
炭を紙の脇へ転がした。
ページは開いたままにする。
去年の行と今日の行は同じ長さで止まっている。
欄の線は去年の側だけ擦れて薄い。
灯りの下で去年の字と今日の字が並んでいる。
今日の字は指で擦ればまだ伸びる濃さで乗っている。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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